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日本海海戦(9)

 原本はイギリス人、Shippen Edwardにより書かれた「Naval battles of the world: from Salamis to Japan Sea」(1905年刊)で、サラミスの戦いから日本海海戦までの歴史的な海戦を紹介している。 日本は周囲を海に囲まれてはいるが、とても海洋国家とはいえない。日本人がはるかなる海に眼を向けたのは、室町や明治のほんの一時期にすぎない。世界では海の支配をめぐり、いくたびかの戦いが繰り広げられた。それを垣間見ることにより、歴史の舞台では忘れられがちな部分にスポットを当ててみよう。

Battle of the Japan Sea (9)
[by Sydney Tyler]
 The ultimate task of the fleet was to regain mastery of the sea from Japan, in undisputed possession by reason of having destroyed the Russian Pacific squadrons at Port Arthur and Vladivostok. Vladivostok, Russia’s sole remaining port in the Orient, was the destination. From that point it was intended to assail Japan on the sea; to interrupt the transport service, which was vital to her army then in the midst of a victorious campaign, 300 miles from the sea, in the heart of Manchuria, and thus cripple and harass the Island Empire until no other course than to sue for peace would be open to her.

 The task is enormous; so vastly difficult, indeed, that until the actual departure of the fleet few, anywhere, believed that such a plan was seriously contemplated. Even when departure had been made, expects rather held to the view that Russia, herself, meant to ask for peace, and was merely making a demonstration that might be counted on to modify Japan’s demands.

 After leaving the Straits of Gibraltar the fleet divided, one division, under Admiral Rojestvensky, proceeding by way of the Cape of Good Hope, and the other, under Admiral Vollkersham, going via the Suez Canal. Rojestvensky had with him most of the battleships and Vollkershamthe majority of the cruisers.

日本海海戦(9)
[シドニー・タイラー著]
 ロシア艦隊の最終任務は日本から制海権を奪い返すことだった。  なぜなら旅順港とウラジオストック港のロシア太平洋艦隊は日本に破壊されてしまったからだ。  ロシアに残った東洋における唯一の港、ウラジオストックが艦隊の行き先だった。  艦隊は、ウラジオストックから日本を海上で襲撃しようと意図していた。  海から300マイル離れた満州の心臓部で、勝利に向け作戦行動中の日本軍にとり不可欠の海上輸送を妨害し、さらに日本帝国領土を繰り返し攻撃しようとした。  そうすることにより、日本は休戦を乞う以外に道はなくなるだろう、と考えたのである。

 任務は大きく極めて困難だったので、艦隊の出発直前まで、この計画は深刻に討議された。  出航してからでも専門家達は、ロシアは平和を求めており、この艦隊出撃は日本の要求を和らげるのに効果があるかもしれないデモンストレーションにすぎない、という見解を持っていた。

ジブラルタル海峡で艦隊は2隊に別れ、1隊はロジェストウェンスキー提督のもと、喜望峰へと進み、他隊はフェルケルザム提督のもと、スエズ運河を目指した。 ロジェストウェンスキーはほとんどの戦艦を引き連れ、フェルケルザムは大部分の巡洋艦を引き連れていた。

(ひとこと)
 海戦の主役、戦艦性能の見てみよう。  日本艦隊の旗艦三笠(イギリス製)とロシア艦隊旗艦Kniaj Swarov(クニャージ・スウォロフ)を比較した。  ロシア艦の建造国は不明だが、当時世界の造船技術をリードしていたイギリスの戦艦をまねたものと思われ、両戦艦の戦闘力は互角と見られる。
          「三笠」       「クニャージ・スウォロフ」
排水量       1万5140トン       1万3516トン
主砲    12インチ×4        12インチ×4
副砲        6インチ×14        6インチ×12
魚雷発射管     18インチ×4       18インチ×4
主機関    レシプロ蒸気機関1万5000馬力  レシプロ蒸気機関
速力         18ノット           18ノット
〔参考文献:図説「日露戦争 兵器・全戦闘集」、歴史群像、学研〕
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