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第1話 (1)

基地進出(1)
 開戦から1年、1942年が過ぎ去ろうとしていた。日本から離れること5千Km余、南の果て、ソロモン海のガダルカナル島をめぐる日本軍とアメリカ軍の激しい戦いは終わりを向かえようとしていた。 

 島をめぐりいくたびもの海戦が戦われた。 双方の損害は多大だった。 駆逐艦以上の大型軍艦の損失は、日本軍13隻、連合軍21隻に及んだ。 日本軍は航空機も900機を失い、練達のパイロット2,500人が南海の空に散った。 日本軍の敵情誤認と手を伸ばしすぎたことで、制空権を奪えず、海軍は勇戦したが敵艦隊を撃破できなかった。 陸軍は補給が途絶えたため、餓死者が続出し、壊滅の危機にあった。

 大本営はガ島からの撤退を考えていた。 そして、それに続くアメリカ軍の追撃を阻止すべく、ガダルカナル島より北の島々に飛行場の建設を始めた。 ニュージョージア島のムンダとコロンバンガラ島のビラで、その周辺に各種防衛陣地、補給基地、水上機基地、魚雷艇基地を建設する作業も始まった。 これらの島々は火山島で、珊瑚礁に囲まれ、島は濃い熱帯雨林に覆われており、何箇所かにイギリス植民者が開拓した農園が打ち捨てられていた。

 年が明けた2月、20余隻の駆逐艦による決死の救出作戦により、1万余の陸海軍兵士をガダルカナル島より撤退させた。 皆、栄養失調で歩くのも覚束なかったという。 こうして陸軍だけで2万余の戦病死者、餓死者をだしたガダルカナル島の戦いは終わった。
     
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