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スペイン黄金船団(2)

 原本はイギリス人、Laughton, John Knoxにより書かれた「Sea fights and adventures, described by John Knox Laughton」(1901年刊)で、カリブ海を舞台に私掠船(しりゃくせん:国黙認の海賊船)の活躍を青少年向けに描いています。  現在騒がれているソマリア沖や南シナ海の海賊と違い、当時の私掠船は国同士の勢力争いの影の尖兵の感があり、また植民地からスペインが奪った黄金財宝を横取りするという爽快感もあります。  まずは読んで見ましょう。

The Spanish Treasure Ships (2)
 The gold and silver found in Mexico was, in the same way, brought on the backs of mules to Vera Cruz, or other places on the coast, and shipped from there to Havana. And besides these, there were other places on the mainland, or, as it used to be called, “the Spanish main,” from which some treasure came. There was also much other merchandise which I will not stop now to specify.

 Some was collected in South America; some at Manila, whence it was brought across the Pacific and carried in bales across the Isthmus. But all the ships gathered at Havana, and sailed once a year from there for Cadiz. These ships formed what was called “the treasure fleet,” and very often “the plate fleet” or “the flota”; and you will easily understand that the safe arrival of this fleet was a matter of very great importance to the Spanish government, and indeed to all Spain.

スペイン黄金船団(2)
 メキシコで掘り出された金銀は、同じようにラバの背に乗せられメキシコ湾岸のベラクルスなどに運ばれ、そこからハバナに船で送られた。  このほかに、“スパニシュ・メイン”(南米北部カリブ海沿岸地方)と呼ばれた地方からも財宝が運ばれていた。  ここでは述べないが、そのほかにも多くの産物が船積みされた。  

あるものは南アメリカで集められ、またあるものはマニラで集められた後、はるか太平洋を越え、パナマ地峡を越えて運ばれたのである。  これらすべての船はハバナに集結し、1年に1度、ハバナからスペインのカディスまで航海した。  これらの船は船団を組み、“黄金船団”とか、“銀船団”、“フロッタ(フロテイラ)”と呼ばれていた。  お分かりのように、この船団を安全にスペイン本土まで航海させることは、スペイン政府にとり、まっこと全てのスペイン人にとり最重要なことであった。

(ひとこと)
 スペインにとり新大陸の植民地は、まさに打ち出の小槌だった。  輸送船団はスペイン本土のカディスを出航し、カナリア諸島を通り、カリブ沿岸のカルタヘナ、ポルト・ベロ、ハバナに至った。  ペルーやメキシコ、その他の地方からの金銀財宝はパナマ地峡やメキシコ内陸を通り、ポルト・ベロやベラクルスからハバナに送られた。  集積された富を満載した船団はカリブ海の北航路をとり、アゾレス諸島を抜け、カディスに帰港した。  それが1年に1回繰り返された。
     
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