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 その後(1)

 第二次世界大戦後、バルト三国は三つの社会主義共和国になり、それぞれソ連邦の一員となった。

 ソヴィエト化が進み、農業の集団化、基幹産業の国有化、重工業化が行われる。
それに伴い、重要ポストに就くためや、人口損失を補うため、多くのロシア人が共和国に移ってきた。

 工業生産は上昇したが、多くの利益は連邦政府が吸い上げられ、地元住民の生活向上にはつながらなかった。
さらに、公害問題も深刻化する。

 だが、連邦政府の締め付けや、国内の民族対立のため、共和国独立の動きは抑えられていた。


 しかし、1985年のゴルバチョフソ連共産党書記長の誕生で流れが変わる。
「ペレストロイカ(改革)」の動きに合わせ、バルト三国で人民戦線組織が誕生、民主化と独立回復を訴える。

 大きな示威行動が行われた。
そして、東欧での変革、冷戦の終結が後押しする。

 ソ連軍の介入、モスクワでのクーデターなど、揺れ戻しはあったが、1991年、ついにバルト三国はソ連邦から離脱、独立を達成した。

 三国は、独立後の市場経済への移行の不安定期を乗り越え、2004年には、EU、NATOへの加盟を実現させた。

参考図:「バルト三国」、Wikipedia


     
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