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庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

オオソリハシシギ

2007-04-10 10:29:49 | 大空


今朝の愛媛新聞の記事。オオソリハシシギ・・・きくったクチバシをもつことから名付けられたという。ユーラシア大陸北東部からニュージーランドまで1万キロを旅する渡り鳥で、途中日本に立ち寄るものもあるから、日本では旅鳥の仲間とされている。

渡り鳥の類が季節に合わせて数千キロを移動するのは珍しいことではないが、“無着陸”で10500km飛んでいるのがいたという事実はやはり驚くに値する。無着陸ということは、おそらくその間食事はしていないであろう。ルートの全てをかなりの追い風に助けられたとして、対地速度100kmで飛んでも100時間・4日間以上(この記事では“一週間ほどかけて”)、地面や海面に触れることなく空中を移動してくるのである。
http://www.sorainu.com/archives/50911908.htmlのいぬさんの訳によると、「平均速度時速56kmで、高度2000メートルの高さを、約1週間にわたって飛び続ける。オオソリハシシギは、たいてい4匹で編隊を組むが、それぞれの体重は約300グラム程度しかない。それは、長期間に渡る飛行によって、半分にまで体重が落ちてしまうためである。」

その生来の研ぎ澄まされた感覚で気温や湿度はもちろん、太陽高度や風の具合を敏感に感じ取りながらこの長途の旅を始めるのだろうが、彼らにとって千kmという距離の尺度はどういう意味を持っているか、昼夜を通して空中で風を切っている間、何を感じ何を想っているのか・・・ゆっくり聞いてみたい気がする。

1万キロと言えば、地球の直径が約1万2千キロ、地球一周で約4万キロだ。こないだ“地球規模で考え・・・”ということを少し書いたが、彼らは太古の昔からまさに“地球規模で動き生活”している。大空だけでなく大海で暮らす多くの回遊魚や海生哺乳類もそうだ。大気や水という常に全地球表面を伝い流れる流体を生の足場にする彼らにとっては、地球規模云々の話は、極めて日常的で当たり前のあらゆる行動の前提条件であるともいえるだろう。

いくつかの証拠から、人類も、現在のように大地の狭い地域に閉じ込められる以前の太古の時代には、これら鳥類や魚類や海生哺乳類など、地球そのものを“生きる場”とする仲間たちと同様、極めて広大な世界に生きていたのではないか・・・と私は推察しているのだが、いずれにしても、人類が地面や海面に境界線を引いて国家という地域共同体を作り、歴史が進展する過程で数え切れないくらいの戦争という愚を繰り返し、産業革命を機に近代を迎え、更に科学技術の加速度的進歩によって現代の文明史的危機を招来しているという事実は、私たち人類が彼ら自然に生きる仲間たちから“そのあり方”を学びとって、その“本来の生き方”を思い出さざるを得ないという状況を提示しているのではないだろうか。

この記事の最後でヨッシェム博士も言っている。鳥には国境はない。だから、保護のためには国際協力が必要だ・・・そして、これは、私たち人類の保護にとってもそのままあてはまる訴えである。 



アマゾン

2007-04-08 09:11:31 | 拾い読み
先日、Amazonから数冊の本が届いた。珍しくその中に古本は混じっていない。私の乱読癖は相変わらずで、主には根気のなさによって、従には可処分時間と可処分金銭の限界によって、多くの作者には申し訳ないような、つまみ食い的「拾い読み」がほとんどなのであるが、中にはまれに熟読し何度も読み返すものもある。

どの本が熟読・精読に値するかは、とりあえず拾い読んでみないと分からないので、懐(ふところ)具合によほど余裕のあるとき以外は、まず身近な図書館の蔵書に検索をかけて探してみる。かなりの確率で求めるものが存在する。図書館のネット利用は、時間と費用の大変な節約になり、3週間の貸し出し期間は、5冊程度の本を拾い読むには充分な時間だ。

拾い読みの結果、どうしても手元に置いておきたい本や図書館には無い本が出てきたらリストアップしておいて、Amazonの購入予定リストに加える。そして、そのリストがある程度の量になったときに、その時点での懐具合と相談しながら取捨選択して購入決定のアイコンをクリックするということになるのだ。

英文サイトではかなり以前から、日本語サイトでも近年徐々に、ほとんどの古典や多くの古典的名著がUPされるようになった。これは乱読人間には涙が出るほど嬉しい僥倖であり、論語や荘子、万葉集や徒然草、エマソンやアクトンの原著などもネットで簡単に読むことができる。今や私の総読書量のざっと50%がこのインターネットの恵みによっている。パソコンで読書することの利点については、いろいろ思うことがあるのでまたそのうち書く。

さて今回は、山田風太郎と加藤周一と鶴見和子。風太郎の『人間臨終図巻・3巻』は、図書館の2巻本の拾い読みから。『戦中派不戦日記』は大岡昇平の『俘虜記』の流れ。加藤周一の『日本人とは何か』はどうやら2冊目。『日本文学史序説・上下』はいつか読もうと思いながら、私の文学的無教養の壁が邪魔して今まで手を出さずにいたもので、そろそろ読んでおかないと加藤先生に申し訳ないような気がしたので今回勇気を出したもの。鶴見和子の『遺言』は、新聞の書評欄を読んで、「これは絶対に読んでおかないといけない」と直感したから。

今日は鶴見和子の事を少し・・・およそ社会学系統の学問をかじった人間で彼女のことを知らない者はいないのだろうが、私はほとんど何も知らないに等しかった。つまり今まで彼女の書いたものを一冊もまともに読んだことがなかったということだ。鶴見俊輔に関係する人だから相当な女性に違いない、という程度の認識だ。その彼女が、昨年の夏に亡くなり、今年の1月30日にこの『遺言』が出版された。

この本を「読んでおかないといけない」と感じた最大の理由は、その書評の一文「死んだものの立場から見た日本がどう見えるか、そしてそのことによって日本を開いていきたい・・・世に残す言葉として九条を守ってください」にあった。この稀有な女性学者がこの世界を去る間際に「遺言」として残した最後の言葉に「九条」の二字があったからである。

今、半分ほどじっくりと読ませてもらって、ほんとに良い本を手元に置いたと思っている。書評で紹介された遺言の最後の部分を長めに引用しておく。

「エコロジーというのは、近代科学の中でも先端科学です。非常に新しい科学です。それが到達した仮説と古代思想とがまったく一致するということに驚いたんです。だから私たちは、日本の中の思想にこういう普遍的な考え方があって、古代に芽生えたけれども、近代の科学によって証明されている、それらの思想が一致するということに、もっと自信を持ちたいと思います。漫荼羅の思想は、相手が気に入らないから殺しちゃう、排除しちゃうというもんじゃないんです。いくら相手が気に入らない、私と違う意見を持っている、違う思想を持っている、それでも話し合い、付き合うことによって補い合うことができる、助け合うことができる、そういうゆったりした思想なんです。ところが今、世界中を支配しているのは、自分が持っている文明が最もいいのだ、これと違うものは排除する、殺しちゃう、破壊しちゃうという思想です。そうすればその文明自体も弱くなる。そういう教訓なんです。
 私は、我が去りし後の世に残す言葉として、九条を守ってください。漫荼羅の持っている智恵をよく考えてください。この二つのことを申し上げて、終わりたいと思います」



不都合な真実

2007-04-04 10:52:14 | 自然
昨夜は、年の初めから是非とも見に行こうと思っていたアル・ゴアの『不都合な真実』・・・キネマサンシャイン・夜の部を家人と2人で見てきた。「平日夜の9時過ぎからの映画など、ひょっとしたら我々だけの貸切り状態かもしれんぞ・・・」などと話しながら自転車で10分、何年か前にできたモール街は予想を超えた賑わいで、映画館No9にも10人ほどは入っていた。

さて、1時間半のこのドキュメンタリー映画だが・・・これまで私が出会った映画の中で、最も「説得力」に富んだものだったと言ってよい。もっとも、映画は、説得されるような種類のものではなく、見て楽しく何らかの感動を得ることができれば良いのであるが、深い納得は深い感動にも通じるのだ。スクリーンから伝わってくるゴアの熱弁は、以前テレビの番組で見たものと変わりなく極めて情熱的かつ理性的なものだった。

凄い人物だと思う。ひょっとしたら、ガンジーやキング牧師に匹敵する人物かもしれない、とさえ思う。彼は、あの大統領戦をブッシュと争って、疑問の残るフロリダ票の僅差によって敗れたわけだが、幼い息子を交通事故で亡くしたことを機に、自らの人生の考え方が根本的に変わった、と言っている。「この世界にいる間に、ほんとうに成したいこと成すべきこと」を優先順位の先頭に置くことにした、ということだ。

そして、それがCO2の増大による「地球温暖化」の大問題の啓発運動で、これの恐さと必要とされる緊急の行動・・・・彼が提示した幾つもの科学的データに反論の余地はないように思われる。そうであれば、私たち現代人は、やはり、人類史上初めてののっぴきならない深刻な事態に直面していることは疑いようがない。

では、どうするか、私はどうするか・・・「身近なことを楽しみながら」が私のモットーではあるが、それと同時に、あらゆるものごとを「地球規模で考える」習慣を身に付けることの大切さを再び痛く感じた。これはまさに、Thínk glóbally, áct lócally. 「地球規模で考え 行動は足元から」という、公害防止運動団体 Friends of the Earth のスローガンそのものである。

どんなものごとでも、考え評価するには、まず事実を知らなければならない。さまざまな意図で着色された多くの情報の中から真実を見抜く眼を持たなければならない。そのために最も有用な方法の一つが、自分自身で直接自然に触れ、自分自身の目でまっすぐに自然現象を観るということだろう、と私は考えている。

固定観念

2007-04-02 14:08:00 | その他
NTT光のネット環境がほぼ安定した。といっても、昨日・一昨日と結構な時間を使って、新しく購入した無線ルーターの設定をしたり、どんなにしても3Mを超えないこのPCの無線LANボードやMTUを触ったりで少々忙しかった。

「電波王」などという凄い名前の付いた新しい無線ルーターは幾分不可解な特性を持っているようで、相当離れた隣の家の息子の部屋には安定して下り2Mを届けるが、1mと離れていないこの最大54Mの無線LANカードには3Mを供給するに過ぎない。どう考えても10M以上は出ないとおかしいのだ。

ルーターとLANカードの相性はあるにしてもこれはあんまりではないか。以前使って若干不安定だったUSB接続のものに替えても結果は同じ。下り3Mも出ていれば、ネット接続には何の支障もないものの、腑に落ちないものごとの原因がある程度見えるまでは、なかなか落ち着かないのが私の悪癖でもある。

しかし、自分にできるだけのことをやった後は、いったん事を離れて後は自然の成り行きに任せてみる・・・という処世の術もある程度は心得ているので、今回もそうすることにした。すると、多くの場合そうなのだが、その解決方法はバカみたいに簡単なところにあることに気が付いた。

このPCも無線ではなく有線にすれば良いだけのことなのだ。以前の無線ルーターにはケーブルの接続口が一つしかなく、これを自宅用に使っていたから後は無線しか方法がないと思い込んでいたのだ。(裏のカバーを外してみたら4個口だった)更にこれまでは度々持ち出していたノートをメインPCにしていたから、このデスクトップも無線じゃないといけない、という固定観念に囚われていたのだ。NTTのモデムには最大3個まで、さらに新しい無線ルーターも4個までケーブル接続できるようになっている。

早速、行きつけの電気屋に出かけて1000円に満たない有線LANボードを仕入れてつなぎ、NetTuneというMTUなどを適正化するソフトで設定を済ませて速度測定してみたら、あっという間に30Mに迫る勢いになった。

どんなに複雑で解決困難に見える問題も、その解答はたいがい単純であり、解決方法はほとんどの場合すぐ傍にある。自分のすぐ近くにあるものを見えなくする最大の障壁が「固定観念」という硬直した心の持ち方であろう。ものごとを多様に見ることのできる柔軟な姿勢をさらに養いたいものだ。

ちなみに、固定観念を辞書で引いたら「ある人の心中に潜在して、つねに念頭を離れず、外界の動きや状況の変化によっても変革することが困難である考え。固着観念」とあり、和英では“conventional and oversimplified concept or image; prejudice, preconceived opinion”とあった。「型にはまり簡略化が過ぎる考え方やイメージ;偏見、 前もって考えられた見解」というところか・・・なるほどなぁ・・・である。



黄砂

2007-04-02 00:04:53 | 自然
昨日の黄砂はすごかった。終日曇り空で昼から雨も降ったけれども、うす雲の上空がさらに黄色く曇っていて、たまに差し込む太陽の光も黄色味を帯びていた。景色全体が不安げに暗い黄色に覆われている、というような雰囲気の一日だった。今夜も黄砂はまだ届いているようで、明るい満月も周囲にモヤがかかったような輝きだ。

このあまり愉快とはいえない砂の小粒は、遠く西に離れた中国大陸の更に奥地の中央アジアの砂漠地帯から偏西風に乗ってやって来るらしい。マスコミは随分大変なことのように報道しているが、大気は絶えず世界中を循環しているという事実の一つの表れにすぎない。



海水もそうだ。こないだは南予(愛媛県南部)に巨大なクジラが現れて、それを外洋に助け出そうとした方が一人亡くなった。南海の暖かい海水が徐々に北上傾向を強くしてるらしく、いつもより水温が高い。その暖かい海水に乗って、イルカやクジラなど瀬戸内海ではなかなかお目にかかれない種類の海生哺乳類も北上してきているのだ。海水も温かい水を冷たい場所に送り、海洋全体を攪拌しながら、一つの恒常性を保とうとしているのだろう。

人間は基本的に地上の生き物で、簡単には大地を離れることはできないが、他の生物たちと同様、その生命を保持し成長させるために不可欠な「空気と水」は、常に絶えることなく地球上を循環している。そこに政治的な国境などないことは言うまでもない。国家の利害などというちっぽけな次元をはるかに超えた、物と情報の共有世界を成していると言っても良いだろう。この自由な空気と水の世界に何らかの壁や境界を作って、驚くほど壮大な循環運動を止めてしまったら、その絶妙なる力用はたちまち失われると同時に、この世界のほとんどの生命は死滅してしまうであろう。

私たち人間は、自然界にあるはずのないもの、あってはならないものを、あえて作り出すだけではなく、それを維持するために、いかに膨大で有害な無駄をしていることか・・・それに深く気付き、反省し、改善するしか進むべき道を他に持たない時代が、いよいよ今ここにある。