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第3話(2)

 造反有理(2)

 京生の通う中学校でも、校長ら幹部を批判闘争大会にかけ、追放した。
造反派教師と生徒代表による管理が始まったが、すぐ派閥対立が発生した。

 最初は革命を進める手法の路線対立だったが、それが教師間の確執や利益に基づく対立となった。

 「先生、生徒の関係で教える授業は、ブルジョア的だ。」
「教室にいては、革命はできない。外に出よう!」

 京生ら紅衛兵グループは
<チンピラ、やくざ、悪質分子を撲滅しよう!>
として街に出、それらしい相手を逮捕、尋問、暴行を加えた。

 学校では、授業を少しでも進めようとする教師、生徒の部屋に乱入し、批判闘争をする。
このようにして、学校の管理は急進派グループが掌握した。


 しかし、京生らは自分たちの立場の危うさを実感しており、立場を強固にするため、大学造反派や大工場の造反派との連合を計った。
そして「赤色造反団」という大組織の傘下に入った。

 中学校での京生らの紅衛兵グループの立場は安定したが、結局中学生グループは大きな組織の“兵隊”になってしまった。

 「赤色造反団」は省官庁、省党本部、新聞社、大工場に押しかけ、そこの造反派と組んで「走資派批判大会」を開き、実権派を糾弾した。


 「赤色造反団」は永続革命(革命は何度でも繰り返し行わないと、修正主義に陥る)を唱えていたが、より現実的な路線をとる「中央造反団」が、同じ南京市で活動していた。

 2つの組織は犬猿の仲であり、互いの活動拠点を襲う“武闘”を繰り返していた。

 ある夜、京生も「中央造反団」が占拠している工場の建屋への攻撃に参加した。

 投石し、バリケードを押しのけ、棍棒でもって相手を叩きのめす。

 足を引きずりながら襲撃から引き上げるとき、京生の心に疑問が湧いてきた。
“同じ革命の意志を持つ仲間同士で、こんなことをして何になるのだろう?”

 参考図:「中国文化大革命の大宣伝」、草森紳一、芸術新聞社、2009
     
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