顕正会事件簿&破折資料室

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「御遺命の事の戒壇」実現を目指して、共にたたかわん

2005-01-10 04:46:05 | 顕正会研究資料
<顕正会の邪説>
一国広布の事相に建てる戒壇しか「事の戒壇」と呼んではならない。広宣流布以前における本門戒壇の大御本尊御安置の処は、単なる「義の戒壇」である。これを「事の戒壇」と呼べば謗法である。59世日亨上人は、

唯一の国立戒壇すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する(『富士日興上人詳伝』)

と仰せられている。歴代上人の御指南もみなそうなっている。

<破折>
26世日寛上人の口伝である『三大秘法之事』には

本門戒壇
在々処々本尊安置之処ハ理ノ戒壇也
富士山 戒壇ノ御本尊御在所ハ事ノ戒也

と示されている(43世日相上人聞書)。

さらに60世日開上人は『御宝蔵説法』において、

その戒壇堂に安置し奉る大御本尊今現前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇、真の霊山・事の寂光土

と御指南されている。これらの証拠は無視するのか?

また、顕正会が自分たちの正当化のために59世日亨上人の『富士日興上人詳伝』を引用するなどとは笑止千万である。上に引用されている「事の戒壇」についての文も、六大秘法中の「事の戒壇」にさらに広布の前後に約せば、現時における相と事の広宣流布における相との二がある、つまり「事相の戒壇」は将来に属する、ということを説明されているものでしょう。

そもそも日亨上人はその同じ本の中で、顕正会が唱えているような「広宣流布の暁には大石寺を捨てて天母山近辺に戒壇を建てる」という説は全面的に否定されておられるし、浅井さんが天母山戒壇伝説=大石寺歴代の御相伝と主張する唯一の証拠として持ち出している「日興上人の大坊棟札」と称するものについては、江戸時代の偽作であるとはっきり断定されておられるのである。

「事の戒壇(=本門戒壇の大御本尊御安置の処)」に
「義理(根源、現時)」と「事相(御遺命の戒壇、広宣流布の暁)」という
「相」の変化が想定されているもの、と解釈すべきである。


浅井さんが戒壇について言っていることは確かに部分的には一理あるのだろう。私も一度は信じた。だが、改めて御書と歴代上人御指南を読み直し、全体的に照ら合わせて見ると、やはり浅井さんの主張にはあまりにも資料の誤読にもとづくものが多いと思う。

「根源・現時における事の戒壇」を認めず、
「現時は『本門戒壇の大御本尊御安置の処』も、その他の『御本尊所住の処』も、みな等しく義の戒壇」
とあくまで言い張るならば、それは、「御本尊なら何でも一緒!」と言っているのと同じ事である。創価学会と同質の大謗法発言である。

別に、「御遺命の事の戒壇」の実現は諦めて、その建立を目指さないなどと言っているのではない。顕正会の諸君が目指している(つもりになっている)以上に、我が日蓮正宗法華講は、広宣流布・御遺命の事の戒壇実現を目指して真剣に活動している。

ただ、もともと顕正会=浅井一派は、創価学会・正本堂憎しの余りに
「現時における本門戒壇の大御本尊の御安置の処は、現時における事の戒壇ではない、義の戒壇に過ぎない」とか、
「現時における本門戒壇の大御本尊の御安置の処に御供養・参詣しても、大聖人の御意に叶わないから功徳は無い。罪障を積む」
などという主張をしたに過ぎないのである。それが、創価学会も正本堂も総本山から姿を消した現在になってもなお素直に復帰を願い出ることができず、会長一個人のくだらないプライドを守るために、御相承否定の大謗法までをも敢えてなし、ますます引っ込みがつかなくなっているというだけなのである。

戒壇の大御本尊様への純真な信心をまだ失っていない顕正会員の諸君に告ぐ!

一体いつまで、現時における本門戒壇の大御本尊御安置の処などほったらかしにしておけと、そんなことより顕正会員の数を増やすことの方が大事だと、心の中で大石寺を尊崇しておけば現実世界ではないがしろにしてもいいんだと、そんなふうに言い続けるつもりなのだろうか。挙句の果てには、現実に本門戒壇の大御本尊様に日々常随給仕されている御方である御法主上人を相承なきニセ貫首などと悪罵して、結局のところ、本門戒壇の大御本尊様自身を軽賎し奉っているではないか。あれこれ言い訳して大聖人の墓輪番をサボった五老僧と同じことである。だから君たちは謗法者集団だと言うのだ。

「御法主上人に対する最近の誹謗中傷についてだけは、いかに浅井先生の指導といえども内心賛成しかねるので、実はなるべく加担してないようにしている」という会員の生の声を、しばしば耳にするようになった。私も、顕正会在籍当時はそのようにしていた。だが、いかに一分の道念ある会員が個人的に組織方針に抗って宗門攻撃を自粛しようとも、所詮は無意味なことである。そのような人とて顕正会に身を置き続ける限り、与同罪による大罰は免れようもないのである、と経験者は語る(^^;)...

一日も早く、脱会すべきである。そして、日蓮正宗法華講の旗の下に、「御遺命の事の戒壇」実現を目指して、共にたたかわん。

4 コメント

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私には (う~ん…)
2006-02-13 00:37:18
一体何を信じれば良いのか分からなくなる一方で混乱してます。では何故阿部菅長は退座したのですか?何故菅長が本を書いた翌日に御開扉出来なかったのですか?何故贅沢三昧をさんざんしてるのですか?
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Unknown (kane)
2006-02-28 21:21:03
>では何故阿部菅長は退座したのですか?



御自らの御老身に鑑み、後進に道を譲って人心を一新し、以って平成21年立正安国論750年・地涌倍増へ向けた日蓮正宗僧俗のさらなる大折伏に期待し、広布への前進を期さんがための御決断であります。



浅井先生の「諌暁」とやらは、一切関係ありません。「いや、そんなはずはない!絶対に浅井先生の強烈の諌暁を恐れたからに決まっている」などと、あなたがたは妄想をたくましくしていることでしょうが、実は創価学会や正信会も、「我々が送りつけた退座要求書によって退座したのだ。大現証だ。我々の正義の証明だ」などと、全く同じような妄想記事を連日自分たちの機関紙に書きまくっているようですよ。



冷静になって考えてみてください。68世の新御法主・日如上人様は別に「御開扉を中止」なさりもしていないし、顕正会の国立戒壇論を用いる気配すらないではありませんか。血脈否定の謗法団体を宗内に復帰させるお考えなど、毛の先ほどもお持ちではいらっしゃいません。結局、御座替があっても血脈相伝にもとづく仏法の根幹は不変なのです。ですから、このたびの御座替によっていよいよはっきりしたことは何かというと、顕正会・学会・正信会などの謗法団体が戒壇の大御本尊様のもとへ戻れる日は、今後何代御座替があろうと永久に来ないんだ、ということなんです。



>何故菅長が本を書いた翌日に御開扉出来なかったのですか?



本を書いた翌日、とはいつのことを指すかよくわかりませんが、仮にあなたのおっしゃる話(日曜勤行の指導で聞いてこられた話でしょう)が事実だとして、何で顕正会はそんなことを知っているのですか?要は、顕正会がスパイを放ってるってことですよね?法華講に籍を置いて偽装しながら宗門情報を探り、奉安堂に潜り込もうとしたスパイがいたってことでしょう?仏弟子としてそんな謀略を構えて、恥ずかしくないんですかね?



まさに知るべし、そのような顕正会のスパイが潜入していたからこそ、諸天のはたらきによって御開扉は行われなかったのです。その日登山して巻き添えを食った法華講員は、また後日登山すれば済むことです。しかし、血脈否定の大謗法を改悔しない限り、顕正会員が御開扉の栄に浴する日は永遠に来ないのです。



ているがいるってことですよね?員は何故贅沢三昧をさんざんしてるのですか?



>何故贅沢三昧をさんざんしてるのですか?



贅沢三昧は浅井先生ですよ。浅井一家は世間の仕事を何もしてないのに、何であんな豪邸に住んでいるんですか?「御供養」を受けてよいのは仏法僧の三宝だけなのに、浅井一族は在家の分際で「広布御供養」という名目でお金を集め、そのお金を「本部職員としての報酬」などと称して、現に自分たちの懐に入れているではありませんか。



う~ん…様が早く血脈否定の大謗法を改悔して、本門戒壇の大御本尊様にお目通り叶う日の来たらんことを心からお祈り申し上げます。
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質問 (名無し)
2006-06-10 21:50:55
そもそも御開扉は許されているのですか?
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Unknown (kane)
2006-06-26 03:20:34
御開扉を許すも許さぬも、時の御法主上人がお決め

になることである。と、浅井先生自身が「試練と忍

従の歴史」の中でおっしゃっておられますが・・・



もし御開扉が許されぬ謗法行為であるなら、妙信講

時代に浅井先生が御開扉を受けていたことは一体ど

う説明するのでしょう。

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