カナの闘病日記

闘病記録&日々の生活について、徒然なるままに書き込みます(о´∀`о)

食物アレルギーの対処法 私見

2020-06-14 05:32:00 | 日記
朝が来ました。鳥が鳴き始めました

アナフィラキシーショックを繰り返すうちに、原因となる食べ物と、ある法則性が分かってきた。

①食べ物は、高価なもの、有機栽培など、手がかけられて大事に育てられたものほど、ヤバいです。→ ※例外で、安いインスタント焼きそばでもイチコロ
②生は加工品より危ないです。→でもインスタント焼きそばは、、略
③体調が悪い時、疲れている時、普段は大丈夫なものがダメになります。
④アルコールは増長作用があることを知った上で、自己責任で飲みましょう。
⑤触ると手が痒くなるものは危険です。
好物は、アレルギー物質とイコールの事が多く、摂取し過ぎてはいけない。疲れている時は特に体が求めるので、要注意 by主治医

対処法
①上記を踏まえて、状況に応じてリスク回避すること
②原材料を確認すること→不明な場合は食べない
③外食の際、予めアレルギーがある事を伝えたり、店員さんに確認すること
④周囲が止めたら、従うこと

私はこれを実践することにより、5年以上、アナフィラキシーショックで入院していません やれば出来る


30代 喘息&アレルギー

2020-06-14 04:36:00 | 日記
新聞配達の音がした
30代の記録。
30歳の時、2人目出産。復職後、出張先や仕事中にアナフィラキシーショックを起こし、同僚たちに救急車に運んでもらい、同乗してもらったり、出張先で運ばれた初めての病院でボスミン2倍投与事件により死にかけたのを側で付き添っていた上司に目撃されたりで、すっかり要注意人物として定着してしまった。
何度か繰り返すなか、アレルギー食品もわかってきた。紹介された大学病院では、自覚症状のないものまでたくさん明らかになった。
1万人に1人、あなたのような特異体質の方がいます、あなたを治すことはできないけど、あなたを調べることで、後世の人々にとって役立つ結果を得ることができる、とDrからモルモットを迫られたので、その日以来、大学病院には行ってない。擬似的にアナフィラキシーショックを起こして調べる、と言われて、誰がそんなツライ調査に協力できるだろうか。私はムリでした。世の中のお役に立てませんでした
34歳の時、2人目の流産を含めて、4人目の子がお腹にいた時、アナフィラキシーショックを起こし、救急治療の過程で命の選択を迫られた。結局、2度目の流産となってしまった。仮に生まれても酸素が十分に届かなかったから、何か問題があって生まれてきたら、間違いなく自分を責めたと思う。
次回は、アナフィラキシーショックの経験から、リスクの高い食べ物についてまとめてみます

20代 喘息&食物アレルギー

2020-06-14 03:31:00 | 日記
このまま朝になっちゃいそう(°▽°)

社会人になって25歳の時、重度の喘息発作で3週間入院。喘息で入院したのは初めてだった。
26歳で1人目を出産してから、アナヒィラキシーショックの症状がひどくなり、3ヵ月に1回の頻度でICU入院を繰り返していた。当分喘息の大発作という診断が下されてたけど、腑に落ちない。喘息はなかなか治らないのに、これで入院した次の日は必ず改善したから。また、喉の痒みと下痢症状から、喘息ではないと思った。ある時、全身に発疹が出て、ようやくアナヒィラキシーショックであることが判明。長い年月がかかったね。その後、ネットで調べて、県内のアレルギー専門医の病院へ受診。いまの主治医と出会いました 当時は、エピペンは日本では認可が下りてなく、お値段4.5万くらいで、携帯を勧められたけど断念。太ももに自分で刺す勇気もなかった

思春期の喘息&アレルギー

2020-06-14 03:03:00 | 日記
続きます

中学生の時は、陸上部で中距離専門だった。今思えば、喘息には致命的なスポーツだと思う。県大会前の健康診断では、喘鳴音で大抵Drストップだった
なので、高校入学前に高校の先生から陸上部にスカウトされたけど、お断りしました。
高2の時に、食物アレルギーのアナヒィラキシーショックを初体験。アレルギーによることを知るのは、10年後なので、当時はただただ耐えるのみ。食事の後、下痢症状&呼吸困難が起き、1時間耐えると治まる、が時々起きるようになった。何度か経験してから、親に相談したけど、あまり相手にされず、グレました
本当、この時は原因もわからず、一番ツラかった  
喘息は、冬場、自転車で20分かかる道のりで呼吸が苦しなるし、私にとって、高校中盤からは、あまり触れたくない、思い出したくない暗黒時代です

小学生までの喘息&アレルギー疾患歴

2020-06-14 02:31:00 | 日記
まだ、眠れない(@_@)

喘息とアレルギー疾患歴40年。というか、物心ついた時にはすでに自覚症状があった。一卵性の双子の姉も同じくだけど、いろいろ違う部分もあった。食べ物に関しては、姉だけ山芋食べると目が腫れていた。姉と違って私は鼻炎がひどく、常に鼻呼吸で、毎週耳鼻科に通っていた。鼻のすじが細いので、手術を勧められたけど、怖くて出来なかった。姉も私も動物好きで、2人で学校帰りに必ず立ち寄るワンちゃんが2匹いて、家に帰ると全身あちこち赤く痒みを伴って腫れて、触らないように親から言われてたけど、バレて叱られてた。
高学年になると、私の方が少し症状が顕著になり、呼吸が苦しくなって学校に親が迎えに来たり、部活の大会に出れないことがあった。
でも、この時はむしろ元気なほうだと思うし、アレルギーや喘息は、時間が経てば治まるので、病気とは思っていなかった。世の中的にもその程度の認識だったと思う。病院に受診することもなかった。