古代四方山話

古代について日頃疑問に思っていること、思いついたことを徒然なるままに綴ってみたいと思っています

八幡大井、諏訪、住吉は同体①

2020-07-20 11:26:32 | 歴史

諏訪大社の「諏訪大明神画詞」のなかに、

 八幡大井、諏訪、住吉 同体の由来アリト申

とあるといいます。

 筑紫ノ虻田ニテ応神天皇降誕シ給フ。八幡大井是也

ともあるそうで、八幡大井とは応神天皇のことであることは間違いありません。

八幡大井こと応神天皇が住吉と同体であるというのは、宇佐神宮や住吉大社の伝承が

 住吉の子は応神天皇

であると示していることと一致しています。

同体とは同一人物というより血族であったり、近親者であることを指していると考えます。

 

では八幡大井(応神天皇)・住吉と同体とされる「諏訪」について考えてみたいと思います。

信濃国一之宮である諏訪大社は上社本宮、上社前宮、下社秋宮、下社春宮から成りますが、

「諏訪」と称されるのはやはり「建御名方神」(以下タケミナカタと称す)に相違ないでしょう。

 

「宗像の子は住吉、孫は宇佐」であり、「八幡大井、諏訪、住吉は同体」なのであれば、宗像と諏訪も同族であると考えられ、

タケミナカタの「ミナカタ」は宗像の訛りであるとも捉えられます。

しかし、先代旧事本紀によるとタケミナカタは大己貴神と越の沼河比売の間の子神です。

ヌナカワヒメの子、タケミナカタの「ミナカタ」は宗像ではなく「ヌナカタ」の訛りではないでしょうか。


宗像の子は住吉で孫は宇佐③

2020-07-17 10:46:29 | 歴史

武内宿禰は長寿であり老人のイメージがあることから、住吉神と重ね合わせて考えられています。

さてその武内宿禰、弟である甘美内宿禰の嘘により天皇の使者に殺されそうになったところ、壱岐直の祖先である「真根子」が身代りとなって自殺する…という話が日本書紀に残されています。

真根子は武内宿禰に見た目がそっくりだったといいます。

 

武内宿禰と同様に「そっくり神話」を持つのがアジスキタカヒコネです。

アジスキタカヒコネの妹神・下照比売の夫、天若日子とアジスキタカヒコネは非常によく似ていたといいます。

天若日子の死に際し、天若日子の親族から間違われて起きた騒動が日本書紀に記されています。

 

住吉神と重ね合わせて考えられてきた武内宿禰と、アジスキタカヒコネにも共通性が感じられます。

やはり宗像の子である住吉とは、アジスキタカヒコネのことを指しているのではないでしょうか。

 

アジスキタカヒコネは八咫烏と同一神であるとも言われています。

住吉の子である宇佐は、八幡大神です。「八幡」とは「やあた」と関係しないのでしょうか。

 

住吉神の使徒が「ウサギ」であることも、住吉の子は宇佐の伝承の傍証なのでしょうか。

 


宗像の子は住吉で孫は宇佐②

2020-07-15 11:42:25 | 歴史

宗像大社の伝承では「宗像の子は住吉で孫は宇佐」なのだといいます。

子である住吉とはアジスキタカヒコネではないかと私は考えています。

 

孫の「宇佐」とはもちろん、八幡総本宮・宇佐神宮の祭神を指すのでしょう。

宇佐神宮一之御殿に祀られるのは「八幡大神」であり、八幡大神とは応神天皇のご神霊であるとされています。

「宇佐」とは応神天皇のことを指すのでしょう。

 

応神天皇は、第14代仲哀天皇と神功皇后の間に生まれました。しかし、仲哀天皇の崩御から十月十日後に誕生していることから、父親が仲哀天皇であることを疑問視されています。

仲哀天皇は橿日宮で神託を無視して急死します。仲哀天皇に神罰を与えた神のうちの一神が、くだんの住吉神です。

また大阪の住吉大社の伝承によれば、仲哀天皇が亡くなった晩、神功皇后と住吉大神は「夫婦の秘め事をした」のだといいます。

つまり、住吉大社にも住吉の子は宇佐(応神)との伝承が残っていることになります。

 

仲哀天皇が亡くなった晩、現場に居合わせたのは、神功皇后と武内宿禰だったと古事記には記されています。

武内宿禰は、第12代景行天皇から第16代仁徳天皇までの5代に亘る天皇に仕えたという伝説的忠臣です。三百歳の長寿を保ったと語り継がれる竹内宿禰には、老人のイメージがあります。

一方住吉大神は、別名「塩土老翁」(しおつちのおじ)と呼ばれ、老人だと考えられています。

武内宿禰は住吉大神と重ね合わされ、住吉の子は宇佐という伝承は、応神天皇は神功皇后と武内宿禰の間の子であることを隠し伝えてきたのでしょう。

 

 

 


宗像の子は住吉で孫は宇佐①

2020-07-13 13:29:01 | 歴史

福岡県宗像市にある宗像大社は、日本神話に登場する日本最古の神社の一つです。

「神宿る島」宗像・沖ノ島関連遺産群の構成資産の一つとして2017年に世界文化遺産に登録されています。

祭神は宗像三女神と呼ばれ、沖津宮に田心姫神(たごりひめのかみ)、中津宮に湍津姫神(たぎつひめのかみ)、辺津宮に市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)がそれぞれ祀られています。

その宗像大社の伝承によれば

 「宗像の子は住吉で孫は宇佐」

なのだというのです。

宗像とは当然、宗像三女神をさすのでしょう。

では、一体誰が住吉や宇佐だというのでしょうか。

 

宗像三女神の子神とされるのは、田心姫の子である阿遅鉏日子根神(あじすきたかひこねのかみ、以下「アジスキタカヒコネ」という)と下照比売(したでるひめ)。

湍津姫の子である事代主神(ことしろぬしのかみ)と高照比売(たかてるひめ)。

いずれも父神は出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)です。

住吉神は男神であることから、宗像の子・住吉であると伝承されているのは、アジスキタカヒコネか、事代主のいずれかであると類推されます。

住吉神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が禊を行ったときに生まれ出たとされる、底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神の三神を指し、全国の住吉神社で祀られています。

 

アジスキタカヒコネは陸奥国一宮である都都古和気神社・都都古別神社(つつこわけじんじゃ)の主祭神です。

神社名である「つつこわけ」の由来については、籾を入れる藁苞の美称「ツツコ」によるという説、筒すなわち太鼓状のものを指すという説、長野県諏訪地方の千鹿頭神に由来するという説などがあるようです。

しかし「つつこわけ」のつつは筒男三神に由来するという説を、私は採りたいと思います。

つつこわけ神社の「つつ」は筒男三神の「筒」であり、アジスキタカヒコネは住吉神と同一神ではないかと考えています。

 

「宗像の子は住吉」という伝承は、住吉=アジスキタカヒコネ

であると示しているのではないでしょうか。