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かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

いつもマイバッグを持ち歩くわけではない

2019-06-04 17:33:20 | ブログ記事

今後スーパーのレジ袋は全部有料になるということらしいが、

それは正しいやり方だろうか?

私は近くのスーパーに行くときはいつもマイバッグ持参だが、

どこかにお出かけした帰途はスーパーのレジ袋を買うかもらって入れて帰る。

なぜなら、いつもいつもマイバッグを持参しているわけではないから。

たかがマイバッグと言っても、しっかりしたバッグは荷物になるから持ち歩かない。

そういうときくらいはスーパーのレジ袋はいただきたい。

またスーパーのレジ袋は、

ゴミ袋としてだけでなく、それこそマイバッグ替わりにカバンに忍ばせておくのに重宝する。

出かけた帰途の買い物も少量であれば、カバンに忍ばせてあるレジ袋に入れる。

私は、そういうふうに臨機応変に対応していたが、

これからは一律レジ袋は5円になるとか。

5円が安いか高いかは知らないが、私的には高いと思える。

それにしても、政府はどうしてこんな細かいことを国民に強いるのだろう。

スーパーのレジ袋ではないが、

私は大型ゴミの有料化にも、未だに馴染めないでいる。

有料化したことによって不法投棄は増えたし、

捨てるべき大型家電を自宅周辺に置きっぱなしにしているのも見かける。

そもそも、なぜ捨てるのに金をとるのだ。

それをするのなら、大型家電の価格を上げるほうが先ではないか。

大型家電の価格を下げまくって買わせておいて、

いざ捨てるとなると、引き取り料を徴収する。

こんなやり方はおかしいぞ。


事件の連鎖

2019-06-04 11:49:16 | ブログ記事

川崎殺傷事件から連鎖したかのような事件が起こった。

引きこもり長男を10か所以上、刺す 元事務次官「川崎のような事件を起こしたら…」と供述〈週刊朝日〉

この長男を殺したお父さんは川崎事件のような事件を自分の長男が起こしたらと心配したらしい。

責任感の強い人だったのだろう。

しかし、ほかに方法はなかっただろうか。

社会的にも申し分ない地位に就かれていた人の、あまりにも残念な事件である。

私は自分が引きこもり傾向のある人間であるから、

引きこもってしまった人の辛さも、そのご家族の辛さも少しはわかるような気がしている。

一昨日の「遅ればせながら川崎殺傷事件について」にも書いたが、

人は誰でも社会的に活躍したいと望んでいる。役立ちたいと望んでいる。

が、それが叶わないときに屈折した気持ちを抱くようになる。

それが自分に向かったときに自殺という行為になることもあるが、

自殺はなかなか実行できない。

そういうときに一番身近な家族に向かうことになる。

その変形(直接には親を殺していない)が川崎事件であったと私は理解しているが、

今回の事務次官の事件は、自分の息子がそうならないために、

父親が先走りしてわが子を殺してしまったと言えると思う。

どちらも、本当に痛ましい。

もちろん川崎事件は、殺された人たちが一番気の毒ではあるが、

しかし、殺した男性も、そこまで思い詰めていたことを思えば、

私には、やはり痛ましく思えるのである。

*

川崎事件の犯人の実の両親は離婚していて義両親に育てられたとある。

この際、実の両親には責任はないのだろうか。

私も若いころ、嫁ぎ先の義母のあまりにもひどい嫁虐めに離婚を考えた。

が、離婚して一番可哀想なのは子供と思って耐えた。

離婚して片親になってしまうと、

再婚した一方の親に引き取られたとしても、

片親は義理になるわけで、義理の子供を可愛がれる人は稀と思ったから。

この川崎事件の犯人の実の両親は

二親ともわが子を引き取ることをしないで、父親側の兄に委ねている。

委ねられた伯父に自分の子がいれば、自分の子のほうが可愛いのは自然で、仕方ないと思える。

それで、酷なようだが、実の両親が離婚したことが一番の原因と思えるし、

さまざまな事情があったにしても、

実の親のいずれもが引き取らなかったというのは今回の事件の大きな要因に思える。

犯人の51歳といえば分別盛りの立派な大人だが、

親に愛されずに育った者は、いつまでたっても大人になり切れないのかもしれない。

そういうことまで考えれば、犯人にも同情の余地はある。


断捨離は本当に必要か

2019-06-04 03:04:34 | ブログ記事

いまblog友さんの記事を読ませてもらっても、そう思った。

人が暮らしていると物は溜まってくる。

それは仕方ないこと。

それで家の中をホテルのように綺麗に保つために断捨離をする?

まだ使えるものでも現在使っていなければ断捨離しましょうと、

断捨離を勧める先生方?はおっしゃる。

しかし、戦後の物の乏しいころに育った私には抵抗がある。

まだ使えるのに、なぜ捨てないといけない?

子供たちは、私の使っている道具類が古いという。

最近は安く出回っているから買い替えよとも。

なぜまだ使えるものを捨てて買い替えなければならない?

物は最後まで使い切ってやることが物に対する愛情である。

ということで、私としては、あまり断捨離はしたくない。

最近は読む時間もとれないのに、本も溜め込んでいる。

しかし、聴覚に障碍のある私にとって、

本は昔も今も孤独を慰めてくれる宝物である。

どうして断捨離などできよう。

そういうことで、現在はたった二人きりの老夫婦の住まいだが、

物が溢れている。

昨年亡くなった母も物を捨てない人だった。

晩年になって、それが余計ひどくなって、ゴミ屋敷になっていた。

母の存命中は、帰省のたびに、それを責めていた私。

が、だんだん私もそうなってきている。

それでもいいではないか、と母の死後、思えるようになった。

母の溜め込んだものは、母が亡くなった直後に、

兄嫁や甥たちが捨てに捨てた。

見ずに捨てた。

だから、あっという間になくなった。

大事なものも捨てられたと思う。

が、そうしないと片付かなかったのだから仕方なかったかもしれない。

私の死後も、そうしてもらえばいいと思うようになった。

だから、生きている間は捨てたくないものを捨てることはやめる。

洋服も捨てない。

昔の洋服でも、着たくなることはあるから。

家の中が物置化してもいいではないか。

ホテルのように綺麗な場所で過ごしたいと思えばホテルに泊まればいい。

そう考えることにした。