■カンダタのブログ■

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「がんばれ」ではなく「逃げろ」、僕が戦ってきた「日本」というもの

2006年11月10日 00時03分55秒 | Weblog
いじめに関して、表面的なことじゃなくて本質について書きたかったんだけどなかなかうまくいかない。
そんな中、ああ、オレはこういうことが言いたかったのかという記事が2つあった。

一つはいつも見てる「毎日jogjob日誌 by東良美季」

日本には「論理」も「論争」も無い。
「論理」が無くて「空気」だけなのだ。

世の中にいる声が大きいだけの人達。
しかも本人達は自分には論理があると思い込んでいるのだ。
でも実際は想像力の欠如を大きな声でごまかしてるだけだろう。


二つ目は宋文洲氏のいじめが自殺につながる日本の「空気」と続編の逃げることは、決して負けではないという記事。
会員登録させられるけど適当に入力して是非読んで欲しい。
読者からのコメントもかなり熱い。

『僕が親からもらった最大の財産は、「我慢できなくなると逃げる」ということです。こんな態度は、日本では恐らく「情けない」「根性がない」と言われる方が多いでしょう。でも情けも根性も、健康に生きてこそ持てるものです。』

たったこれだけのしかも当たり前のことを教えてやれば子供は死ななかったのだと思うとやりきれない。



私は昔から「それっておかしいんじゃないの?」という論理的な疑問を、
東良さんのいう「そんなこと言っても仕方ないさ」「正論ばかりじゃ生きていけないよ」で返されてきた。
でも私はそんなのでは納得できないから、多くのことを世間の人達とは一緒にはやれなかった。

私はずっと「空気」ではなく「論理」で生きようとしていたのだ。
この2つの記事で自分が何をしたかったのかがよくわかったし、私の生きるスタンスというのが間違ってなかったと気づいた。

『でも自分は自分であると思い、また自分なりの目標があったので、無理に彼らの仲間になりたいと思っていませんでした。だから、そんな仕打ちを受けても全く意に介することはありませんでした。自分を見失わずに過ごしていると、最初は僕を相手にしないような人間も、いつの日か僕の価値に気づき、そして急に相手にするようになりました。それは妙に後味のいいものでした。』