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良いものを残すという図書館の目的

図書館の目的の一つは、「よいものを残す」ということだと聞いたことがあります。

だから新潟市の図書館は、ボランティアに幾つかの絵本をピックアップして教えていきました。教えられたボランティアは、そういうのを残さなくちゃ図書館ボランティアとは言えない、と思った人が多かったようです。私などは「他の人はみんながんばってるのに、あなたは何よ」などと某司書に言われたこともあります。
ボランティアが、司書のおすすめするような一握りの本を読み聞かせにせっせと使えば、それらは書庫に入ることもなく常に貸出がされて、読み継がれていくだろう、だから図書館の目的はかなうのだという考えです。

これに対しての私の意見を書きます。私は、「残す」という言葉に違う解釈をしています。後世の人が調査研究するときに役に立つように、その時代それぞれ愛された違った本が残ればいいという解釈です。書庫も完備しているのですから、物として保存することはできるでしょう。資料館としての価値ですね。そして、いつの時代も読み継ごうというような不自然な操作は必要ないでしょう、という考えです。操作せず、自然に読み継がれるならいいですけどね。
例えば平成23年ならこれこれ、24年ならこれこれ、で、読み継がれるかどうかは関係ないのです。のちの世に、研究者が調べようとしたときに、平成1年と23年が良書として同じ本が記録されていたら、妙に思うのではないでしょうか。
 子どもの本の特質として、時代に関係なく普遍的に愛されるものがあるのだということも知っています。そうであれば、別にボランティアが必死こいて推薦しなくてもいいんじゃないかと思います。「刷数を重ねているというカテゴリーの本」として知っていればいいと思う。以前から書いているように、ボランティアが読み継ぐように何らかの操作をするのなら、そんなものは良書でもなんでもないでしょう。

ほんぽーとができる前、読み聞かせボランティア講座に中多泰子氏が来られて、新潟市の図書館所蔵絵本で一番貸出の多いのは『ぐりとぐら』だ、ということをほめておられたと記憶しています。違っていたらすみません。
 ボランティアにそういうことを聞かせて、または図書館権威者にほめられて、市立図書館が喜んでいる場合じゃないと思うんだけど、とその時、私は思いました。

『ぐりとぐら』について、もう少し書きます。その本自体に文句を言うわけではありません。それを権威にしておこうという人々の気持ちについて考えていきたいのです。市報に「中川李枝子先生講演会」とタイトルがあったので、書くことにします。2年位前「右手和子先生講演会」というのもありました。特定の個人に「先生」をつけて冠にしてありました。恐らくは、主催した市民(ボランティア)がタイトルをつけたのでしょう。私が問題にしたいのは、そういう風に市民を教育した図書館の教育方法です。
 市民が何かを学びたいと思った→ 司書に相談した→ 司書が○○先生の話を聞きましょうと言った。またはこの先生がとても有名だと知識があった→ ○○先生講演会、となるのですね。ここで私の意見を二つ書きます。

 ① その時に、○○先生以外の情報はどのように取るのかという問題に気付かなかったかとお尋ねしたいのです。○○先生が権威だから、その先生の言うとおりにしておけばいいという判断に、疑問はなかったのでしょうか。

 ② それから、「○○先生」というように「先生」という単語をつけることにどのような伏線があるでしょう。○○さんに失礼だから、という判断でしょうが、PRする先は広く市民一般であり、○○先生を囲む会の催しではないのです。例えばスポーツ界で著名な指導者の講演会で「××先生講演会」と市報に載った時の私たちの違和感を思ってもらえばわかるでしょう。 それに、生涯学習社会ですから、○○さんも市民から学ばなければなりません。自分のスタイルが完全だとは当の○○さんも思っていないでしょう。それを周囲が、一方的に教えを乞う存在として○○先生と一段高く持ち上げる。

 上の二つは、その図書館がボランティアをそういう意識に教育していった結果で、ボランティアは○○先生と持ち上げるのが「美しい学びの態度だ」と感じるようになっていきます。それらに従わない私のような人を「困ったボランティア」と認識し、溝が深まるばかり。
 「右手和子の講演会」を企画した市民を最初に指導した担当の図書館司書、「中川李枝子の講演会」を企画した地域の図書館司書、ここに重複する人物がいます。

 いずれにせよ、市報に「○○先生」と広報することによって、市立図書館の一部の人間のいびつさが、広く市民に知れ渡っていきます。「良いものを残す」という図書館の目的の一つを、特定の本ややり方を残す、と思い込んだ人がいるのだということです。ほんぽーとができてから読み聞かせボランティア入門講座は司書の指導で数回あったはずです。それらの受講生が「特定の本ややり方を残すのが正しい図書館ボランティアだ」と刷り込まれているだろうことは、今までの様子を見ればわかります。 だから私は、違う意見を書き残しています。

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