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ネットから見た世の中のことなどをあれこれと

今話題の騒動についての考察

2005年04月03日 | 社会
「お金は平等だ」「お金で買えないもの、例えば家柄や肌の色などは差別につながるんです」「お金には色は無い」これらは最近世間を騒がせている渦中の人が言ったことだそうだ。昔から同じようなことを言う人はいたし、たしかに、その通りだともいえる。しかし、「お金そのものは平等でも、お金を稼ぐシステムは、けして平等とは言えない」少なくとも私は、そう思っている。

アメリカという国は「お金は平等だ」ということをまさに国家的な理念としている。「アメリカンドリーム」という逃げ道(言い訳)を用意はしているが、その実さまざまな差別や不平等を内包しているのは説明するまでも無いだろう。そして、その「アメリカの価値観」を世界規模に拡大しようとする「グローバリズム」は「反グローバリズム」という反発を世界中から受けている。結局、1つの「ものさし」で物事をはかろうとすると矛盾が生まれ反発をまねくのだ。

彼の人は「世の中、お金だけじゃない」という理論は金を持ち、権力を持っている者が言っているだけに過ぎないという意味の発言をしているが、「お金は平等だ」というのも、また「金持ちの論理」にすぎないのでは無いかと思う。

彼の人が若者に支持される現象を、かつてのオウム真理教と酷似していると指摘している人達がいる。つまりオウム真理教が学歴や科学などの従来からの価値観や秩序に矛盾や疑問を感じていた多くの若者を引き付けたように、彼の人を既存の社会や体制に不満を持っている若者たちが、それらの打破を期待して支持していると。

しかしオウム真理教が若者たち(信者たち)に与えた価値観や秩序は結局、外の世界と何ら変わらぬものであった。教団のピラミッド状の組織体系の中で、金をより多く集めた者、信者をより多く入信させた者、そしてシステムや物(サリンなど)を作り出すなど、より教団に貢献した者ほど修行のステージが上がったと称され教団内での地位が上がっていった。会社組織の中で営業成績などの業績で係長、課長、部長と昇進していくのと同じではないか。

既存の価値観(ものさし)に疑問を感じ新しい価値観(ものさし)を若者たち(信者たち)は求めたのだが、結局あたえられたのは多少見た目が違うだけの同じような価値観(ものさし)でしかなかったのだ。

彼の人は思想家や革命家ではない経営者であり投資家なのだ。人の利益のためでなく自分の利益ためという彼が相対している人達と何ら変わり無い理由の元に行動しているに過ぎない。彼の人が声高に叫ぶ「株主の権利」も広く万民の権利を主張しているのではなく、自己の既得権益を主張しているだけだと考えたほうがいいだろう。

オウム真理教は教祖麻原を国家や法などを超越した存在として妄信する集団であったため社会との軋轢が生じた際、社会を直接的に攻撃するテロリズムへと走った。このことと彼の人が「法律に書いてないことは合法」という理論で従来からの慣習に対して敵対的とも見える行動を取ったこととを「似通っている」と指摘する人もある。

しかし、彼の人はあくまで法律を利用したに過ぎない。法律に対立したわけではない。彼の人の組織はあくまで株式会社であって宗教集団ではない。この点は、はっきりと明記しておきたい。しかし、彼の人が既存の秩序をかきみだしたこともまた事実であり、そのことはまた改めて書いてみたい。

以上、今話題の騒動をネットの片隅のさびれたブログよりコッソリと考察してみた。

*2005年4月7日一部加筆修正