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第2話(1)

 蝕まれる祖国(1)

 18世紀末、ヨーロッパは激動の時を迎えていた。

 北ヨーロッパではプロイセン王国が急速に台頭してきた。

 フリードリヒ1世は、ヨーロッパ4位の強力な軍隊を作り上げた。
次のフリードリヒ2世は、産業を育成し、富国強兵政策を強力に推し進めていた。

 東ヨーロッパではロシア帝国がその版図を拡げ、女帝エカテリーナ2世のもと、その黄金時代を迎えていた。
中央ヨーロッパでは、オーストリア帝国の皇帝妃マリア・テレジアが婚姻関係を利用し、諸国に大きな影響力を行使していた。

 上記3国は、国王または皇帝が専制支配する独裁国家だったが、ここに全く新しい政治体制の国家が誕生する。
フランス共和国である。

 1789年に革命が起こり、国王、聖職者、貴族による封建体勢が崩された。
国民議会が誕生し、人権宣言が出され、国民主権が唱われた。
1793年には、外国の援助を得ようとした国王を処刑、共和制となった。


 このフランス革命は、他の絶対王制をひくヨーロッパ諸国に衝撃を与えた。
オーストリア、プロイセンが革命を圧殺しようと、フランスに干渉戦争を仕掛ける。
それは、イギリスを中心とする対仏大同盟へとつながっていく。


 ポーランドのスタニスワフ国王や一部の貴族は、このフランス革命の精神に影響を受け、立憲君主制を柱とする政治改革を行おうとした。
しかし、フランス革命の波及を恐れるロシアは、軍事力でこれを圧殺した。

 参考図:「朝日百科 世界の歴史(18世紀)」、朝日新聞社、1991
     
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