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 情報収集 in 幕末(1)

 ここは長崎出島。
日本で唯一、海外に開かれた港である。

 入港を許されているのは二か国のみ、中国(清)とオランダだ。
年に1から2回、日本との交易のため、両国の船がやってくる。

 江戸幕府は鎖国政策をとっているため、日本人は海外に渡航することができない。
よって、外国の事情は長崎にやってくる船を通してしか、わからない。

 そのため、長崎奉行所は両国の船に、海外情報の提出を求めていた。

 それらの情報は、中国船からのものは「唐風説書」として、オランダからのものは「和蘭風説書」としてまとめられ、幕府中央に送られた。


 1838年(天保9年)冬、長崎奉行所の与力、不破政義は来航した中国船から提出された書類を受け取る。
そばで中国語の通詞(通訳)である山中慎之介は、その内容を与力に伝える。

 参考図:「長崎出島」、Wikipedia

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