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第2話(1)

最後の航海(1)

 3月28日早朝、阿波丸は錨をあげ、シンガポールを出港した。
阿波丸は2年前に長崎造船所で竣工したばかりの総トン数1万2千トン、航海速力16ノットの優秀船だ。

 港内には小型船やジャンクが多く、大型船は数える程しか見えない。
もう、南方占領地と本土とを結ぶ海上ルートはほとんど切断されているのだ。

 10日前にシンガポールを発ったタンカー3隻、貨物船1隻の船団の運命は悲惨だった。
海防艦を主力とした護衛艦隊が10隻もついていたにも拘らず、南シナ海で潜水艦とB25に執拗に攻撃され、輸送船4隻全部、海防艦3隻が海の藻屑となった。

 ここ3ヶ月の間にシンガポールを出港した大型輸送船29隻中、21隻が沈められているのだ。

 阿波丸は船の喫水線が見えなくなる程、大量の荷物を積み込んでいた。
船は緑青色の南シナ海をジグザグ航行もせず、まっすぐ16ノットで進んでいく。
攻撃されないと言っても戦争中のことだ、何が起こるかわからない。
機雷、誤認による雷撃や爆撃、海難事故-----。
「門司まで1週間の航海だ。頼む、無事に着いてくれ!」

 その頃、フィリピンを制圧したアメリカ軍は、沖縄に上陸しようとしていた。
その作戦を支援するため、東シナ海と南シナ海では40隻のアメリカ潜水艦が作戦行動中だった。

 日本とアメリカの間で、赤十字救援物資を輸送する阿波丸の安全航行の保障の取り決めがなされており、同船の航行日程もアメリカに通達された。
太平洋艦隊司令官ニミッツ大将から太平洋潜水艦隊本部に、阿波丸を安全に航行させるよう、命令が出され、各潜水艦にも送られた。
しかし、故意か偶然か、行き違いがあったのだ。
     
     
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