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 危機迫る(2)

 バルト地方は森林資源に恵まれ、農業が発達し、良港をもつことから、近世以来、ドイツ、スウェーデン、ロシアなどが、この地の支配をめぐり、争ってきた。

 フィンランドはスゥエーデン王国の支配の後、19世紀初め、ロシア帝国領になった。
エストニア、ラトビアはドイツ騎士団、続いてスゥエーデン王国の支配の後、18世紀、ロシア帝国領になる。

 リトアニアはポーランド・リトアニア共和国であったが、18世紀末のポーランド分割により、ロシア帝国領になった。


 20世紀に入り、1917年のロシア革命の後、民族自決の流れに乗り、1918年、バルト三国とフィンランドはロシアの支配から離れ、独立を達成する。

 バルト三国は議会制に基づく共和国体制となる。

 しかし、社会主義政党から保守政党まで、多くの政党が乱立する。
結果、短命政権が続き、政情は安定しなかった。

 安定を求める動きに乗じ、1920年代末から30年代初めにかけて、各国でクーデターが起こった。
そして、議会を解散させる。

 それ以後、バルト三国では、大統領独裁の強権政治が続くことになる。

 参考図:「ウィーン体制の画像」、http://www.bing.com/images
     
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