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長七たたき (人造石)物語 ) ~服部長七という人間像と人造石が固まる謎~

2012年05月11日 09時51分44秒 | まちの環境
長七たたき (人造石)物語 ~服部長七という人間像と人造石が固まる謎~

 はじめに

四日市港ポートビル
 三重県四日市港の開港100周年を記念して建設された、高さ100メートルの四日市港ポートビル14階には「うみてらす14」という展望・展示室があります。
ここからは遠く名古屋市街地や四日市コンビナート、知多半島の山影とセントレア(中部国際空港)から離着陸する飛行機そして、眼下には四日市港を見渡すことのできます。




この「うみてらす14」にある展望・展示室で気になる1枚のパネルを見つけることができました。明治21年の台風により堤防が破損したため、明治26年から「四日市港波止場修築工事」で延長199mの「潮吹き防波堤」が築堤されたとのことです。


潮吹き防波堤
五角形の穴から弱まった波が出てきます。
この防波堤(平成8年に国の重要文化財に指定)は、波を大小2つの堤防により消波するもので、この防波堤工事には伝統技術である「たたき」の技術で潮吹防波堤を築造した者こそ、「人造石」を発明した愛知県碧南市生まれの服部長七(はっとり ちょうしち)氏の紹介でありました。
 服部長七氏発明の人造石とは何か、また、この「長七」という人物について取材することにしました。
                           
第1章 服部長七の人間像
1 人造石の発明への道
  長七たたき (人造石)は、一般的に風化した花崗岩(マサ土)70%と石灰30%との割合で混ぜた物で、これは粘土50%、消石灰30%、砂20%に「にがり」を混ぜたものは更に強度が増すことが知られています。
長七たたきについては(株)INAX基礎研所のX線回折で、石英と消石灰の反応試験の結果、水と5倍濃度の海水中でともにカルサイト※、非晶質のCa-Si系水和物及び原料であることを確認されました。
5倍濃度海水中で反応後の資料からは、消石灰のピークが消滅しそれに伴ってカルサイトの回折強度が増大していました。塩化物溶液中では、消石灰と比較してCaの炭酸化が促進されて、たたきの固化物中において石英と消石灰の反応によりピークが消滅し、それに伴ってカルサイトCa-Si系水和物が、Alを含む長石及び粘土鉱物と消石灰の反応によりCa-Al系水和物が生成することが考えられるとしています。
また、塩化物の添加により、たたきの固化体中でカルサイトの生成が促進されることが考えられると考察しています。

       人造石(長七庵にて)  
                   
※(筆者追記)カルサイト:炭酸カルシウム(CaCo3)の結晶(方解石)。同質異像(結晶配列の違い)カルサイト、アラゴナイト、バテライトがあります。
長七たたき (人造石)はどのようなことから「にがり」を混ぜることを発見したかを文献からは見つけることができませんでした。

「にがり」をどのようにして混ぜることになったかを推理をしてみました。
一つに港や干拓を築くとき、海水で練ったり亀裂を防ぐため海水を掛けたりしたため「にがり」が混ざることになったのではないか。
 二つに長七は天保11年(1840)碧南市に生まれ、安政3年(1856) 16歳のとき、左官職人であった父が亡くなり家計のため豆腐屋を開業しました。
豆腐は豆乳に「にがり」を混ぜて固めることから、たたきに「にがり」を混ぜることにより強く固めることに気づいたとも考えられますが確認することはできませんでした。
「人造石」と呼ばれるようになったのは、明治14年(1882)第2回内国勧業博覧会で上野公園内のたたき工事を請負ったが、外国役人が視察に来た折り「この人造石は何か」と訪ねられたときから「長七たたき」を「人造石」と呼ぶようになったと伝えられています。

2 長七のマネージメント力
 明治26年当時は大型建設機械のない時代でもあり、毛利新田(愛知県豊橋市)の大規模干拓事業になれば、潮の締め切り工事には舟や土石の材料を近郷近在から、何千人にもなる人夫を雇い入れて、潮の干満を利用して短時間に施工する必要がありました。
しかし、この新田干拓工事では締め切り水門が壊れるという困難な干拓工事でありましたが、長七はこの工事を成功させるため、締め切り干拓工事現場の中央に指令役として立ち、また、要所・要所には監督者を配置するとともに、夜明け前の薄暗いなか締め切り位置を示すかがり火を焚き紅白に分かれ競争させるほか、紅白組とは別に予備隊を組織しておきて、紅白のどちらかが負けそうになると加勢する体制を整えるといった作戦でありました。また、勝者には賞金を出すなど人夫たちの士気を揚げる策もあったが、双方の勝敗をつける前に工事を終了とし、最後の締め切りは予備隊により完了させ、賞金を紅白双方に与え自分たちが勝利したと思わせる計らいもありました。このように人を動かすアイデアとマネージメント力で困難な工事を完成させたと伝えられています。
 
第2章 人造石が固まるメカニズム
1 長七たたき (人造石)とは
  「たたき」は、江戸時代から土間や井筒、流し場などで古くから用いられていたものです。「たたき」は小石の混ざった土と石灰、にがりを混ぜ叩いて固めることから「たたき」とか3つの材料を混ぜことから「三和土」ともいいます。
  特に愛知県三河地方から西日本でよく利用されました。これは、この地域では花崗岩が風化した土「サバ土、マサ土」が手に入り安かったからと考えられます。

2 たたきが固まるメカニズム(出典:INAX 基礎研究所)
(株)INAX基礎研所のX線回折では、構成相は石英、長石、雲母、カルサイト(炭酸塩鉱物)であると確認されました。この石英、長石、雲母は、たたきの主原料である風化花崗岩によるもので、たたきの化学組成から主成分はSiO2、Al2O3で、約7%のCaOを含まれており、消石灰に換算すると約10%に相当することになります。
しかし、文献に多く見られる長七たたきの調合では30%程度の消石灰を混合すると記録されておりますが、今回のたたき含有量測定値は2.76%であったと報告されています。
長七たたき化学組成(蛍光X線回折 重量%)
SiO2 Al2O3 Fe2O3 CaO MgO K2O Na2O TiO2 L.O.I
62.3 15.1 1.0 6.8 0.4 4.7 1.3 0.1 8.4

X線回折ではカルシウム化合物としてカルサイトのみが確認されており、全CO2がカルサイト中にあるとして仮定すると7%のCaO量のうち約50%がカルサイトとして存在することになる。しかし残りのCaOはどのような状態で存在するかは明らかにできませんでした。一つの可能性として、風化花崗岩と添加した消石灰が反応しケイ酸カルシウム水和物等が生成したことが考えられています。
その他にたたきの微構造から固化機構を検討するために、細孔径分布と偏向顕微鏡及び走査電子顕微鏡観察を行った結果、真土(マサ土)と消石灰と水を練り混ぜ十分締め固めたものと確認されました。

              水和反応    炭酸化反応 
Al源(粘土鉱物)花崗岩風化物+Ca(OH)2→CaCO3+H2O
CaCO3+ Ca(OH)2→CaO+CO2
CaO+ H2O→Ca(OH)2



3 たたきの強度
 たたきブロックの圧縮強度は、建材として通常用いられているコンクリートの1/15であったが、施工後約100年経た現在でも明らかにその形状を保っています。
 長七たたきの特性  
圧縮強度(MPa) かさ密度(g/cm3) 密度(g/cm3) 空隙率89(%)
1.59 1.64 2.65 38.1
   
第3章 愛知県内の長七たたき(人造石)工事


     百々貯木場跡

(1) 七たたき(人造石)工事は日本産業の基礎となるもので、各地でその遺構が残っています。
愛知県下の遺構の一部を紹介します。

① 百々(どうどう)貯木場跡 (豊田市)
中央の隧路の向こうは矢作川で、当時
 は矢作川の水で満たされていました。
木材を矢作川上流から流し、木材の
集積地として貯水場を設け、ここで筏
を組み、遠くは鷲塚(碧南市)まで行く
こともあったとのことです。




服部新田干拓堤防
①服部新田干拓堤防 (高浜市)
  現在、新田は埋め立てられ新田 開発に関係した工場が立地しております。 
新田の脇(大山緑地)には明治用水 
中井筋の落差を利用して(ドンドン 
と呼ばれていた)水力発電を行い、碧
南市新川地区へ送電していました。
水力発電所跡は民家があり、人造石の一部が遺構として見ることができます。 


    旧明治用水頭首口堰堤
 
② 旧明治用水頭首口堰堤 (豊田市水源町) 
   中央の堤防
   右上は現在の明治用水堰



      奥田新田樋門

④奥田新田樋門 (愛知県西尾市)
 明治31年頃築いたと思われる樋門
昭和19年12月南海地震、20年 
 1月の三河地震にも耐えた樋門



神野新田護岸観音
                           


⑤ 護岸観音 神野新田(愛知県豊橋市)
 新田の人造石による堤防約6Kmに明治28
年(1895)篤志家により、33体の石像が
建てられ新田を見守っています。
石像の間は50間(約100m間隔) ごとに建
てられています。

(2)アンコール遺跡の復旧
   カンボジアには9世紀から15世紀にかけ栄えたカンボジア王国アンコール朝の世界遺産の「アンコール遺跡」があります。このうち「アンコール・トム」、「アンコールワット」が有名です。
遺跡の修復は100年間続けられていますが、修復には最新技術を使用するだけでなく、その時代と調和をした技術を駆使するため、(株)INAX 基礎研所の「たたき」の研究成果が提供されました。
   日本の技術が世界の遺跡保存に生かされることとなりました。

おわりに
人造石遺構の取材に行ったとき、何か曳かれるように干拓工事碑を見つけました。
碑の背面に「南奥田新田干拓工事の記」があり、その一行に昭和19年・20年の南海地震と三河地震の2回の災害に「技術の進歩と人の和は遂に災害を克服せりと云ふ可し」とありました。この文を読んだとき、先人から東日本大震災にも「技術と人の和」で、震災を乗り越えることができる勇気の言葉を得ることができました。
最後に今回執筆にあたり浅井久夫氏からは、服部長七氏に関する資料の提供をしていただきました。また、INAX基礎研究所からは人造石に関する研究論文の引用を許諾



服部長七生誕地の碑
していただき執筆することができましたことを、ここに感謝の意を申し上げます。
                                  

服部長七生誕の地 
平成23年12月建立 
(愛知県碧南市西山町(旧北棚尾村))
 

参考資料
1 株式会社 INAX基礎研究所(引用許諾研究論文) 
 (1) たたきブロックの分析・評価
(2)「たたき」における反応生成物の評価
(3)土の常温固化に及ぼす各種添加物の影響(1)・(2)
(4)花崗岩風化土に含まれる鉱物と消石灰との反応とその強度発現
2 服部長七物語 浅井久夫氏
3 服部長七物語 碧南市教育委員会
4 服部長七伝 中根仙吉氏


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