私はアントワーヌ・ローラン・ラヴォアジエ。
私の家は代々法律家の家柄であり、父はパリ高等法学院付の弁護士をしている。
私もパリ大学法学部を卒業し、弁護士の資格を取った。
その後徴税請負会社に入り、徴税請負業務管理のノウハウを学んだ。
3年後、出資者から多額の借金をして徴税請負人の地位を購入した。
父は
「もう少し経験を積み、資金を蓄えてから請負人になったらどうか。」
と反対したが、私は
「ブルボン王朝の財政は逼迫しています。国王陛下のため、少しでも早くお役に立ちたいのです。」
半分本当で、半分は嘘だった。
私は、法律の勉強より自然科学に強く惹かれていた。
80年ほど前、イギリスのニュートンらにより提唱された力学的自然観は、学問を神学の呪縛から解放したのだった。
“ものごとの本質は理性により解明できる。”
“全ての現象には法則性があるはずだ。”
“全ての物質は、それ以上分解できない元素からできているに違いない。”
“よし、私がそれらを解明してやるぞ!”
そのためには実験装置が必要で、それらはとても高価だった。
必要な実験装置をそろえる資金を獲得するため、実入りの良い徴税請負の仕事を始めたのだった。
(徴税請負人)
フランスのブルボン王朝は塩税や葡萄酒税、消費税などの間接税の徴収を徴税請負人に委託した。
請負人は予定税収を前納しなければならなかったが、予定税額より徴収税額が多ければ、その差額が請負人の収入となる。
その収入から借金返済金、利息、運営費などを差し引いた額が請負人の純利益となった。
フランス全土に請負人は40人前後おり、その年収は平均的職人の年収の100倍を超えていた、という。
請負人は、為政者にとっては国家の柱であり、民衆にとっては私腹を肥やす、人の血を吸う吸血鬼だった。
参考図:「朝日百科 世界の歴史(18世紀)」、朝日新聞社、1991
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/1a/1e1555e4d3e07868f3ef9a9713bd0808.jpg)