1,2ヶ月もすると、体も馴れ、夜の学習会で居眠りすることもなくなった。
落ち着いた眼で開墾した土地を見渡すと、ここが畑として使えるのか、疑問が湧いてきた。
畑に使う水の手当が、計画されていないのだ。
水は何キロも先の河から、人力で運ばねばならない。
そのことを生産隊長に話すと、
「現段階では、開墾面積を増やすことが最優先だ。」
「点数を上げないと、予算が削られる。」
事故も起こった。
寒風吹きすさぶある日、土砂崩れで何人かが生き埋めになった。
仲間の1人が死亡、3人が街の病院に運ばれた。
1年もいると、いろいろなものが見えてくる。
仲間の内、党幹部の子弟は、いろいろな理由をつけ、離石を抜け出していった。
また、人民公社内で、幹部と一般農民の間には、明らかな生活水準の差があった。
幹部は上からの指示に従うだけで、現場の現実を伝えない。
農民はあきらめ、ノルマをこなす以外、考えない。
“これではダメだ。何かが、おかしい。”
口には出せない。
生産は上がらず、上部機関からはどやされる。
ある夜の集会で、京生は、思い切って提案した。
「井戸を掘っては、どうでしょう。」
たちまち、周りから非難される。
「今まで何回も試みているんだ。若造が、何も知らんくせに。」
「もう一度やってみましょう。このままだと、せっかくの開墾も徒労に終わります。」
長老が賛成し、下放の仲間の一グループで水脈探しを始めた。
1ヶ月後、山裾に湿り気のある場所を見つけた。
公社の若者も加わって井戸を掘り、手作りのポンプを作った。
少量だが、水をくみ上げることができた。
「万歳、万々歳!」
少なくとも、水の運搬距離が半分に縮まったのだ。
春、開墾地にトウモロコシの茎葉が顔を出した。
それらは、陽光の下、緑に輝いていた。
参考図:http://www.gettyimages.co.jp/detail/ニュース写真
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