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第5話(2)

 金門島砲撃戦(2)

 不調はすぐにわかった。
タービンの回転音が、以前聞いた音と明らかに違った。
駆動軸の振動も大きい。

 聞けば、駆動軸部のオイルシールを交換したことがないとのこと。
オイルシールが摩耗して抵抗が大きくなったため、出力が十分でないのでは、と推測した。

 海軍工廠に行き、日本軍が残していった備品を調べた。

 「あった!同じ規格のオイルシールだ。」
工廠の作業員に依頼し、軸受け部を分解、オイルシールを交換してもらった。

 
 結果は上々で、速力は27ノットまで出るようになった。

 上機嫌の副長が、
「丹陽の活躍を見せてやる。但し、中国人李 達としての乗艦だ。」
「また、写真撮影はダメ、記事にするのもダメだ。いいな。」
「了解しました。謝々。」

 中華民国軍の支配する金門島は、中国大陸の福建省厦門から、わずか7キロに位置している。
1949年10月に人民解放軍がこの島に上陸作戦を決行したが撃退された。
以来、この島を巡って両軍の緊張状態が続いている。

 最近、金門島前面の大陸に空・海軍を含む解放軍の大部隊が集結しているという情報が入り、“丹陽”らの艦艇も台湾海峡に出撃することになったのだ。

 “丹陽”は18ノットの速力で、台湾海峡に向かう。
朝日を浴び、主砲や甲板は油を塗ったように輝いている。
大津は潮風を全身に受け、生き返ったような気分になった。

 海峡は、アメリカ第7艦隊が睨みをきかせている。
“丹陽”は大陸よりを巡航する。

 夕方、艦内が急に慌ただしくなった。
「戦闘配置に付け」のブザーが鳴り、水兵が駆け足で担当部署に着く。
大津は兵員室に避難した。

 「共産軍が金門島に大規模な砲撃を開始した。上陸があるかもしれない。」
解放軍は数百門の火砲で、1日に数万発の砲弾を金門島に撃ち込んだ。
それに対し中華民国軍も反撃し、熾烈な砲撃戦となった。

     
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