筑前町・三輪中の2年生の男子生徒が、いじめを苦に自殺した事件は、全国に大きな波紋を広げました。私のこのブログも、毎日この事件に関するものです。
筑前町の雰囲気や町民の反応は、ここに来て若干変質してきました。町民の反応は、 「保護者の監督責任」と「校長や元担任教師が可哀想」という声が圧倒的に多いのが実情です。 「校長も元担任も良い先生だったので、何とか守りたい。」とする声が日増しに強くなっています。
しかしマスコミ関係者の見方や意見は、それとはまったく異なります。 「少年の両親に何度も取材で接し、家庭の状況や両親の発言をいくら聞いても、まったく普通の家庭であり、問題点はまったくと言っていいほどない。普通この種の事件で取材すると、ほとんどの場合、家庭のあり方に問題があるのだが、今回はそれがない。しかし町民には家庭に問題があり、学校にはそれほどまでの問題はない、とする意見が大半だ。筑前町の特異な住民感情を感じる。」というものです。
また、 「文科省から職員が派遣されて以降、教育委員会・学校・行政などからの情報開示がまったくない。これでは取材にならないし、町ぐるみでの隠蔽体質としか思えない。」 という意見が出ています。
私は、 「筑前町はそのような町ですよ。私はそれに一人で抵抗してきたようなものです。何でもなあなあの体質なんです。それが今回のような事件の土壌になっていると考えています。つまりは住民自身の意識改革の必要性がここにあるんですよ。」と言っています。
文科省が入ってから、その指示かどうかは分かりませんが、明らかに関係者の姿勢が変わりました。少年の両親にも詳しい説明をしようとはしていません。裁判を視野に入れてこれ以上の情報提供をしても無駄だと判断したとの見方が多いようです。こんなことでは真相の追求も本質の解明も困難です。
「舵が切られたのか?」 もしそうであれば、事態は深刻です。報道機関に情報開示をまったくしない。つまりは報道機関への兵糧攻めです。情報を与えなければ書くことがない。そしたら報道は沈静化する。官僚や役人の考えそうな姑息な手段ではないでしょうか。
この町の問題、そしてこの事件の問題、どちらも非常に深刻です。議会も秘密主義の姿勢です。マスコミがうるさいので、議会や委員会の開催を口外しないようにとの姿勢です。呆れて物が言えません。私の考えはまったく逆なんですが・・・。
校長を守ろうとしているのはわかります。
しかし、元担任は、解雇するべきだとおもいます。
>何でもなあなあの体質なんです。それが今回のような事件の土壌になっていると考えています。
>つまりは住民自身の意識改革の必要性がここにあるんですよ。」
そんな住民に選んでいただいて、税金で飯を喰う。
そんな住民と同じ殺人鬼の視線に立つ。
任期を重ねながら殺人事件発生・・・無能じゃん。
はっきり言って、その感覚は理解できません。
仕事もせずに昼間っから飲んだくれて、子供に暴力を振るう亭主を、薄幸の妻が思いあまって刺してしまったという事件ではありません。
元担任は教師でありながら、子供達の支配者のごとく振る舞い、死に追いやったのです。
さらに校長は事実を隠蔽しようとしたのですよ。死人さえ出したの事件を、公然と詭弁を弄して隠そうとしたのです。
この犯罪者達を守ろうという意見が、筑前町の総意であるのならば、減刑嘆願署名運動をなされば良いと思います。
そうすればご自分達が、魔女狩りの魔女ではないことがはっきりするのではないでしょうか。
人間なんです。間違いも罪も犯します。それを自分たちでの経験値として生かしていくのか、降って湧いた災難として片づけるのか、人としての力量だと思います。
町が、議会が秘密主義なら、
笠さん、
あなたが発信してください。
それは、かばう体質の社会の中では、
たいへん難しく辛いことかもしれません。
がんばってください。
しかし、町の姿勢や体質には、
あきらめの態度で接しては先は見えません。
そのような体質はどこの町にもあります。
隠して守るのではなく、
徹底的に公開することによって、
膿が出されるのでは。
1人の力は、小さいものですが、
やれることはあるはずです。
がんばってください。
自分をしっかり理解してくれる人がいれば、
がんばることができますよね。
このことを教育ジャーナリストだった保坂展人は「沈黙のスクラム」保坂展人と呼んでいますよね。
笠さんの戦いは孤立無援の覚悟もしなければ出来ないかもしれませんね。選挙も近いことを考えると大変厳しい戦いでしょうが、私達も応援の声を上げていきますのでがんばってください。何かできることがあったら申しつけて下さい。