威張るボランティア

読み聞かせというのは、元はと言えば、絵本などを通じて子どもと遊ぼうとか、面白い本を伝えようとか、そういった素朴な思いから始まったのではなかったでしょうか。自然発生的な、個人的な思いが、草の根のようにあちこちに広がって、芽が出ていったように思います。

ところが、そこにお上(行政)が乗っかって、「絵本の大切さ」などを指導し、読み聞かせ方を指導し、指導者を育成し、ボランティアリーダーなども作り、ピラミッド型組織を作っていきました。よく考えると、行政がリーダーを育成するという方法は、それはすでに市民活動ではなく、行政の下請けになる兵隊育成プログラムと同じだと思っています。
 やがて、自由であるはずの読書の場に、よく教え込まれた兵隊さんが活躍するようになりました。そういう兵隊さんがやっつける相手は「子ども文化の本(大人から見て幼稚な本)」であったり、「本の内容を深く考えない人」「内容の浅い本を読む人」「図書館の指導と違うやり方を唱える人」などです。かくて、「ダメなボランティア」と叱られないように、皆が真面目一方になっていく様子がありました。例えば、大型絵本を使うと「ページめくりにコンマ数秒タイミングがずれる。絵本の大切さを分かっていない」などと言われます。
 
 ブックスタートも、使命感丸出しのこわいおばさまが現れるようになりました。表向きは明るくやっていて、広報も「明るく楽しい」様子が伝えられていますが、ピラミッドの頂点にいるつもりの人が威張りはじめています。(悪口言っているようでごめんね。私らのような下っ端のボランティアはこうやって発信するしかないんですよね) 
 新潟市が作ったブックスタートボランティアの手引きにも「良書主義(こういうのが良い本です的な)」文章が躍っていました。ブックスタートが始まることをいいきっかけに、図書館が自分たちの方針を、ボランティアや、それを通じて保護者に浸透させようとしたのでしょう。子どもの豊かな育ちを願って本を手渡すという事業だったのに、いつの間にやら洗脳・浄化の方程式が見えてきました。 
 かつて「行政が本を配るとロクなことがない」というブックスタート反対論があったのを思い出しました。肝いりで始めても、結局、本や人間のピラミッドを作るだけなんだよね。

新潟市は、良書主義者とそれに影響された多くの司書がボランティア講座に立ち、「皆さんが他の市民や初心者のボランティアを引っ張るのですよ」などと言いました。みんな知っていて黙っているけど、そういう教育を受けて「私って指導者!」と小躍りした人たちを私は何度も見てきました。「〇〇先生に鍛えられた私たち」と思い込んだ一部のボランティアが 別のページに書いたように、硬直した発言で周囲を威圧するようになっています。

 これらを修正するために、(図書館は修正なんかする気はないかも知れませんが)、図書館情報学の知識を使えばいいと思っています。すべてのことを情報としてとらえ、それの善し悪し関係なく、平らに市民に提供するという考えです。良いか悪いかは受ける方が決めるのです。便宜上、カテゴリーに分けて整理しやすくすればいいでしょう。いわゆる良書も、「良い本」などというようなカテゴリーの中に入れれば等しく市民に伝えられるでしょう。
第一、私などが言わなくても、今は図書館情報学の感覚で学んできた司書も大勢いるのではないでしょうか。昔の教育を受けた「先輩」司書が頭の切替ができないでいるかもしれません。

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