図書館は「棚を作る」か?

「棚を作る」という思想があります。
詳しく言えば、ある種の考えに基づいて本をそれにあわせて選書して、一定方向に向かって揃えていくということでしょう。市立図書館の子どもの本棚に、また、複本が増えてきました。

反対意見も並べておきますね。すいません。誰か書いておかないと、ドッと傾いていってしまう。複本の増加に歯止めをかけておきたいと思います。

そういうことで棚を作るなら、自分の家に作ったらどうでしょうか。
「他に無くても、ここにあれはあってほしいよね」そういう本は、その人にとっての基礎文献というのではないでしょうか。「ここには」の「ここ」を公共の場所にしてしまうと、公共物の私物化にならないでしょうか。
それぞれの分野には基礎文献というのがあり、専門家はそれを、いつでも手に取れるように家に揃えておく。そんなものまで図書館に依存するな、と言いたいと思います。

他のサイトでもあるじゃないですか。
「図書館にあの本が無かった、けしからん。図書館員があの本を知らなかった、けしからん」とかね。「けしからん」と思うと、その人の頭はそこで止まってしまいます。「無かった、知らなかった」を面白いと感じ、それに対応することで人は成長できるのではないでしょうか。自分とは違う他者の発見です。

同じ分野でも、Aさんの基礎文献とBさんの基礎文献は違って当たり前。それをみんな図書館に常備しておけというのは、それは行き過ぎだと思います。公共図書館であるというのに、Aさんの基礎文献に特別配慮してしまったら、そりゃ、マズイでしょ。Aさんが王様になります。
 おはなし会のプログラム作りで、会員同士がもめるのは、これと同じ理屈なのです。モメるならばまだ健全で、誰かの感性が正しいものになってモメない団体もある。
世の中王様になりたい人が多いのでしょうが、「私はこう思うけど、あなたはどうですか?」の立場でやらなきゃ、戦争になるよ。AさんBさん、それぞれがたまに基礎文献の比べっこすると、楽しいかも知れません。お互いの脳細胞が増えます。

今は中古市場もそれなりにすぐ探せるようになっているから、一生懸命、自分の勘を使って探して手に入れましょう。
公共図書館は、特定の思想で棚を作らないという了解があるから、公共なのではないですか。研究者は図書館に依存するな、ということです。

文献や講習会は特定の物でしかないのです。図書館が特定の勢力の講座や本に依存しそれらが権威になりつつあるので、私はあせって反対意見を述べているのです。
もしも「棚を作る」のなら、弱者・初心者のために、誰でも受け入れられる公園のような棚を作って欲しいと思います。
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