なぜ会の名前のブログに書くか

 紙芝居(集団相手の絵本の読み聞かせ)をやる人は、なーんも考えていない、と思われるかも知れません。もちろんそれでもよいのですが、時としてクリアしなくてはならないハードルがあります。
 そのハードルの前で立ちすくんだ時、ネットで探したり、仲間うちで話し合ったりするわけですね。当会でもいろいろな問題は出ます。それと共に成長していきます。
 絵本やお話の会、紙芝居の会の中で、とつとつとやっている私が、そのハードルをどういう考えでクリアしていくか、ここに書くことで、皆様の参考にしていただきたいと思っているのです。

 会の名前を使うのは、会そのものが問題と共にあるからです。それぞれの方は言葉にできないまま心の底にどんよりと沈んでいるのかも知れません。けれど、そういう問題を表に出した方が、よくありがちな「明るく楽しくやってまーす」式のHPより、ずっと周囲の信用は得られるものかと思います。良いことも悪いこともあることを表に出せる風通しの良い会であるというPRです。私が主体で、思うことを書いた日記です。運営費用は自分持ちです。
  絵本の集団相手読み聞かせも紙芝居も、絵を見せて語ることですので、本のことだけ分かればいいというものではありません。聞き手や仲間や周囲、ボランティアの感覚を織り交ぜながらの人間の活動です。そして、自分で問題を解決することそのものが楽しい「問題解決型学習」をしているのですね。

問題と解決を書いておきます。

1、「良い本(良いもの)を選んでとどけましょう」という呪文のようなものからボランティアが逃げることができないでいる。これは「おはなし会の成否は選書で8割、プログラムで2割が決まる」という呪文にも現れています。常識を疑うという概念がない様子がある。

****** それらは呪文でしかない。常識を疑うことをPRしたい。

2、「偉い先生が教えてくれる通りにしましょう」という依存本能をくすぐられること。みんな仲良くという意識が異論が出にくい土壌を作り、考え方も群れて、権力に寄りかかっていきます。

****** 「先生の理論」の矛盾を語り、情報カードとして異論を並べる習慣を提唱します。各自がそれらのカードを参考にしながら、自分で考えを新しく作り変え、それが変化することを楽しむのが「学び」だと、自分で割り切ることで どうでしょうか。

3、紙芝居は近代化が遅れました。そのため、のけ者になる可能性があります。

****** 今、それを良い方に捉えて利用する方法が、文化の多様性として、いろいろな人の存在を認める受け皿になります。絵本の読み聞かせでもこれを利用すれば活用範囲が広がります。これをPRするためには、タイトルに紙芝居の名前が必要です。会員さんそれぞれも多様性を足がかりにして活動しています。「ずるい」のではないと思います。
(翌日追記)
でも
あなた方が「ずるい」と思うのなら、それでいいです。「ずるずる石倉」のキャラクターでやろうかな。みんな、ブログやればいいのに。書くことが少なくて間違えるのがこわかったらツイッターでもいいし。ずるついでに、自主研修会世話人も辞めました。これはほとんど「依存」との差し違え(時代劇よろしく)ですね。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« ブログ訪問者... 22年春の実... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。