図書館・語り・紙芝居・集団相手の絵本よみ・ボランティアなどについて書きます。
絵解きボランティア
図書館おはなしのへや解放
2012-07-16 / 意見
ほんぽーと中央図書館ができて5年が経つのですね。
他のブログで、ほんぽーとのおはなしのへやに、ご本人が初めておはなし会をやった時のことが書かれていたので、思い出したことを書きます。
図書館が建設される前の設計段階で、利用者の意見を聞く集まりが何回も開かれたであろうことは、皆さん想像できるでしょう。ほんぽーともそうでした。
おはなしのへやの使い方について、当時のボランティアが集まって話し合いをしたことがあります。何回かに私も出席しました。東地区公民館のホールに机をロの字に並べて、そこに設計者の方や図書館の担当者、ボランティア(希望者が10人くらい)が座りました。図書館入門講座やステップアップ講座を受けられた方ならば良くご存知か、あるいは憧れの、ベテラン指導者ばかり、という顔ぶれです。
おはなしのへやの構造について、あまり飾りのないように作って欲しいという意見が大勢でした。他の地域では、人形や壁飾りやその他いろいろ要望もあるでしょうが、新潟市ではそういうことはありませんでした。飾りたい人は自分でその時にやればいい、という判断です。
もう一つ、どうしてそういう話の流れになったのか記憶にないのですが、「図書館ボランティアだけが使えるようにして欲しい」という意見があったのです。私も、他の参加者も、無言のまま「・・・・・」と考えこんでしまいました。
おはなしのへやは図書館の部屋である → そこでおはなし会をするのは図書館ボランティアである → 図書館ボランティアは図書館の指導を受けているのはあたりまえである → 指導を受けない人はおはなしのへやを使えない、という論法が頭の中をぐるぐるめぐります。
「みなさん、それでいいんですか」と、設計者の声がやたら大きく響いたような気がします。
私は、どうしても我慢ができませんでした。その論理もわかるのですが、どう考えても何かおかしいのです。自分が受けてきたいじめの根本原因に、なにか関係があるように思えましたし、一生懸命道具を揃えるかみしばいクラブの方々の、ごく普通の人々のイメージが頭にありました。
「公共施設なのだから、誰でも使えるようにして欲しい」と、言葉が口から出ました。
他の参加者の皆さんは悔しそうに下を向いたように見えました。肩をいからせた設計者や担当者がほっとしたように大きく息をつき、設計者が、コの字に机を並べた他の参加者をぐるりと見回すのを、私はぼんやりと見ました。私は間違っていないのだろう、と思いました。今、そのベテラン指導者の方々は、どのように思っているでしょうか。
今も、各団体の入会資格に「図書館講座、またはそれ同等の講座の受講者に限る」というような項目がある団体は多いです。
1年くらい前から、おおきなぬいぐるみのるーぽんが、おはなしのへやに置かれるようになりました。私などはそれを使って紙芝居をしたりします。最初の約束から外れたことかもしれません。時代とともに、人とともに、本を楽しむということは続くでしょう。本より人が大事です。
また、設計段階でそうなったのでしょうが、おはなしのへやの左手に小さな窓があります。扉を閉めても窓が外の世界とつながっているので、大切な窓です。おはなしの世界への集中が過度にならないよう、小さな息抜きになっているのです。けれど、どうも小さすぎて存在感がなく、ボランティアの荷物置き場になっているのが残念です。
関係して、平成15年の、日本図書館協会の児童図書館員養成講座のことを次に書きたいと思います。
他のブログで、ほんぽーとのおはなしのへやに、ご本人が初めておはなし会をやった時のことが書かれていたので、思い出したことを書きます。
図書館が建設される前の設計段階で、利用者の意見を聞く集まりが何回も開かれたであろうことは、皆さん想像できるでしょう。ほんぽーともそうでした。
おはなしのへやの使い方について、当時のボランティアが集まって話し合いをしたことがあります。何回かに私も出席しました。東地区公民館のホールに机をロの字に並べて、そこに設計者の方や図書館の担当者、ボランティア(希望者が10人くらい)が座りました。図書館入門講座やステップアップ講座を受けられた方ならば良くご存知か、あるいは憧れの、ベテラン指導者ばかり、という顔ぶれです。
おはなしのへやの構造について、あまり飾りのないように作って欲しいという意見が大勢でした。他の地域では、人形や壁飾りやその他いろいろ要望もあるでしょうが、新潟市ではそういうことはありませんでした。飾りたい人は自分でその時にやればいい、という判断です。
もう一つ、どうしてそういう話の流れになったのか記憶にないのですが、「図書館ボランティアだけが使えるようにして欲しい」という意見があったのです。私も、他の参加者も、無言のまま「・・・・・」と考えこんでしまいました。
おはなしのへやは図書館の部屋である → そこでおはなし会をするのは図書館ボランティアである → 図書館ボランティアは図書館の指導を受けているのはあたりまえである → 指導を受けない人はおはなしのへやを使えない、という論法が頭の中をぐるぐるめぐります。
「みなさん、それでいいんですか」と、設計者の声がやたら大きく響いたような気がします。
私は、どうしても我慢ができませんでした。その論理もわかるのですが、どう考えても何かおかしいのです。自分が受けてきたいじめの根本原因に、なにか関係があるように思えましたし、一生懸命道具を揃えるかみしばいクラブの方々の、ごく普通の人々のイメージが頭にありました。
「公共施設なのだから、誰でも使えるようにして欲しい」と、言葉が口から出ました。
他の参加者の皆さんは悔しそうに下を向いたように見えました。肩をいからせた設計者や担当者がほっとしたように大きく息をつき、設計者が、コの字に机を並べた他の参加者をぐるりと見回すのを、私はぼんやりと見ました。私は間違っていないのだろう、と思いました。今、そのベテラン指導者の方々は、どのように思っているでしょうか。
今も、各団体の入会資格に「図書館講座、またはそれ同等の講座の受講者に限る」というような項目がある団体は多いです。
1年くらい前から、おおきなぬいぐるみのるーぽんが、おはなしのへやに置かれるようになりました。私などはそれを使って紙芝居をしたりします。最初の約束から外れたことかもしれません。時代とともに、人とともに、本を楽しむということは続くでしょう。本より人が大事です。
また、設計段階でそうなったのでしょうが、おはなしのへやの左手に小さな窓があります。扉を閉めても窓が外の世界とつながっているので、大切な窓です。おはなしの世界への集中が過度にならないよう、小さな息抜きになっているのです。けれど、どうも小さすぎて存在感がなく、ボランティアの荷物置き場になっているのが残念です。
関係して、平成15年の、日本図書館協会の児童図書館員養成講座のことを次に書きたいと思います。
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