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海賊王、モーガン(12)

 原本はイギリス人、Laughton, John Knoxにより書かれた「Sea fights and adventures, described by John Knox Laughton」(1901年刊)で、カリブ海を舞台に私掠船(しりゃくせん:国黙認の海賊船)の活躍を青少年向けに描いています。  現在騒がれているソマリア沖や南シナ海の海賊と違い、当時の私掠船は国同士の勢力争いの影の尖兵の感があり、また植民地からスペインが奪った黄金財宝を横取りするという爽快感もあります。  まずは読んで見ましょう。

Morgan, the king of buccaneers(12)
 It is upwards of a hundred miles long, and some seventy or eighty miles in its extreme breadth; but the channel from town to the sea, though leading through swamps often flooded, is really very narrow, and the entrance is scarcely more than a hundred yards wide.

 Here a fort commanded the passage; and as a few years before a noted French buccaneer called L’Olonnais had sacked the town, the fort had been repaired and armed. It was not, however, effectively manned, and, after a short engagement, the Spaniards sought safety in flight. Morgan landed his men, spiked the guns-that is, drove large nails into the touch-holes-threw down the parapet, took on board his ships all the powder and small arms which had been left behind, and so entered the lake.

海賊王、モーガン(12)
 潟湖は上方に100マイルの長さがあり、最大幅は70~80マイルある。  しかし、たびたび洪水になる湿地を通る、町から海に通ずる水路は大変狭く、その入口は100ヤードを越えるか超えない狭さである。

 ここに船の航行を見下ろす城砦があった。  2、3年前フランス人のバカニーア、ロロノアが町を略奪したときから、城砦は修理され、武装は強化されていた。  しかし、効果的に要員は配置されておらず、短時間の戦闘ののち、スペイン兵士は我が身かわいさに逃げ出してしまった。  モーガンは部下を上陸させ、大砲の点火孔に大きな釘をさしこんで使用不能にした。  さらに胸壁を打ち壊した後、敵が残していったすべての火薬と小火器を自分たちの船に積み込み、湖に侵入した。

(ひとこと)
 モーガンの襲撃の3年前、悪名高いロロノア率いる海賊一味がマラカイボとヒブラルタルを襲った。  そして、暴虐の限りを尽くした2ヶ月の占領のあと、26万ペソにおよぶ現金と略奪品を得た。  しかし、すぐに素寒貧になり、次なる遠征を試みたが失敗、最後は部下ともどもインディオに捕まり、殺された。
〔参考文献:ジョン・エスケメリング著「カリブの海賊」、誠文堂新光社〕
     
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