すぐにネタ切れ

ネットから見た世の中のことなどをあれこれと

NEVADA現象

2004年08月22日 | ネットと社会
このブログでは8月3日から各エントリにアクセス解析をつけたのだが、それによって自分でも驚いた現象が起きていることがわかった。それは6月18日のエントリのNEVADAあれこれを閲覧する人が今もいるということだ。Javaが使えないせいかどっから来るのかわからないけどたぶん検索かけて来るんだと思う。それともどっかにリンクされてるのかな。

このエントリを投稿してから約2ヶ月たつがここを閲覧する人が1日数十人という状況が今もつづいている、事件そのものへの関心がいまだに高いということもあるが、イラスト、アスキーアート、そしてファンクラブと称する掲示板やホームページができるという「現象」が今も関心を呼んでいるのだと思う。でなきゃ「長崎小6女児殺害事件」てそのものズバリのエントリもあるのに「NEVADAあれこれ」のほうだけに人が来ることは無いでしょう。

実際にはリンク先の各掲示板も現在はほとんど廃れたような状態だし、イラストなども事件直後のように活発に新作が現れることもなくなっているのだが。

NEVADAと加害女児とはまったく別のキャラクターだとは言い切れないけどNEVADAと加害女児がかならずしもイコールでは無いとうのもたしかなことだと思う。しかし被害者側からだけでなく加害者側を含め事件の関係者すべてにとって不快な現象だとは思うが。

加害女児がほんとうに美少女かどうかはわからない、しかし、NEVADAちゃんファンクラブにリンクされている分析漫画には「セクシャルな魅力を感じている」と書かれている、それはあるのかもしれない。ホラー映画をはじめとして猟奇的な映画、漫画、小説などが昔から根強い人気のあるジャンルであるのはたしかなことだ。今回の「NEVADA現象」も人々が猟奇的な物に引かれるということと無関係ではないだろう。

ただインターネットの普及なしには今回のような現象は起きなかったことだろう。まず加害女児がホームページに文章を残していたことにより、ただの猟奇事件より人々の妄想をかきたてることになったと思う。未成年事件で本人情報が極端に少ないのに直接彼女の書いたものが出てくると言うアンバランスな状態がより人々の想像力をかきたて妄想を生み出していったのではないか、そして本来ならこうゆう妄想は人々の頭の中に描かれるだけの物だが、それがネットの中で発言やイラストとして公開されることにより、さらに人々の妄想をかきたてていった面もあると思う。

私には所詮陳腐な分析しかできないけれど、これら「NEVADA現象」と言えるようなことは社会学とか心理学とかできちんと分析、研究されたほうがいいのかもしれない、インターネットが人の心や社会にあたえる影響の一つとして。

研究したほうがいいかもとは言っても「NEVADA現象」は現状を見てもわかるけど一過性のものだ、度を越している所はあるけどワルノリという言葉で片付けてしまってもいいように思う。だって一番問題なのは何故彼女は殺人を犯すにいたったかってことだから。そして私にはそのことはまだよくわからない。