フィンランドでは、独立当初、革命勢力と政府との争いが、内戦に発展する。
この外国勢力も加わった内戦は、1年後に政府軍の勝利となる。
そして、中道の連合政権が誕生する。
政権は内戦で分裂した社会を一つにすることを重視、経済を発展させ、福祉政策を導入する。
しかし、1930年代当初の世界恐慌の後、保守・ナショナリズムの波が押し寄せる。
その結果、保守派内閣が誕生するが、バルト三国とは異なり、議会制度は維持された。
1939年、ソ連はフィンランドにも相互援助条約締結を迫る。
領土交換、ソ連軍の主要港使用、ソ連軍の進駐を含む内容だった。
圧倒的な軍事力の違いから、国内では妥協すべき、との意見も出たが、徹底抗戦の強硬派が主導権を握り、挙国一致内閣を誕生させる。
同年12月、ソ連軍はフィンランド南部に侵攻する。(「冬戦争」)
ソ連軍は短期で決着がつくと思い、準備不足で戦いを始めた。
しかし、フィンランド軍は周到な準備と地形を利用した巧みな戦術で、ソ連軍を悩ませる。
ソ連軍は大損害を出したのち、大軍を増派し、ようやく翌年3月に休戦にこぎつけた。
フィンランドは、領土の10%を失ったが、独立は維持できた。
そして、何よりも、内戦で分裂した国内が一つにまとまることができたのである。
参考図:「冬戦争の画像」、http://www.bing.com/images
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