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庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

アマゾン

2007-04-08 09:11:31 | 拾い読み
先日、Amazonから数冊の本が届いた。珍しくその中に古本は混じっていない。私の乱読癖は相変わらずで、主には根気のなさによって、従には可処分時間と可処分金銭の限界によって、多くの作者には申し訳ないような、つまみ食い的「拾い読み」がほとんどなのであるが、中にはまれに熟読し何度も読み返すものもある。

どの本が熟読・精読に値するかは、とりあえず拾い読んでみないと分からないので、懐(ふところ)具合によほど余裕のあるとき以外は、まず身近な図書館の蔵書に検索をかけて探してみる。かなりの確率で求めるものが存在する。図書館のネット利用は、時間と費用の大変な節約になり、3週間の貸し出し期間は、5冊程度の本を拾い読むには充分な時間だ。

拾い読みの結果、どうしても手元に置いておきたい本や図書館には無い本が出てきたらリストアップしておいて、Amazonの購入予定リストに加える。そして、そのリストがある程度の量になったときに、その時点での懐具合と相談しながら取捨選択して購入決定のアイコンをクリックするということになるのだ。

英文サイトではかなり以前から、日本語サイトでも近年徐々に、ほとんどの古典や多くの古典的名著がUPされるようになった。これは乱読人間には涙が出るほど嬉しい僥倖であり、論語や荘子、万葉集や徒然草、エマソンやアクトンの原著などもネットで簡単に読むことができる。今や私の総読書量のざっと50%がこのインターネットの恵みによっている。パソコンで読書することの利点については、いろいろ思うことがあるのでまたそのうち書く。

さて今回は、山田風太郎と加藤周一と鶴見和子。風太郎の『人間臨終図巻・3巻』は、図書館の2巻本の拾い読みから。『戦中派不戦日記』は大岡昇平の『俘虜記』の流れ。加藤周一の『日本人とは何か』はどうやら2冊目。『日本文学史序説・上下』はいつか読もうと思いながら、私の文学的無教養の壁が邪魔して今まで手を出さずにいたもので、そろそろ読んでおかないと加藤先生に申し訳ないような気がしたので今回勇気を出したもの。鶴見和子の『遺言』は、新聞の書評欄を読んで、「これは絶対に読んでおかないといけない」と直感したから。

今日は鶴見和子の事を少し・・・およそ社会学系統の学問をかじった人間で彼女のことを知らない者はいないのだろうが、私はほとんど何も知らないに等しかった。つまり今まで彼女の書いたものを一冊もまともに読んだことがなかったということだ。鶴見俊輔に関係する人だから相当な女性に違いない、という程度の認識だ。その彼女が、昨年の夏に亡くなり、今年の1月30日にこの『遺言』が出版された。

この本を「読んでおかないといけない」と感じた最大の理由は、その書評の一文「死んだものの立場から見た日本がどう見えるか、そしてそのことによって日本を開いていきたい・・・世に残す言葉として九条を守ってください」にあった。この稀有な女性学者がこの世界を去る間際に「遺言」として残した最後の言葉に「九条」の二字があったからである。

今、半分ほどじっくりと読ませてもらって、ほんとに良い本を手元に置いたと思っている。書評で紹介された遺言の最後の部分を長めに引用しておく。

「エコロジーというのは、近代科学の中でも先端科学です。非常に新しい科学です。それが到達した仮説と古代思想とがまったく一致するということに驚いたんです。だから私たちは、日本の中の思想にこういう普遍的な考え方があって、古代に芽生えたけれども、近代の科学によって証明されている、それらの思想が一致するということに、もっと自信を持ちたいと思います。漫荼羅の思想は、相手が気に入らないから殺しちゃう、排除しちゃうというもんじゃないんです。いくら相手が気に入らない、私と違う意見を持っている、違う思想を持っている、それでも話し合い、付き合うことによって補い合うことができる、助け合うことができる、そういうゆったりした思想なんです。ところが今、世界中を支配しているのは、自分が持っている文明が最もいいのだ、これと違うものは排除する、殺しちゃう、破壊しちゃうという思想です。そうすればその文明自体も弱くなる。そういう教訓なんです。
 私は、我が去りし後の世に残す言葉として、九条を守ってください。漫荼羅の持っている智恵をよく考えてください。この二つのことを申し上げて、終わりたいと思います」