顕正会事件簿&破折資料室

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「本門戒壇の大御本尊御安置の処」は、広布前でも後でも「事の戒壇」なる事。その文証

2005-01-06 04:08:13 | 顕正会研究資料
戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり。此の戒法立ちて後、延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじき処に(『三大秘法抄』)

☆ポイントは3つ。
1.本門事の戒壇建立の地は、「霊山浄土」にも劣らない場所である。
2.そして、一切衆生の罪障消滅の処である。
3.事の戒壇が建立された時点で、延暦寺の戒壇は失効する。


教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり。神力品に云はく「若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、乃至般涅槃したまふ」云云。此の砌に望まん輩無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん。(『南条殿御返事 弘安四年九月十一日』)


☆「教主釈尊の一大事の秘法」とは、法華本門の三大秘法の御事であります。
☆「かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき」、生身の日蓮大聖人・本門戒壇の大御本尊の住処は、題目修行の道場・本尊所住の処です。つまりこの意味においては「義の戒壇」です。と同時に、そこは「霊山浄土」にも劣らない場所、つまり最高の幸福実現の場所でもあると仰せです。すなわち「事の戒壇」です。
☆「法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊し」、最高の秘法である「教主釈尊の一大事の秘法」=三大秘法を事相に顕わすがゆえに、生身の日蓮大聖人・本門戒壇の大御本尊の御事を最高に貴い本尊と拝していくべき事。そして、その住処こそを最高の幸福実現の場所として拝していくべき事を仰せです。最高の幸福実現の場所とは、すなわち「事の戒壇」です。
☆「此の砌に望まん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん」、”此の砌に望まん”とは、御供養・参詣の意です。生身の日蓮大聖人・本門戒壇の大御本尊の住処は、一切衆生の罪障消滅の場です。だから常に御供養・参詣すべきであると仰せです。

受持即受戒なり(『上行所伝三大秘法口決』)

持経の処即戒壇なり(『上行所伝三大秘法口決』)

☆御本尊受持が末法唯一の戒です。御本尊を受持する場が戒壇です。

本門戒壇
 在々処々本尊安置の処は理の戒旦なり
 富士山戒壇の御本尊御在所は事の戒なり
(43世日相上人 聞書『三大秘法之事 大貳阿闍梨御講』)

☆本門戒壇の大御本尊御安置の処が「事の戒壇」であると仰せです。


御遺状の如く、事の広宣流布の時、勅宣・御教書を賜わり、本門戒壇建立の勝地は当国富土山なる事疑いなし。又其の戒壇堂に安置し奉る大御本尊、今眼前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇・真の霊山・事の寂光土にして、若し此の霊場に一度も詣でん輩は無始の罪障忽ちに消滅し(第60世日開上人『御宝蔵説法』)

☆広宣流布の暁には「御遺命の事の戒壇」が改めて建立されることを大前提とした上で、広布前だからといって本門戒壇の大御本尊御安置の処を「単なる義の戒壇にすぎない」などと下すことなく、現時における「事の戒壇」とも拝すべきであるとの御指南です。