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第5話(3)

僕にとっての終戦(3)

 兵藤は特攻隊での経験から、“自分にはつきがある”と思っていたので、悲観的にならなかった。
“それに特攻隊のときのように1人じゃなく、大勢であの世にいけるなら、賑やかでいいや。”

 次の日の早朝、昨夜見た夢が正夢になった。
真っ白い巡視船が、1キロほど先に現れた。
「オーイ、オーイ!」
オールを振り上げ、力の限り叫ぶ。
------- ------ ------

 巡視船の航海士に聞いたところ、救助された地点は、対馬北東50キロの海上だった。
もう少しで、広い日本海を漂うことになったわけだ。
門司で取調べを受けたが、打ち合わせ通り、操業中の浸水、転覆で押し通した。

 1950年9月15日、マッカーサー率いるアメリカ軍は、ソウル西方20キロのインチョンに奇襲上陸した。
形勢は逆転し、北朝鮮軍は算を乱して敗走する。
アメリカ、韓国軍は9月27日にはソウルを奪還、その5日後には38度線を突破して北上を開始した。

 日東丸密輸団は解散となった。
皆それぞれの居場所を求めて、散っていく。
兵藤も織田船長から積立金をもらい、福江島を離れた。
「元気でな。」
「お世話になりました、面白い体験をしました。」

 兵藤は、門司市でアパートの一室を借りた。
障子を開けると、船が行き来している、灰色の海が見えた。

 日東丸に乗っていた、暇なとき読んだ海技試験の問題集を引っ張り出す。
勉強など長い間、していなかったせいか、自分でもびっくりするほど、頭に入る。
筆記と口述試験を受けた。
片腕での実務経験が認められ、乙種船舶通信士の免許を取る。

 すぐ、海運会社に出向く。
簡単な面接の後、採用された。
朝鮮戦争が激しくなり、日本-韓国間の軍需物資の輸送が大幅に増加し、乗務員は不足していた。
門司―プサンを結ぶ、リバティ型貨物船(アメリカの戦時標準貨物船)に通信士として乗り込む。

参考図:「アジアの歴史」、歴史教育者協議会、あすなろ書房、1997
     
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