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汝の隣人が一流ならば

福音館書店の理念に、「絵本は大人が子どもに読んであげるもの」「大人と子どもが一緒に感動できる優れたもの」ということがあります。一流の作家を使うのだというのも会社の理念のようです。それらは新潟市の読み聞かせボランティアやブックスタートボランティアによく刷り込まれます。別の言い方ですが、「大人の鑑賞に堪えるもの」ということもよく聞かされました。
 
 ところで、キリスト教の教えに「汝の隣人を愛せよ」というようなこともあったはずです。では、「大人の鑑賞に堪えないもの」が隣人であるならば、「自分の趣味が一流だから、隣人を変えてあげましょう」というのが「愛すること」とでしょうか。
それとも隣人の趣味を認めて愛するのが正しいのでしょうか。
 私は後者だと思います。

 私がたびたび問題にするのは、みんなが「汝の隣人が一流ならば愛せよ」になっていることです。隣人が一流でなければ無視するか猫なで声で自分の趣味を押し付けるか、そういうボランティアがたくさん養成されたことは、何度も書きました。今も、「子どもにはこんな本を読んであげましょう」という講演はたびたび繰り返されています。それはそれで立派なことです。その会社やその会社に関係があるかないか分からない社外講師はそれらの理念に沿っておられるのでしょう。私などには関係なく、その信念は続くことでしょう。

 ところが、新潟市の図書館が「思想部分を福音館書店と東京子ども図書館に依存している」と仮定すると、これは大問題になると思うのです。
 以前から書いているように、私は個人的にはそれに付け加えて考えています。「子どもだけが好きなもの」こそ、「子どもの文化の本」なんじゃないかと。「大人の鑑賞に堪える」よりも「子どもの鑑賞に堪える」ことを大切にしてはじめて「こどもとしょかん」になるんじゃないだろうか、ということです。そういうことが、「子ども目線に立つ」ということでもあると思っています。「だからあんたは紙芝居でもやっていればいいのよ」などと罵倒されるかも知れませんが、公共図書館ですから、いろいろな文化が認められて当たり前で、無条件に汝の隣人を愛せる人間を育てるのが大切な役目だと思うからです。

 私には、教育が変わってきていることが分かります。
子どもには子ども独自の文化があることは、研究で分かっているんじゃないかと思います。そしてそれらはたいてい、大人が不快に思う部分が大きいんじゃないか、とも思います。下品で野蛮で、つまらないもの。マンガみたいなもの。第一、子どもの描いた絵なんて、一流作家のものとは比べものにならないし、という声がボランティアから聞こえてきてもおかしくありませんね。
「大人と子どもが一緒に感動できる優れたもの」という物差しの中にはとうてい収まるものではありません。
 ところで、例えば、発展途上の国の習慣や文化は、今の日本人から見ると受け入れがたいものもありますね。でも野蛮で下品だからといって日本人は攻撃したでしょうか。いいえ、そこから学べるものは学んできたんじゃないかと思っています。

 福音館書店や東京子ども図書館は、いろいろと条件をつけて自分たちを高めるのがお好きなのでしょうが、公共施設はそれでは困ります。条件を下げて、誰もが使いやすく、一流でなくても愛せる人間を作ってほしいです。そのためにベテラン(正規職員)が底辺にいて下を支えてほしいものです。

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