セントレア物語 (上)
新国際空港「セントレア」常滑沖に決定
中部地方に国際空港の建設構想は、昭和41年3月8日「運輸省は愛知県の三河湾一色町沖に国際空港建設を、昭和50年までに建設をする計画をしている」と中野四郎国会議員が発表しました。また、3月11日には桑原愛知県知事も、県議会において「三河湾に国際空港建設を検討したい」と発言しています。
これは、名古屋空港が民間航空機と自衛隊基地と共用空港のほか、ジェット機の大型化に伴い将来空港運営に支障をきたすことが予想されるとのことです。
空港建設計画は、愛知県西尾市と一色町沖を埋め立て、面積1,655㎡の用地に主要滑走路長さ4,000m、幅45mの2本。第2滑走路として、長さ3,000mを計画し、事業費は当時で約500億円言われています。
昭和56年運輸省の交通基盤整備の三点セットとして、中部国際空港、リニア新幹線、第二東名自動車道整備の計画が示され、昭和60年12月に愛知・岐阜・三重の3県と名古屋市、地元経済界により「中部空港調査会」を設立し、新国際空港建設に向けての調査が開始されました。
中部空港調査会は、中部に空港を建設するならどこにするか、候補地の選定条件として面積は500ha、海上であれば水深20m以下で、周辺に大きな障害物がないことや騒音問題などから居住密集地にかからないこと。そして名古屋からのアクセスが30分くらいにあることなど、東海三県から地理・気象などの既存データから陸上2カ所、海上5カ所の7カ所からさらに、昭和63年12月に常滑沖、鍋田干拓沖、四日市・鈴鹿沖、三河湾の幡豆沖の海上4カ所に絞りこんだ。
平成1年3月22日中部空港調査会から空港建設候補地の報告を受けて、愛知・岐阜・三重の3県と名古屋市の首長が、伊勢湾上での4者懇談会で「伊勢湾東部の海上」を候補地とすることで合意されました。
平成2年5月「中部空港調査会」は「基本構想」を発表し、国への建設促進の働きかけをした結果、平成2年8月、国の航空審議会の「第6次空港整備計画5箇年計画」の中で「中部新国際空港が調査実施空港」として位置づけられ、総合的な調査費として平成3年度政府予算に1,000万円の調査費が盛り込まれました。
平成3年9月には中部国際空港は国の第4次総合開発計画の中で、名古屋圏に新国際空港の建設について、内閣総理大臣の承認を得ることができました。また平成3年11月には、国の第6次空港整備計画が閣議決定されました。
いよいよ建設へ動き始めましたが、調査費用の分担などを協議するため運輸省(現在の国土交通省)と地元自治体などで「中部国際空港調査連絡会」を組織しました。
今まで第一種国際空港整備は全て国が負担してきましたが、中部新国際空港は地元要望空港として、新空港建設の総合調査は地元が中心となって行い、国はこの調査費用の15%を負担することで合意されました。
中部国際空港調査連絡会の合意をもとに、平成4年度の国の予算に調査費として7,000万円を計上し、地元3県1市でも平成4年度予算に合計9億円の調査費を負担することとなりました。
この費用負担については、新空港は地元要望空港であり地元自治体に大きな負担がかかるので、建設費が低く抑えるため当初から建設候補地として「常滑沖」にすることでではないかと疑念を呈する人もいたが、騒音による環境問題や関西国際空港のような、軟弱地盤での建設には建設コスト面から常滑沖に決定されたと言われている。
建設に当たっては、成田国際空港や関西国際空港建設を踏まえ、当初から国と地域自治体との協同作業で進めるよう地元への情報提供を積極的に行い、理解を得ていくいわゆる「中部方式」がここにできあがりました。
当初、愛知漁連は現地調査を反対していたが、平成4年11月に中部空港調査会に「中部新国際空港に関する環境影響調査検討委員会」を設置して、環境影響調査の協力を地元自治体を始め関係団体等へ積極的に働きかけた結果、愛知漁連は方向転換し調査を受け入れることとなりました。
参考資料
中日新聞・名古屋タイムズ
中部国際空港のインパクト (国土庁大都市圏整備局編)
中部からの発信、空港調査を振り返って (財・中部空港調査会)
愛知県・中部空港調査会ホームページ
「中部新空港について」・広報とこなめ (常滑市)
新国際空港「セントレア」常滑沖に決定
中部地方に国際空港の建設構想は、昭和41年3月8日「運輸省は愛知県の三河湾一色町沖に国際空港建設を、昭和50年までに建設をする計画をしている」と中野四郎国会議員が発表しました。また、3月11日には桑原愛知県知事も、県議会において「三河湾に国際空港建設を検討したい」と発言しています。
これは、名古屋空港が民間航空機と自衛隊基地と共用空港のほか、ジェット機の大型化に伴い将来空港運営に支障をきたすことが予想されるとのことです。
空港建設計画は、愛知県西尾市と一色町沖を埋め立て、面積1,655㎡の用地に主要滑走路長さ4,000m、幅45mの2本。第2滑走路として、長さ3,000mを計画し、事業費は当時で約500億円言われています。
昭和56年運輸省の交通基盤整備の三点セットとして、中部国際空港、リニア新幹線、第二東名自動車道整備の計画が示され、昭和60年12月に愛知・岐阜・三重の3県と名古屋市、地元経済界により「中部空港調査会」を設立し、新国際空港建設に向けての調査が開始されました。
中部空港調査会は、中部に空港を建設するならどこにするか、候補地の選定条件として面積は500ha、海上であれば水深20m以下で、周辺に大きな障害物がないことや騒音問題などから居住密集地にかからないこと。そして名古屋からのアクセスが30分くらいにあることなど、東海三県から地理・気象などの既存データから陸上2カ所、海上5カ所の7カ所からさらに、昭和63年12月に常滑沖、鍋田干拓沖、四日市・鈴鹿沖、三河湾の幡豆沖の海上4カ所に絞りこんだ。
平成1年3月22日中部空港調査会から空港建設候補地の報告を受けて、愛知・岐阜・三重の3県と名古屋市の首長が、伊勢湾上での4者懇談会で「伊勢湾東部の海上」を候補地とすることで合意されました。
平成2年5月「中部空港調査会」は「基本構想」を発表し、国への建設促進の働きかけをした結果、平成2年8月、国の航空審議会の「第6次空港整備計画5箇年計画」の中で「中部新国際空港が調査実施空港」として位置づけられ、総合的な調査費として平成3年度政府予算に1,000万円の調査費が盛り込まれました。
平成3年9月には中部国際空港は国の第4次総合開発計画の中で、名古屋圏に新国際空港の建設について、内閣総理大臣の承認を得ることができました。また平成3年11月には、国の第6次空港整備計画が閣議決定されました。
いよいよ建設へ動き始めましたが、調査費用の分担などを協議するため運輸省(現在の国土交通省)と地元自治体などで「中部国際空港調査連絡会」を組織しました。
今まで第一種国際空港整備は全て国が負担してきましたが、中部新国際空港は地元要望空港として、新空港建設の総合調査は地元が中心となって行い、国はこの調査費用の15%を負担することで合意されました。
中部国際空港調査連絡会の合意をもとに、平成4年度の国の予算に調査費として7,000万円を計上し、地元3県1市でも平成4年度予算に合計9億円の調査費を負担することとなりました。
この費用負担については、新空港は地元要望空港であり地元自治体に大きな負担がかかるので、建設費が低く抑えるため当初から建設候補地として「常滑沖」にすることでではないかと疑念を呈する人もいたが、騒音による環境問題や関西国際空港のような、軟弱地盤での建設には建設コスト面から常滑沖に決定されたと言われている。
建設に当たっては、成田国際空港や関西国際空港建設を踏まえ、当初から国と地域自治体との協同作業で進めるよう地元への情報提供を積極的に行い、理解を得ていくいわゆる「中部方式」がここにできあがりました。
当初、愛知漁連は現地調査を反対していたが、平成4年11月に中部空港調査会に「中部新国際空港に関する環境影響調査検討委員会」を設置して、環境影響調査の協力を地元自治体を始め関係団体等へ積極的に働きかけた結果、愛知漁連は方向転換し調査を受け入れることとなりました。
参考資料
中日新聞・名古屋タイムズ
中部国際空港のインパクト (国土庁大都市圏整備局編)
中部からの発信、空港調査を振り返って (財・中部空港調査会)
愛知県・中部空港調査会ホームページ
「中部新空港について」・広報とこなめ (常滑市)