日本兵の中国山西省残留事件を調べていくうちに、残留部隊の一員だったという佐藤さんに会うことができた。
鹿児島にある佐藤さん宅の縁側で話を聞く。
「山西は中国の奥地だ。無事に日本に帰れるかどうか心配だったよ。」
「山西には共産党系の八路軍と国民党系の閻錫山軍がいた。」
「自分たちは、閻錫山軍にのみ降伏しろ、と命令された。」
「そのうち、皆が無事復員するためには、保安のための残留部隊が必要ということになった。」
「“お前、残れ”と上官に言われれば、拒否はできないよ。」
実際は、閻錫山と日本軍首脳との間での裏取引があったのだが。
「閻錫山軍兵士の訓練に当たっていたが、半年ほどして部隊は解散となったんだ。」
この時、アメリカの調停で国共停戦協定が結ばれ、日本軍残留部隊解散命令がでたのだった。
「自分は復員したが、現地除隊し残留した兵士が2、3千名はいたと思う。」
停戦協定はすぐ破られ、共産軍と国民党軍との間で激しい戦いが始まった。
「残った奴らは大変な目に遭ったと思う。命拾いをしたよ。」
佐藤さんは遠くを見るような表情をした後、奥に引っ込んだ。
しばらくして、紙片を手に戻ってきた。
「復員するとき、残留組の中に、内地での連絡先を交わした友人がいたんだ。」
「これがそれだ。」
「その後、連絡されたんですか?」
「いいや、その後の戦乱の中で、無事に帰国したとは思えない。」
大津が、その友人、国分亮の住所を捜し、尋ねた。
そこには、年老いた夫婦と兄家族が住んでいた。
「亮は台湾で無事に暮らしています。」
母親は一通の葉書を差し出した。
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