まりりの日々

なにげない日々の中で、残しておきたい事・思う事
猫大好きまりりの『日々の日記』
少しでも情報発信できたらいいなぁ。

12日ぶりの帰宅

2009年05月31日 | もーちゃん
19日、もーちゃんの食欲が無いという事を聞き実家に帰宅してから、
あれよあれよと今日に至ります。

その間、ずーっと実家に滞在してました。

旦那sanとは、22日のお葬式に来てもらって以来会ってないし、
家には12日間も帰ってませんでした。


で、今日、
12日ぶりに様子を見に帰ってみました。


洗濯や食器洗いなど、旦那sanがなんとか一人でやってくれてたようだけど、
掃除や、タオル替えたりとかは、ちょっと気が回らなかったみたい・・・。

でも、植物にもちゃんと水やりしてくれてたみたいだし、
感謝しなければならない事はいっぱい!


旦那sanができなかった家事や、昼・夕食準備、
冷蔵庫の整理など(かなり腐れてました)だけをして、
滞在時間5時間半ほどで、また私は実家に帰りました。


まだ実家から離れられない私と妹。


一人になったり静かになると、
すぐにもーちゃんの辛かった様子が頭に浮かぶので、
実家でみんなでワーワーやってないと、気がおかしくなりそうな心境。
お風呂も一人で入れなくて、この一週間はずっと妹と。


まだまだ帰れそうにもありません・・・。


※写真 : もーちゃんにイワシをお供え。
      生前は、つまみ食いしようとするたび、「ダメー!」と怒られてたから、
      今は丸々一匹食べてもらおう!

最近の光景

2009年05月30日 | もーちゃん
もーちゃんが天国に逝ってしまってからというもの、
我が家ではこういう光景がたびたび見られるようになりました。


『ノンタン』 のぬいぐるみを抱っこして、うたた寝してる姿。
(※写真は母)


リビングにはいつももーちゃんがいて、
もーちゃんの横で添い寝したり、
もーちゃんをお腹に乗せてくつろいだりしてました。
だから、いなくなると視界も当然の事ながら、
いつも、モフモフを触ってた「手」が寂しくて、
ノンタンのタオル地のぬいぐるみを抱っこしてます。
夜寝る時は、母が腕枕してあげてます。


もーちゃんがいなくなって、一番寂しいのは母だと思う。


私や妹は、結婚して家を出たし、
それまでにも、私は、よく遊びに出ちゃって帰宅遅い事も多かったし、
妹は、留学したり一人暮らししてる時期もあった。

だから、もーちゃんと一緒に過ごした時間が一番長いのは、
まぎれもなく母。

寂しさはハンパではないと思う。


しばらくはこうして、
三人でノンタンを順番に回して、抱っこする日々が続くんだろうなぁ・・・。

もーちゃんワッペン

2009年05月29日 | もーちゃん
もーちゃんが吐血した場所、
洋間のじゅうたんに痛々しい血の跡がしっかりと染み付いて、
取れない状態になってました。

というか、取りたくなかった。


でも、もーちゃんのお気に入りの場所ですぐ目につく場所だったので、
見るたび見るたび、もーちゃんが苦しんでる姿が目に浮かんでしまい、
どうしようかなぁ・・・ と考えた結果、
フェルトでもーちゃんのワッペンを作って、上から貼ってしまおう!!
と思いつき、妹がこんなの作ってくれました。


今まで視界に入るだけで辛かった場所が、
ワッペン貼っただけでガラリと雰囲気が変わり、
もーちゃんが笑ってる、微笑ましい場所となりました!


もーちゃんの魂も、
血がべっとり付いた、痛く苦しい思い出が残ってる部屋よりも、
こうして笑い顔のもーちゃんで隠してしまった部屋の方が喜んでくれるよね!

もーちゃんの優しさ

2009年05月28日 | もーちゃん
本当なら、今日から3泊4日で母と韓国に行く予定でした。
今頃の時間は、ソウルをブラブラしてたと思います。

でも、10日ほど前、もーちゃんの食欲が無くなってきたあたりから、
「もーちゃんが体調悪いのに、のんきに旅行なんて出来るわけがない!」 と、
母も私も思いが一致して、すぐキャンセルしてました。

豚インフルエンザの一件では、悩んだけどキャンセルしなかったくせに、
もーちゃんの事となると、キャンセル料がかかろうが、即キャンセル決定!

結果、悲しい結末になってしまったけど、
キャンセルしたのは間違いではなかったようです。



この韓国旅行、
もーちゃんが止めたような気がしてなりません。


16年間、旅行するとなると、誰か一人はもーちゃん係で留守番しないといけなかったので、
必然的に、母&妹か、母&私か、私&妹の二人旅行になってました。
なので、母&姉妹の三人旅行は一度もしたことありませんでした。

今、妹は安定期。
9月になれば出産して母親になり、旅行なんて行ってる場合ではなくなる。

三人で旅行するのが可能なのは、タイミング的にちょうど今。

もーちゃんはそういう事まで考えて、
「今まで僕の為にお留守番しなきゃいけなかったから三人旅行できなかったけど、
今は行けるんだよ! せっかくだから三人で旅行しておいでよ!」
と言ってくれてる気がして、
私たちの事を思って、気を遣って、
今のこの時期を選んで逝ってしまったような気がします・・・。


韓国旅行を辞めたので、その分を、初めての母&姉妹の三人旅行に回す事にしました。

7月には滋賀あたりに旅行しようと思ってます。

その際は、もちろん、もーちゃんの遺影とお骨を持って・・・。

初七日

2009年05月27日 | もーちゃん
もーちゃんが亡くなったのが22日(ニャンニャンの日!)。

亡くなった日から数えて6日目が 『初七日』 になるので、本日27日が初七日になります。

もーちゃんが大好きだった生マグロ。
病気がわかってからは、ごくたま~に一切れくらいしかあげる事ができなかったので、
今日はマグロ刺身一人前、丸ごとお供えしました。
喜んで食べてるんだろうな~。



もーちゃんがいなくなって6日経ちましたが、
家族みんな、最初の数日は泣いて泣いて食欲もなく(仕事も休んでしまいました…)、
「もっと〇〇してあげればよかった・・・」 とか、後悔ばかりして、
かなりネガティブになってました。

でも、皆さんからのコメント、メール、電話などで励まされ、少しずつ元気になってきました。

「もーちゃんは痛みも苦しみもない世界に行けたんだよなぁ・・・」 と、前向きに考えるようにしました。
四十九日の間は、お線香とロウソクの火を絶やさず、
もーちゃんの旅が無事に進むよう応援したいと思います。




《 追伸 》

ずっと実家に滞在してるためパソコンがありません。

今は、もーちゃんのいた実家から、私も妹も離れる事ができません。
それを理解し、「落ち着くまでいていいよ」 と言ってくれてる旦那さん二人に感謝してます。

なので、パソコンが使えない環境で、皆さんのブログになかなか遊びに行きにくい状態ですが、
いただいたコメントは全て読ませていただいてます。 感謝してます。

少しずつになると思いますが、全てのコメントにお返事させていただきます。
そしてまた、ゆっくりブログやmixiに遊びに行かせていただこうと思います。

申し訳ございませんが、もうしばらくお待ち下さい m(__)m


※写真 : 生前のもーちゃん。 お花が大好きでした。
今は仏壇にお花飾ってます。

記録(後半)

2009年05月26日 | もーちゃん
《22日朝》

朝一番で病院に向かう。

容態は変わらずしんどそう。
思うように身体が動かせないようで、水やご飯(一切食べないが)の器に顔を突っ込んだままになる事も…。

血糖値が上がってるので、インシュリンを投与する事に。
引き続き、詳しい検査をしてみるとの事。

しんどいだろうに、視線は私たちにちゃんと反応してくれる。
面会時間が終わるのが切ない。



《22日夕方》

本日2回目の面会へ。

午前診と午後診の間に、三人のドクターがたくさんの資料と検査結果を元に、
もーちゃんが何が原因で今こういう状態になってしまったのか、会議をしてくてたれたらしい!!
フセン付きの資料を一つ一つ見せながら、詳しく説明してくれた。


もーちゃんは、 『急性膵炎』 !!


膵臓の病気は見つけにくく、わかっただけでもありがたい。
前の病院だと、絶対にここまで調べてくれなかったハズ。
急性膵炎は激痛らしい。
それがわかったので、すぐに痛み止めを投与する事に。

急性膵炎は慢性膵炎に比べて重度なので、ある程度覚悟は必要だと言われる。


面会時間終了の8時を回り、でもなかなか帰りづらく、
ずっとこっちを向いてたもーちゃんがクルッと背中を向け、「もう帰り~」と言ってくれたように感じ、
別れづらいが帰る。

朝は目がしっかりしていたのが、夕方には瞳孔が開いているようだった。 不安。



《22日夜8時半頃》

リビングの時計が突然壊れ、何か嫌な予感がした。

その直後、病院から電話がかかってきた。

「呼吸不全になったので、人工呼吸に切り換えた」 との事。

急いで病院に向かう。



到着した9時頃には、
すでにもーちゃんは亡くなっていました・・・。

器材は全て取り外されていて、
一番つらいであろう姿を、私たちに見せる事なく、逝ってしまいました・・・。


最後の最後まで優しい子でした。

器材の付いた、死ぬ間際の一番苦しむ姿を私たちに見せなかったのは、
もーちゃんの私たちに対する最後の優しさだったように思います。


極度の心配性で、少しでも具合が悪かったりすると、こちらまで食欲不振になってしまうくらい、
精神的に弱い私たちの事を思い、
心配させまいと、死ぬ数日前までは本当に元気な姿しか見せなかった。

この数日間だけで、パタッといなくなってしまった。

なんだか、元気過ぎて外に遊びに出ちゃって、
そのまま迷子になって帰って来れなくなってしまったから、会えなくなってしまったような感覚。



もーちゃんは、本当に優しい子でした。

もーちゃん、四日間しんどくて痛かったのによく頑張ったね・・・。

もーちゃん、16年間 いっぱいいっぱい ありがとう!!

記録(中盤)

2009年05月25日 | もーちゃん
《20日朝9時すぎ》

かかりつけ病院に連れて行く。
夜間救急での処置を報告し、すぐに酸素室に入れて点滴してもらう。
私達は夕方4時頃、様子見に来て下さいと言われ、いったん自宅に帰る。


夜間救急の先生の対応や説明が良すぎた事や、見解にくい違いが見られた事から
いつもの病院に疑問を持ってしまい不安に思えてきた事、
そして、無事に輸血を済ませて預けに行った時の対応が、こちらを不安にさせるようなものだった事から、
このままもーちゃんをこの病院に任せるのが怖くなり、
夕方4時までに別の病院を探し、相談しに行く。

その病院は夜間救急の無い病院だったので、
もしもの場合が困ると思い、一度も診てもらった事が無かったのだが、ネットでの口コミは良かった。
この際、夜間救急のある無しは置いておき、
一か八か、もーちゃんを転院させるべきか、わらをもすがる思いで相談。

先生の対応は、信じられないくらい良かった。
今まで病院を3件ハシゴしてきたが、4件目で初めて出会えた良い先生・病院のような気がした。

この病院にかけてみる事にした。



《20日午後4時》

もーちゃんの様子を見に、病院へ向かう。

やはりこの時も、病院の態度には疑問に感じるものがあり、
少し落ち着いたようなもーちゃんを、すぐ返してもらうようお願いした。
訳あって、他の病院に転院したい旨も伝えた。



《20日午後5時頃》

病院を転院し、今までのデータを全部渡し、この病院にかけてみる事にした。



《21日朝》

朝一番でもーちゃんの様子を見に行く。

変わらずぐったりしたままで、息も荒く鼓動も早い。
何も食べてない事もあり、点滴も少し変えて様子を見てもらう事に。



《21日夕方》

本日2回目の面会に行く。

変わらずぐったりしたまま。
ヘマトクリット値はほぼ変わってないので、どこかからの出血は止まっている様子。
吐血・嘔吐もこの病院に来てからは無いとの事。

今までの状況、血液検査、尿検査、レントゲンなどから、
なぜ突然こういう状態になってしまったのか、色々調べてみます、との事。

記録(前半)

2009年05月25日 | もーちゃん
《19日朝》

食欲なく、肉球の血色が無いもーちゃんを慌てて病院へ連れていき、
エコー検査してもらう。

肝臓が白く写るので、肝炎や肝硬変の疑いがあると言われる。
食欲ないのは、インターフェロンの副作用ではないか?と。
肉球の色が薄い事に関しては、「もう少し様子を見ましょう」と。
処置なし不安。



《19日夕方》

グッタリはひどくなり、今日は一口もご飯を食べていない。
水ばかり飲む。 しんどそう。



《19日夜8時すぎ》

!!吐血してあるのを発見!!

至急、かかりつけ病院の夜間救急に連れて行く。

極度の貧血状態になっており、ヘマトクリットが11%になっていた。
10%を切ると命の危険!!
翌朝まで酸素室で待ち、近所の猫ちゃんに輸血してもらえないか、当たってほしいと言われる。

輸血のドナーになってくれる猫を捜すべく、ネコ友さんにTEL。
そのタイミングで、彼女からVRの話を電話で聞く。
VRには、常時、供血猫がいるかもしれないと聞く。
すぐVRに電話。 しかし、あいにく猫ちゃんはいなかった。

しかしその話を先生に話すと、他の夜間救急を当たってくれた。
すると、A型猫ちゃんが一匹いる病院が見つかる。

至急、その病院(少し遠方)にしんどいけど移動させるか
(でももーちゃんは何型かわからないので血液型が適合するかは行って調べないとわからない!)、
朝までその場で待ち、酸素室にて止血剤だけ打って待機し、
翌朝、供血猫を手当たり次第探して輸血可能な猫から輸血してもらうか、
究極の二択を迫られる。


悩みに悩んで、A型猫ちゃんがいる病院に至急移動させる事を選択。



《19日夜10時半頃》

!!よかった!!
もーちゃんの血液型と、供血猫の血液型が一致!
マッチングテストも合格!
至急、輸血を開始してもらう。(約2時間)

朝まで待機し(病院滞在時間約9時間)、
アナフィラキシーショックが起こらないようだったので、そのままいったん帰宅し、
かかりつけ病院が開く9時までしばし自宅待機。
(夜間専用救急病院だった為、本当は朝5時で帰されるところ、
なんとかお願いして7時半まで酸素室に入れさしてもらってました)


朝一でかかりつけ病院に向かう。

頑張ったもーちゃん

2009年05月23日 | もーちゃん
5月22日 午後9時半頃

もーちゃん 16歳

急性膵炎のため お星様になりました・・・。



あまりにも突然すぎて、おねえちゃん、なんだか夢見てるみたいだよ・・・。

つい数日前までは、あんなに元気に走り回って、モリモリ食べてたのに・・・。

痛かったね。ものすごく痛いのに、よく一人で頑張ったね。
もう痛みの無い世界に行ったのだから、ゆっくりネンネしてね。
ずっと眠れてなかったもんね・・・。




もーちゃんと過ごした16年は、本当に幸せでした。
もーちゃんのおかげで、おねえちゃん達は本当に楽しかったよ!
我が家の子になってくれて本当にありがとう。

これからは、身体はここにないけど、お空の上からいつまでも見守っていてね!

大好きな大好きな大好きなもーちゃん。

もーちゃんのいない生活があるなんてまだ全然実感沸かないけど、
いつか徐々にわかってくるのかな・・・。



応援してくれた皆さん、どうもありがとう!
もーちゃんの事、忘れないでやって下さいね!