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英語で読む海戦史(3)


原書は、著名なアメリカの海戦史家Samuel Eliot Morisonの「The Two-Ocean War」です。内容は第2次世界大戦におけるアメリカ合衆国海軍の太平洋と大西洋における戦いを描いたものです。日本との太平洋における戦いの部分に関しては、光人社から「モリソンの太平洋海戦史」(大谷内一夫 訳)として出版されています。あまり知られていない、ドイツとの大西洋における戦いの部分に関して、英語の勉強をかねて読んでみました。

(原文)
Chapter Ⅴ Destruction in the Atlantic
3.Operation Paukenschlag (Roll of Drams), as the Germans called it, opened on 12 January 1942, when a British steamer was torpedoed and sunk about 300 miles east of Cape Cod by U-123. Two days later, enemy submarines moved into the shipping bottleneck off Cape Hatteras. Three tankers in succession were sunk on 14 and 15 January. Next day the U-boats sank a Canadian “Lady boat” and two freighters, then three tankers in succession and three more before the end of the month. Thirteen vessels in all, measuring 95,000 gross tons (and 70 per cent of this tanker tonnage), were lost in a little over two weeks.

(訳)
第5章 大西洋での破滅
3. ドイツ軍呼称“ドラムの轟き”作戦は1942年1月12日、イギリスの汽船がU-123にコッド岬300マイル東で雷撃され沈んだその日、に開始された。2日後、敵の潜水艦群はハッテラス岬近くの狭い航路に入り込んだ。そして、1月14、15日に3隻のタンカーが立て続けに沈められた。次の日、Uボートはカナダの “Lady boat” と2隻の貨物船を沈めた。さらに続けざまに3隻のタンカーを、さらに月末までに3隻を沈めた。たった2週間ちょっとで、全部で13隻、トン数にして95,000トン(その70%がタンカー分)が失われた。

(注釈)
 当時のアメリカの原油生産地はテキサス州と南米ベネズウェラだったので、アメリカ東部工業地帯との間でタンカーの航行が多かった。たった5隻のUボートでこれだけの戦果をあげられたことから、アメリカが潜水艦による通商破壊攻撃をまったく予想していなかったことがわかる。

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