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庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

二つの暴力

2007-04-18 21:31:14 | 政治
昨日は酷い一日だった。アメリカ・バージニアの大学で32人もの学生が射殺され、日本・長崎では市長が射殺された。米日で発生した2つの暴力がマスコミを通して多くの人々を震撼させた。

共に拳銃によるものであり、アメリカの学生は犯行後自殺し、日本の暴力団員は生きて逮捕されている。これから、彼の国では銃社会の是非について再び議論が渦を巻くだろうが、つまるところ相変わらずの「銃規制不可」に落ち着き、銃規制国家の此の国でも法の網をすり抜けた殺人的暴力の道具がなくなることはないだろう。

それぞれ社会的背景は異なるにせよ、私はこの種の“暴力”を絶対に許すことはできない。此の国の事件について、多くの政治家は「民主主義に対する許すべからざるテロだ」と非難するが、私はどちらも「生命の尊厳に対する悪魔の狂気だ」と断ずる。

しかし一方、アフガンでもイラクでもイスラエルでも、更に大きな国家規模の暴力が継続している。国家社会が国家間紛争や社会紛争の暴力的解決を許容している以上、その構成員つまり国民や市民の間に起こる対立紛争を平和的に解決せよと命じても完全な説得力は持ちようがないであろう。

殺人という行為が“絶対悪”ならば、国際社会においては紛争の解決手段を戦争という暴力に求めてはならず、国内社会においては死刑という合法的殺人もあってはならないはずである。そして、残念ながら、此の国でも彼の国でもその他多くの国々でも、国家主権の壁と応報刑主義の残存によって、未だどちらも根絶するに至っていない。

此の国は惨い戦争体験の後、崇高な理想を掲げた全く新しい憲法によって国家を立てた。そして60年以上に渡って、少なくても愚昧な戦争からは自由になり、驚くべき経済成長と世界への平和的貢献という大きな成果を残してきた。これは世界中の良識が等しく認めるところである。ところが昨今、誰が何を思って始めたか、この人類が辿るべき進化と成長の道を逆戻りしようという動きがあちこちで勢いを増しつつある。その動きの背後には同盟国である彼の国の動きが伏在していることは明らかであろう。

今回の二つの許すべからざる惨事は、この歴史的退行現象と無関係ではないように思われる。そしてこの私の観方が正しければ、今後も様々な形で同じような惨事が続くことになるであろう。全くやり切れない思いである。