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なんとももったいない

『児童サービス論』の本のどちらかに書かれていた、ほんの一つのフレーズが心に残っています。今、手元にないのですが、「子ども時代は短いから、子どものうちにそれらの良い本に出会わずに過してしまうのはなんとももったいない」と、まあ、そんな内容でした。
 「なんとももったいない」の部分が、「家元の言葉のオウム返し」風ではありますが、こんな気分が、かつてボランティアに刷り込まれたように思えてなりません。今でも、一握りの「優良な本だけ」を集団相手の読み聞かせに使う団体もあるのです。「子ども時代は短いから、その他(おやつ絵本のようなもの、評価の定まらない本)の本を見せて時間を浪費させるべきでない」みたいな感覚ですね。

 それはそれなりに理屈の通った考えですが、私はこれを考え直した方がいいと思っているのです。例えば、お菓子に詳しい友達が、某有名店のお菓子をお土産に自分の家にやって来たとしましょう。そうしてこう発言する・・「あなたがこんなにおいしいお菓子に出会わないなんて、なんとももったいないと思ってるのよ」

そう聞いた時に、なんとなく上から目線とか違和感とかを感じてしまうのは、やっかみというものでしょうか。自分はこのお菓子の良さが分かる・さあどうだ・あなたもわかるでしょう・あなたのことはみんな私が知っているのよ・・・と言わんばかりの厚かましさ。こういう感覚で、本も押し付けられたらどうでしょう。ちょっとうんざりしませんか?ステップアップとして、こういう感覚をボランティアに植え付けるのは、皆に嫌われる人間を作るばかり。

「本の世界にいざなう」というのもありましたね。「自分は本の素晴らしさを知っている」だから自分が「いざなう」ということ。自分はいざなう側、相手はいざなわれる側。こういう感覚は「いざなう側」にすればとても甘美でさえありますが、「いざなわれる」相手の立場に立てばとても失礼ではないかと思うのです。相手を従えようとしているわけですからね。

微妙な感覚で、こんなことにこだわる私がおかしいのかも知れませんが、ともに楽しむ感覚になったほうが、相手からも信頼されるんじゃないかなあと思います。 

 

 

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