「おはなし」をする方へ

自分のブログに2日間書き続けました。新潟市のおはなしボランティアの特徴です。

♥先生の講演を聞いて、話し方や使う言葉がいつのまにか先生と同じになる。
♥人に尋ねられると、先生の発言集を思い出し、そこをとりだして説明する。
♥自分で考える時に、先生に対して批判的な視点を持たず、発言をそのまま自分の考えにする。

そうなった原因は、

♥本に書いてある通り覚えて、自分で肉付けをすることなく、そのまま本のとおり「おはなし」として語る

ということにあったのではないかと思うのです。

今回、長岡でストーリーテリングの講習会があるそうで、結果として、本を暗誦し、先生と同じ語り方をする人たちが生産されるような気がします。今回は2回シリーズなので刷り込みは少ないかなあ。
 それから、ストーリーテリング(子どもにおはなしをすること)の新潟県の歴史をやった方がいいと思います。戦後にいきなり始まったものではなく、学校などで先生方が童話をする歴史はそれ以前からずっとあった。県立図書館などに本があります。長岡には瞽女さんを含めて豊かな語り手がたくさんおられた。
「図書館ではこうやって語るんですよ」と戦後のある時期に偉い先生方が決めて、今の朗読型語りになったけど、聞き手を相手にお稽古の発表会をするような雰囲気は批判もされています。
 その方たちが、基本を知り、材料を自分で工夫して家族の好みに合わせ変化のある料理を作るように、それぞれが独自の世界を作っていかれるように、遠くから見ていることにします。

長岡の司書の方へ。

以前ブログに書いて、消してしまったけど、今、やっぱり言います。
4年前の全国紙芝居まつりの資料は、作者名などがまちがいだらけでした。
実行委員には司書の方もいらっしゃったはずなのに、その後訂正もされず、新潟の紙芝居講座でも使われました。
講師は「本番でも作者名を読むように」と指導されるのに、間違いに気づかないのが、そもそもおかしいと思います。どうしてこんなことが起こったのか。

人に依存することの情けなさに気がついてほしいのです。

私など異論を言ったりすると、どこかに書いてあったように「疑い深い者」として逆に批判もされてきました。
中越は豊かな語りの土壌があるのにそれを押しつぶすような、ロボットのような均一化された語りにならないよう、人を育てていただきたいです。豊かな表情のある語りは地域の文化として、文字ではないですが貴重な資料になると思います。
新潟市の二の舞にならないよう。おはなしボランティアがつらい思いをすることのないように、お願いします。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
«  なぜおはな...  『紙芝居の... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。