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英語で読む海戦史(36)

原書は、著名なアメリカの海戦史家Samuel Eliot Morisonの「The Two-Ocean War」です。内容は第2次世界大戦におけるアメリカ合衆国海軍の太平洋と大西洋における戦いを描いたものです。日本との太平洋における戦いの部分に関しては、光人社から「モリソンの太平洋海戦史」(大谷内一夫 訳)として出版されています。あまり知られていない、ドイツとの大西洋における戦いの部分に関して、英語の勉強をかねて読んでみました。

(原文)
Chapter ⅩⅡ Atlantic (August 1943―June 1944)
36.
Four weeks later, at a point about halfway between the Canaries and the Cape Verdes, Captain Dan Gallery, commanding the Guadalcanal escort carrier group, performed the unusual feat of boarding and salvaging a U-boat. At 1110 June 4 a DE of his screen, Chatelain (Lieutenant Commander Dudley W. Knox Jr.) made a sound contact on U-505. Brisk action followed. Two other DEs bore in to assist, Wildcats circled overhead like hawks, and Guadalcanal swung clear at top speed since, as Captain Gallery wrote, “A carrier right amack at the scene of a sound contact is like an old lady in a barroom brawl. She has no business there, and can do nothing but get out of the way.” Chatelain delivered a full depth-charge pattern which caught the Germans just as lunch was being served, holed the outer hull and rolled the boat on its beam ends, dumping crockery, food and sailors into the bilges.

Some of the men, panic-stricken, rushed up to the conning tower shouting that the boat was sinking; the skipper, taking their word for it, blew his tanks and surfaced. A boarding party from DE Pillsbury, specially trained to profit by such circumstances, swarmed on board, closed sea cocks, disconnected demolition charges, and took over. Guadalcanal passed a towline and, until relieved in mid-ocean by a fleet tug, towed the captured boat toward Bermuda. U-505, after serving as a “tame submarine” during the remainder of the war, found a final resting place in the Chicago Museum of Science and Industry.

(訳)
第12章 大西洋の戦い(1943年8月―1944年6月)
36.
4週間後、カナリア諸島とグェルデ岬のほぼ中間で、護衛空母ガダルカナル・グループを率いるギャラリー大佐は、Uボートに乗り込み、捕獲するという特別な手柄をたてた。  6月4日11時10分、グループの護衛駆逐艦のシャトラン(艦長ノックス大尉)はU-505を音で探り当てた。  すばやい行動が続いた。  他の2隻の駆逐艦が援助にかけつけ、ワイルドキャット戦闘機が鷲のように上空を旋回した。  ガダルカナルも最高速度で旋回したが、ギャラリー大佐は後に次のように書いている。  “音響探知の場面における空母の役割は、バーでの老婦人のようだ。  彼女には何の仕事もなく、出て行く以外することがない。”  シャトランは全面に爆雷をばら撒き、それはドイツの潜水艦を捕らえた。  Uボートではランチの最中だったが、爆雷は外側の船体に穴をあけ、Uボートをビームまわりにローリングさせた。  食器や食べ物、水兵達は船体の隅に叩きつけられた。

何人かの水兵はパニックに陥り、Uボートが沈みつつあると叫びながら、司令塔に駆け昇った。  艦長はその言葉を聞き入れ、Uボートのタンクに空気をいれて水面に浮上した。  駆逐艦ピルスベリーから、特別にそのような状況に対応できるよう訓練された攻撃チームが潜水艦にさっと移り、海水弁を閉じ、自沈用爆薬を取り除き、そして潜水艦を乗っ取った。  ガダルカナルは引き綱を渡し、中部大西洋で艦隊のタグボートに交代するまで、バミューダに向け捕獲したUボートを曳航した。  U-505は戦争の残りの期間、“降伏した潜水艦”として勤務した後、シカゴ科学工業博物館で最後の休息場所を見出した。

(注釈)
            護衛空母は商船を改造したものが多い。  速力は遅く、武装は最小限、船体も薄く、攻撃には弱かった。  しかも航空機燃料を大量に積載しているため、燃えやすかった。  しかし、船団護衛の対潜水艦戦には絶大な威力を発揮した。  日本海軍も戦争の最終時期に投入したが、時すでに遅かった。

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