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【「反日中韓」を操るのはじつは同盟国アメリカだった!】台湾侵攻を「台湾より」懸念する日本~中国を挑発する米国は台湾有事に日本参戦が前提!中国は台湾「平和統一」を狙いアメリカは「武力攻撃」を願っている~

2023-01-13 09:09:14 | 日記


■台湾の最新世論調査「中国は軍事侵攻しない」が約6割の“意外”。なぜか日本は「侵攻懸念」が8割超で…

Business Insider Japan 岡田充 [ジャーナリスト]Mar. 31, 2022

https://www.businessinsider.jp/post-252436


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ウクライナ危機が深刻化するなか、アメリカの台湾防衛への信頼感が低下していることが、台湾で実施された複数の世論調査から明らかになった。


バイデン大統領が「ウクライナに派兵しない」と明言したことが影響した可能性もある。


「中国がこの機を利用し台湾に侵攻するか」との質問に対し、「心配していない」が回答の過半数を占めた調査もあり、中国との軍事緊張下にある台湾市民の冷静な現状認識が伺われる。

 

・アメリカの台湾防衛「信じる」は3割


今日のウクライナは明日の台湾 ??。

ロシアがウクライナ侵攻を決行して以来、台湾の蔡英文政権や同国メディアはウクライナと台湾を重ね、台湾統一を「歴史的使命」にする中国が軍事侵攻を急ぐのでは」との危機感を煽ってきた。

日本でも同様だ。


そんななか、ロシアの侵攻開始(2月24日)からほぼ1カ月が過ぎた3月22日、台湾の大手ケーブルテレビ局TVBSが行った世論調査の結果を発表した。


「もし(台中)両岸で戦争が起きた場合、アメリカは台湾に派兵し防衛すると信じるか」との質問に対し、「信じる」は30%(「強く信じる」12%、「まあまあ信じる」18%)で、「信じない」の55%(「まったく信じない」22%、「あまり信じない」33%)を大幅に下回った。


11年前(2011年1月)の調査結果と比較すると、「信じる」は27ポイント減り(当時57%)、「信じない」が28ポイント(当時27%)増えたことになる。


当時の台湾は国民党の馬英九政権下で、台湾海峡の両岸の直行便が解禁され、中台経済連携協定(ECFA)が調印されるなど、中台関係が大幅に改善された時期にあたる。


台湾のメディアは概して日本以上に政党支持色が鮮明だが、前出のTVBSは中国資本が入っているものの世論調査には長い実績があって、信頼性も高い。


念のため、与党・民主進歩党(民進党)に近い「財団法人台湾民意基金会」の世論調査(発表日はTVBSと同じく3月22日)にもあたってみた。


「もし中国が台湾に武力侵攻した場合、米軍は台湾防衛に協力すると信じるか」との質問に対し、「信じる」と答えたのは34・5%(「大いに信じる」10・5%、「まあまあ信じる」24%)、「信じない」は55・9%(「まったく信じない」26・5%、「あまり信じない」29・4%)にのぼった。

TVBSと大差ない結果となった。


こちらは前回調査(2021年10月)と比べると、「信じる」は30・5ポイント減り、「信じない」が27・4ポイントも増えている。

 

・アメリカの立場とそのほころび


3月26日、ポーランドの首都ワルシャワを訪問して演説したバイデン米大統領。

ロシアのウクライナ侵攻前時点で米軍を派兵しない考えを明らかにしている。


ここで、台湾防衛について、アメリカの基本的な立場を抑えておこう。


アメリカは台湾の国民党政府との外交関係を断って中国と国交正常化した1979年、連邦議会が台湾に防衛兵器を継続して供与する「台湾関係法」を成立させた。


一方で、歴代のアメリカ政府は「一つの中国」政策のもとで、中国による台湾への武力行使については対応を明らかにしない「曖昧(あいまい)戦略」を堅持してきた。


北京に対して「一つの中国」政策を維持する安心感を与えつつ、台湾に対しては「武力で台湾を守る」立場を否定しないことで、中国の武力行使を抑止する「二重の効果」があるとされる。


ところが、ウクライナ危機でのアメリカの対応は「曖昧」をかなぐり捨てる内容だった。


バイデン大統領は2月10日、米NBCテレビのインタビューに応じ、ロシアがウクライナに侵攻しても米軍を派遣する考えはないと明言してしまったのだ。


その理由は、(1)ウクライナは北大西洋条約機構(NATO)加盟国ではないため、アメリカには防衛義務がない、(2)ロシアは6000発以上の核弾頭を保有する核大国で、アメリカが参戦すれば世界大戦になる可能性がある、というものだった。


アメリカのメディアや識者のなかには、そうしたバイデン大統領の「弱腰」が、ロシアのプーチン大統領にウクライナ軍事侵攻を決断させたとみる向きもある。

少なくとも侵攻前は「曖昧政策」で臨むべきだった、と彼らは主張する。

 

・台湾有事でアメリカは派兵するか


アメリカがウクライナに派兵しない理由を中台関係に置き換えてみると、(1)アメリカは台湾を国家承認しておらず、同盟関係にもない、(2)中国もおよそ200発(米国防総省推計、2020年)の核弾頭を保有する核大国で、世界大戦になる恐れがある、ということになる。


とすれば、台湾有事に際しても、アメリカはウクライナへの対応と同様、台湾派兵による防衛には動かないとの疑念を台湾市民が抱いても不思議はない。


台湾の元立法委員(国会議員)で、政治評論家の林鈺祥氏は筆者の取材に対し、世論調査の結果は「ウクライナに派兵しないアメリカの決定に対する直感的反応」との見方を示した。


ただし、林氏は「派兵と台湾防衛は区別して考えるべき」として、次のように語った。


「アメリカは最新のデジタル技術を駆使して、ウクライナ情勢も台湾情勢もほぼ完全に把握し、台湾海峡の安全をめぐって宇宙から海洋、陸上に至るまで(さまざまな形で)介入できる準備がある。したがって、世論調査にあるような『派兵するかどうか』との問いはもはや意義を持たない」

 

・台湾侵攻を「台湾より」懸念する日本


TVBSによる世論調査でもうひとつ興味深いのは、冒頭でも少し触れたように、「中国大陸はこの機を利用して台湾に侵攻すると思うか」との質問に対して、「不安ではない」が57%と、「不安に思う」の37%を大幅に上回ったことだ。


一方、日本の民放テレビ局の世論調査では、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が「中国による台湾や尖閣諸島での『力による現状変更』につながる懸念ことを「懸念している」との回答が86%にものぼっている(調査実施は3月5・6日)。


中国と直接的な緊張関係にある台湾のほうが、軍事侵攻に不安を感じて不思議ではないのに、なぜ懸念する声は日本のほうが圧倒的に多いのか。


前出の林鈺祥氏は、台湾側の理由として、(1)台湾人の多くは中国が海峡を越えて軍事侵攻するのはきわめて困難とみていること、(2)政治的対立にもかかわらず、中国との貿易は台湾の貿易総額の5割近くを占めること、(3)台中の人的往来は密接で、双方をまたぐ婚姻数も増えている、という3点を挙げ、台湾の市民は「台湾侵攻は実際にはできないとみている」と説明する。


一方、日本で台湾侵攻懸念が多かった理由としては、岸田首相がロシアのウクライナ侵攻前から「力による現状変更を許せば、アジアにも影響が及ぶ」と強調し、ロシアを中国に、ウクライナを台湾に重ね合わせ、(名指しこそしないものの)軍事侵攻の恐れを訴えたことで、その効果が民放による世論調査にも反映された可能性がある。


また、そのような岸田首相の主張が受け入れられたのは、翼賛化しつつある日本の中国に対する厳しい世論が土台にあることも指摘しておかねばならない。

 

・安倍前首相は相変わらず「台湾有事は日本有事」と


日米のメディアはともに、ウクライナ侵攻に対する中国の姿勢を「ロシア寄り」と報じる。


しかし、中国は何よりも「主権と領土の一体性の尊重」を重視しており、ウクライナ侵攻を支持しない立場を明確にしている。

ロシアの侵攻を支持すれば、台湾の独立を支持する外国にも反対できなくなるからだ(このあたりの論理は過去の寄稿を参照してほしい)。

にもかかわらず、安倍元首相は3月23日に台湾の蔡総統とオンラインで初会談し、「台湾有事は日本有事」と日台運命共同体論をあらためて提起し、中国の脅威を煽っている。


安倍・菅・岸田の直近3政権に共通するのは、日米間の安全保障を「対中同盟」に変質させ、沖縄など南西諸島のミサイル要塞化を急ぐために「台湾有事」論を利用していることだ。


日本がそのような状況だからこそ、今回の台湾の世論調査から読みとれる冷静な対中認識に学ぶところは多い。


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台湾の最新世論調査「中国は軍事侵攻しない」が約6割の“意外”。なぜか日本は「侵攻懸念」が8割超で…
Business Insider Japan 岡田充 [ジャーナリスト]Mar. 31, 2022
https://www.businessinsider.jp/post-252436

 

 

 

 


■中国が台湾に武力行使をしない3つの理由

東洋経済 2021/05/21 岡田 充 : ジャーナリスト 

https://toyokeizai.net/articles/-/429538


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「台湾有事」が切迫しているというシナリオがまことしやかに論じられ、中には尖閣諸島(中国名:釣魚島)奪取と同時に展開するとの主張すら出ている。

「台湾有事論」の大半は中国の台湾「侵攻」を前提に組み立てられているが、その主張が見落としているのは、中国の台湾政策の基本原則と論理だ。

それを冷静に分析すれば、台湾有事は切迫していないことがわかる。

中国がいま武力行使しない事情を検証する。

 

・根拠がない「6年以内に台湾侵攻」


アメリカのバイデン政権が誕生して間もなく4か月。中国を「国際秩序に挑戦する唯一の競争相手」と位置づけ、日米首脳会談の共同声明に「台湾海峡の平和と安定の重要性」を明示し、日本を巻き込んで、台湾問題を米中対立の前面に据える姿勢を鮮明にした。


「民主主義と専制主義の対立」という図式を描くバイデンにとり、「民主」「自由」「人権」などの価値観を共有する台湾を守ることが、トランプ政権以上に重要性を帯びてきたかのようだ。


「台湾有事」切迫論が、噴出するのは今年3月からだった。

マクマスター退役中将が3月2日の米上院軍事委員会で「2022年以降が台湾にとって最大の危機を迎える」と発言。

続いてアメリカのデービッドソン・インド太平洋軍前司令官が3月9日「今後6年以内に中国が台湾を侵攻する可能性」に触れ、同23日にはアキリーノ・インド太平洋軍司令官も上院公聴会で「台湾侵攻は大多数が考えるより間近だ」と証言した。

大手メディアは、これら発言を大きく扱い、「台湾有事論」が次第に現実味を帯び始める。


特にデービッドソン氏が「侵攻は6年以内に」とのタイムテーブルを明らかにしたのは「説得性」があったのだろう。

しかし彼を含め3人の軍人は、いずれも切迫の根拠を具体的に示しているわけではない。


日本経済新聞は「6年以内」とは言い換えれば「27年までに」という意味だと読み込みながら、「同年は習氏が国家主席としての3期目の任期を満了する前の年だ。

米軍としては、習氏がその時までに中国共産党の宿願である台湾併合について決着をつけ、それを実績として4期目も狙うのだろうと踏んでいる」(「日本経済新聞」21年5月17日朝刊)と書いた。

根拠はないわけではないが、これは勝手な想像に基づく「物語」である。


軍人が「最悪のシナリオ」をつねに組み立てるのは当然である。

しかし「最悪のシナリオ」をもって「有事は近い」と騒ぐのは、まったく別問題である。


中国軍用機が台湾海峡の「中間線」を越境し、軍事的緊張が高まっているのは事実だ。

ただそれを「台湾侵攻」の先駆けととらえるのは正しいか。

中間線の越境は2020年夏、トランプ政権の閣僚級高官の台湾訪問や、アメリカ軍艦船の頻繁な台湾海峡通過、台湾への大量武器売却など、いずれも台湾関与のエスカレートへの「報復」だった。


アメリカ・イェール大学の歴史学者オッド・アルネ・ウェスタッド教授は、中国の行動を「国益を阻害する他国の動きに対抗している」(「朝日新聞」2021年4月20日朝刊)と、アメリカの行動への「受動的」な性格とみている。

筆者はこれに同感する。

これは米中対立を観察するうえでは重要なポイントだ。

 

・なぜ武力行使を否定しないのか


では、台湾問題は中国にとってどのような課題なのか。

中国にとり台湾統一は、帝国主義列強によって分断・侵略された国土を統一し「偉大な中華民族の復興」を実現する建国理念の重要な柱の一つである。


統一は国家目標だから、それを実現しなければ中国共産党は任務を放棄したことになる。

中国の台湾政策は、建国直後から「武力統一」だった。

しかし米中が国交を樹立し、改革開放路線に舵を切った1979年に、「平和統一」に路線転換した。

転換したが、「武力行使」を否定しない政策は、現在まで継続している。

そのことが中国は「好戦的」というイメージを増幅する。


なぜか。

その理由について、かつての最高実力者、鄧小平氏は1978年10月に来日した際、当時の福田赳夫首相との会談で「われわれが武力を使わないと請け負えば、かえって台湾の平和統一の障害となる。

そんなことをすれば、台湾は怖いものなしで、シッポを1万尺まではねあげる」と語った。

武力行使を否定すれば、台湾独立勢力を喜ばせ、統一が遠のくという論理だ。


中国は台湾問題を「核心利益」と見なし、「妥協や取引はしない」という強硬姿勢を貫いている。

その理由についても、やはり鄧小平は1981年1月にアメリカの友人との会談で、アメリカがソ連に強硬な政策をとれば、台湾問題で中国は我慢できるだろうかという問いに「我慢できない。台湾問題によって中米関係の後退まで迫られても、中国は我慢するはずがない。必ず然るべき対応を取る」と述べた。

アメリカの台湾介入に対し、台湾海峡で強硬な軍事的対応をとり、武力行使を否定しない論理は、40年前とまったく変わっていないことがわかる。

 

・台湾統一の優先順位は高くない


だからといって、中国は客観的条件や環境を一切無視して、台湾統一を実現しようとしているわけではない。

そこで台湾統一が、中国の戦略目標の中でどんな位置を占めているかをみよう。

歴代リーダーは共産党の戦略目標を「3大任務」として発表してきた。


鄧小平は1979年に、①近代化建設②中米関係正常化③祖国統一。

江沢民は2001年に、①近代化推進②祖国統一③世界平和維持と共通発展促進を3大任務として挙げた。

そして習近平は2017年の第19回共産党大会で①平和的な国際環境作り②四つの近代化③祖国統一を挙げている。


戦略目標のプライオリティーは「近代化建設」と、それを実現するための「平和的環境」作りであり、台湾統一の優先順位は決して高くないことがわかるだろう。

中国共産党の思考方法である「?期目標に向けた戦略的思考」であり、「大局観」と言ってもよい。


では習近平は、在任中に台湾統一を実現する目標を立てているのか。

習は2019年1月、彼の台湾政策「習5点」を発表した。


その特徴を挙げれば、平和統一を実現する宣言書であり、統一を「中華民族の偉大な復興」とリンクさせ、論理的には2049年(建国100年)以前に統一を実現する必要がある、台湾との融合発展を深化し平和統一の基礎にする、台湾独立による分裂と外部の干渉勢力に向け「武力使用の放棄はしない」、などである。


統一への時間表は明示してはいないが、戦略目標とリンクさせたことで論理的には2049年以前には統一を実現していなければならないことがわかる。

同時に「台湾との融合発展を深化し、平和統一の基礎にする」から判断すれば、統一を急いでいるわけではなく、「息の長い」政策と言えるだろう。


中国の戦略目標と習の台湾政策を踏まえたうえで、中国が台湾への武力行使をしない理由を3つ挙げる。


第1に、軍艦の数では中国はアメリカを上回るが、総合的軍事力では依然として大きな開きがある。

米中和解に道を開いたヘンリー・キッシンジャー元国務長官は4月30日、米中衝突は「世界の終末の脅威を倍増させる」と警告した。

鄧小平は「実事求是」(事実の実証に基づき、物事の真理を追求する)を説いた。

米中の実力差(事実の実証)から考えても、「台湾有事」は回避しなければならない。


第2は、「統一支持」がわずか3%にすぎない「台湾民意」にある。

民意に逆らって武力統一すれば台湾は戦場になる。

武力で抑え込んだとしても、国内に新たな「分裂勢力」を抱えるだけで、統一の「果実」など得られない。


第3に、武力行使に対する国際的な反発は、香港問題の比ではないだろう。

習指導部は第14次5カ年計画で、中国が「新発展段階」に入ったと規定した。

経済成?だけを求める時代は終わり「素晴らしい生活への需要を満たす」ため、人々の生活の質的向上を目指す新任務を設定した。

武力行使は、「一帯一路」にもブレーキをかけ発展の足を引っ張る。

「新発展段階」が行き詰まれば、一党支配自体が揺らぐ恐れが出てくる。


習は2021年3月末、台湾の対岸に位置する福建省を訪問した際「両岸の融合方針」を再確認する発言をした。

「武力行使は近い」との西側観測を否定するシグナルだった。

台湾でもこの発言以来、武力行使切迫への危機感が薄れ始めた。

 

・日米の「有事論切迫」は軍拡競争を招く


アメリカや日本の中国専門家も、中国側の論理をよく知っており、台湾有事が決して切迫しているわけではないことは理解しているはずだ。

にもかかわらず、日米当局者が「有事論切迫」を宣伝する狙いはどこにあるのだろう。


日米首脳会談の共同声明は「日本は同盟及び地域の安全保障を一層強化するために自らの防衛力を強化することを決意した」と、日本が軍事力を強化する姿勢を強調した。

狙いをまとめれば、①自衛隊の装備強化と有事の国内態勢の準備、②自衛隊の南西シフト加速、③日米一体化と共同行動の推進、だと思う。


3月の日米「2プラス2」では、岸信夫防衛相はオースチン国防相との会談で、「台湾有事では緊密に連携する方針」を確認。岸は台湾支援に向かうアメリカ軍に自衛隊がどう協力するか検討する意思を表明した。


菅政権は「台湾有事」への警戒感や世論が高まっている今こそ、台湾有事に対応する集団的自衛権行使を可能にする国内態勢作りのチャンスとみているはずだ。

日本への直接の武力攻撃に至る恐れがある「重要影響事態」認定の是非をはじめ、アメリカ軍の艦艇や航空機を守る「武器等防護」発令や、「武力攻撃事態」が可能かどうかのシナリオ作りを始めている。


習の国賓訪日が延期されて以来、日本政府は日米外交とインド太平洋外交に精力を集中し、転機にある対中外交など眼中にないように見える。

だが、中国の脅威をあおって抑止を強調するだけでは、軍拡競争を招く「安保のジレンマ」に陥る。

安全保障とは、共通の敵を作り包囲することではない。

外交努力を重ね地域の「安定」を確立するのが、本来の目的のはずだ。


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中国が台湾に武力行使をしない3つの理由
東洋経済 2021/05/21 岡田 充 : ジャーナリスト 
https://toyokeizai.net/articles/-/429538

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■中国は台湾「平和統一」を狙い、アメリカは「武力攻撃」を願っている

Yahoo!ニュース 2022/10/4 遠藤誉 中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20221004-00318090


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武力統一をすると台湾人が反共になり共産党の一党支配体制を脅かすので中国は平和統一を狙っている。

しかし平和統一だと中国が栄えるので、アメリカは中国を潰すために、中国に台湾を武力攻撃して欲しい。


そのためにアメリカは「台湾政策法案2022」を制定して台湾をほぼ独立国家に近い形で認める方向で動いている。

これに力を得て台湾政府が独立を宣言すれば、中国は台湾を武力攻撃する。

アメリカはそこに中国を誘い込みたい。

日本は武力攻撃に巻き込まれて参戦する覚悟はあるのか?

 

・中国は平和統一しか望んでない:「台湾白書」にも明らか


中国は台湾に関して「平和統一」しか望んでいない。

武力統一などしたら、台湾の中に激しい反共分子が生まれて、統一後の中国において中国共産党による一党支配を脅かす。

だから中国は平和統一しか望んでいない。

それ以外にも多くの要因があることと、それなら習近平は台湾に対して具体的にどのような戦略を持っているかに関しては拙著『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』の第三章で詳述した。


一方、8月10日に中国政府が発表した「台湾問題と新時代の中国統一事業」という「台湾白書」にも、中国は平和統一しか望んでないことが強調されている。

特に経済面での両岸関係(台湾海峡を挟んだ大陸と台湾の関係)に関して詳述してあり、1978年における両岸貿易総額が4600万米ドルだったのに対して、2021年には3283.4億米ドルにまで増加し、その増加は当時の7000倍以上であると書いてある。

台湾にとって大陸は最大の輸出国で、2021年末には台商の対大陸投資プロジェクトは12万3781に達しており、実際の投資額は713.4億米ドルに達するとのこと。


台湾白書には掲載されてないが、参考までにここ1978年~2021年までの中台貿易の推移を描くと以下のようになる。

こうやって図表に描いてみると、なるほど貿易総額が7000倍になったのが可視化され、特に習近平政権以降の増加が著しい。


また「台湾白書」はIMF(国際通貨基金)のデータとして、「1980年の大陸のGDPは約3030億ドルで台湾は約423億ドルと、大陸は台湾の7.2倍だったが、2021年になると、大陸GDPは約17兆4580億ドルで台湾は約7895億ドルと、大陸は台湾の22.1倍になった」と例を挙げ、国力の圧倒的な差は、「台湾独立」の分離独立運動と外部勢力の干渉を効果的に抑制しているとしている。


このように中国が平和統一の手段としているのは「経済で搦(から)め取っていく」というやり方だ。

そうさせてはならじとばかりに、アメリカは何とか中国が台湾を武力攻撃する方向に持っていこうと、あの手この手を試している。


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中国は台湾「平和統一」を狙い、アメリカは「武力攻撃」を願っている
Yahoo!ニュース 2022/10/4 遠藤誉 中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20221004-00318090

 

 

 

 

 

 

■中国を挑発する米国は台湾有事に日本参戦が前提

キヤノングローバル戦略研究所(2022年6月17日付)

https://cigs.canon/article/20220621_6852.html


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1. 米中対立深刻化の背景


5月下旬から6月上旬にかけて、2年2か月ぶりに米国に出張した。

新型コロナウイルス感染症の拡大以前は毎年数回定期的に会っていた中国専門家などの友人たちと再会を喜び合い、最近の米中関係を中心に意見交換した。


出張の都度訪れていたレストランが2年余りの間にいくつも閉店してしまい、寂しい想いをしたが、それ以上に心が痛んだのは、米中関係が一段と悪化していたことだった。


以前は比較的中立的だった経済分野の友人らも中国に対する批判的な姿勢に傾いていた。

発足から1年4か月以上経過したジョー・バイデン政権は、依然として対中政策のビジョンがないと多くの中国専門家が指摘する。


中国側の問題点は指摘しても、それに対して米国としてどのような方針で対処しようと考えているのか、中長期的な対中戦略が示されていない。

米中対立深刻化の根本的な原因は、両国とも国内政治における世論の支持確保を重視して、互いに相手国に対する強硬姿勢を強めていることにある。


両国の内向きの姿勢を修正しない限り米中関係が改善する見込みはない。

そのきっかけが見つからないまま、両国の対立がますます深まっている。


中国は自国の政治体制が欧米先進国の民主主義政治と異なることなどから、以前から米国をはじめとする西側諸国の内政外交・経済社会に対する理解が不十分である。


一方、米国では1979年の米中国交樹立以降、多くの国際政治学者らが中国を研究し、中国国内にも率直に意見を交換し合う信頼できる友人を持ち、中国の内政外交・経済社会情勢について深く理解していた。


しかし、その状況がここ数年大きく変化した。

バラク・オバマ政権後半以降、それ以前の対中融和姿勢から強硬姿勢へと方向転換が始まり、ドナルド・トランプ政権時代に対中強硬策が本格化。


バイデン政権もトランプ政権の対中強硬路線を継承している。

特に、2022年に入ってから、中国政府の合理性を欠いたゼロコロナ政策への固執とウクライナ侵攻を巡る中ロ関係の緊密化が米国内の反中感情を一段と高めた。


今秋には中間選挙を控え、すでに選挙戦が始まっている。

ロシア・ウクライナ戦争後、米国民の80%以上が反中感情を抱くようになった国民感情を意識し、対中強硬姿勢の強調は党派を超えた共通の前提となっている。


他方、中国も今秋に第20回党大会(中国共産党全国代表大会)が予定され、習近平主席の3期目への任期延長が決定される見通しである。

この就任を政治的により円滑なものとするため、中国も国内のナショナリズムを強く意識した対米強硬姿勢を継続し、米国に対抗して「戦狼外交」を展開している。

このように両国の外交姿勢が内向きの思考によって縛られている現状を考慮すれば、当面、両国間での対話による歩み寄りの可能性はほぼないと見られている。

 

2. 台湾有事は日本参戦が前提


米中対立が深刻化する中、米国内では国交樹立以来対中外交の前提とされてきた「戦略的あいまいさ(Strategic Ambiguity)」を放棄し、「戦略的明瞭性(Strategic Clarity)」へと転換すべき時期を迎えているとの意見が増えてきている。


「戦略的あいまいさ」とは、中国が台湾を武力統一しようとする場合、米軍が台湾を防衛するかどうかをあいまいにする姿勢を指す。その意図は、次のとおりである。


米軍が台湾を防衛すると明言すれば、台湾が米軍の支援を頼りにして独立に向かう可能性が高まる。

これは中国を挑発して米中武力衝突を招きやすくする。


一方、米軍が台湾を防衛しないと明言すれば、中国が台湾武力統一に向かうハードルが下がる。

以上のように、米軍がいずれかの姿勢を明言すれば、いずれの場合も米中武力衝突の抑止にはマイナスとなる。


こうした事態を回避するため、米国はこれまで台湾防衛の方針をあいまいにする姿勢を貫いてきた。

これは中国、台湾の双方を抑止する効果を持つため、「二重の抑止」と呼ばれている。


ところが、最近その姿勢に対する異論が唱えられ始めている。

現時点ではまだ少数派であるが、従来のあいまい戦略を放棄して台湾防衛を明言すべきであるとの主張である。


これは、米国が台湾防衛姿勢を明示しなければ、中国が台湾武力統一に動くことを抑止できない可能性が高まっているとの見方に基づいている。


今のところバイデン政権がこの方針を採用する可能性は低いと予想されてはいる。

しかし、それを支持する声は着実に増加傾向にあると見られている。


米国議会では、戦略的明瞭さへの移行を主張する議員から、台湾への米海軍の戦艦派遣や米台合同軍事演習を実施すべきだとの議論も行われているという。


そうした主張をする人々の一部は、次のようなシナリオを描いている。

米国が台湾独立を支持することにより、中国を挑発して台湾武力侵攻に踏み切らせ、ウクライナ侵攻後のロシア同様、中国を世界の中で孤立させる。


そうなれば、多くの外資企業が中国市場からの撤退または中国市場への投資縮小に踏み切るため、中国経済が決定的なダメージを受け、中国経済の成長率が大幅に低下する。


それにより米国の経済的優位が保たれ、一国覇権体制が安泰となる。


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中国を挑発する米国は台湾有事に日本参戦が前提
キヤノングローバル戦略研究所(2022年6月17日付)
https://cigs.canon/article/20220621_6852.html

 

 

 

 

 

 

■「反日中韓」を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった!

馬渕睦夫(元外務省、元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

出版社 ‏ : ‎ ワック (2014/10/24)

https://amzn.to/3oE6t5K

 

 

 


■民放各社は米国に乗っ取られているのか

「民放各社大株主に米国系の投資ファンドが名を連ねている」

・外国人株主比率は日テレ22%、フジ約30%

「テレビ朝日が12.7%、TBSは13.34%」

日刊ゲンダイ(講談社)2015/11/09

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/168954

 

 

 


■日本のテレビ局が外国資本に支配されている件。

Noboru Matsushita 2022年3月12日

https://note.com/matsushita8935/n/n6690ad370a25

 

 

 


【渋沢栄一「論語と算盤」利益の追求だけでなく人格を磨くこと】いち早く“資本主義の弱点”を見据えた渋沢栄一~満州事変の2カ月後に死去した渋沢栄一。「日本経済の父」がラジオで語った平和への願い~

2023-01-13 09:08:47 | 日記


■渋沢栄一が最も大切にした愛読書『論語』|人格形成と利益主義のバランスを重視した男の哲学

男の隠れ家デジタル 2021.02.26

https://otokonokakurega.com/learn/secret-base/27485/


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・利益の追求だけでなく人格を磨くこと


近代日本の発展に多大な業績を残し、日本資本主義の生みの親といわれる渋沢栄一が生涯のバイブルとしたのが、孔子の本『論語』である。


論語は約2500年前に孔子と弟子たちが交わした問答を、後の世にまとめたものだが、明治、大正、昭和の三代にわたって日本の近代産業の発展に大きな役割を果たした渋沢だけでなく、歴史上の偉人、あるいは現代人にも信奉者がおり、時代を超えて多くの人々の愛読書であり続けている。


ではなぜ『論語』を渋沢の愛読書として紹介するかというと、渋沢が、『論語』で人格を磨くことと、資本主義で利益を追求するという、一見相反する事柄は共存できるという考えに到達したからだ。


天保11年(1840)、渋沢は埼玉県の富農の家の子として生まれた。

幼くして父の勧めで『論語』の素読を始め、7歳になると従兄と共に本格的に『論語』を学び、全文を暗記したといわれる。


同時に、『論語』をあわせて四書と呼ばれる『孟子』『大学』『中庸』、そして五経の『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』、さらには『日本外史」『十八史略』なども学び、和と漢の教養を身につけていったのである。


さて、明治2年(1869)、渋沢は29歳の時に明治政府に召し出され、大蔵省へ出仕し財政改革に努めたが、4年後、大久保利通と衝突したことが原因で下野した。

ここから渋沢は『論語』への理解力をさらに深めると共に、心の拠り所とし、実戦に活用していく。


約束していなくとも、面会を求められると誰彼の区別なく渋沢は気軽に会ってくれた。

しかし、その際の渋沢の観察眼は鋭く、言葉はもちろん相手の眼の動きや立ち居振る舞いをつぶさに見て、その本性を見抜こうとした。


『論語』にはこういう言葉がある。

「その為すところを視、その由るところを観、その安んずるところを察すれば、人焉んぞ?さん」


面会した時の渋沢がまさに、これだった。

また、渋沢は次のようにも語っている。 

「儒教の学問には『大学』や『中庸』など様々あるが、一段高い視点から見た学問で、個人の日常生活に密着した教訓とはなりにくい。これに対して『論語』は、一言一句が全て実際の日常生活に応用がきく。読めばすぐに実行できるような基本の道理を説いている」


だからこそ渋沢は『論語』を選んで愛読書とし、記されている言葉を守り実践しようとしたのだ。

渋沢が実業界の舵取りをしたのは富国強兵の時代で、特に会社組織の創設が急がれていた。

そこで渋沢は、会社を上手に経営するには何が必要かと考える。


答えは自ずと出た。

“優れた人材”にほかならない。

そして、それらの人々には守り行うべき規範や 基準がなければならないと、さらに考えをめぐらし、ならば日常の心得を具体的に説いた『論語』がうってつけではないかと渋沢は思う。

判断を迷った時に『論語』の物差しに照らせば、まず間違いはないと確信するのだった。

 

・商人としての道義を守り国家の繁栄を願う


近年、経営者の社会的責任が取り沙汰されることが多い。

しかし渋沢は、商業で利潤を追求するのはいいが、商人の道義も高め、商業を発展させなくてはならないと考えた。


欧米諸国に比べて日本は遅れて資本主義の道を辿った。

その場合、会社は国家の庇護を受けるケースが多くなるが、それは政商と呼ばれる実業家の出現原因にもなる。

もし、現在の日本企業の大部分の土台を作った渋沢が、金儲けに血道を上げ、事業の成長だけを願ったならば、資本家の代表や財閥の代表になっていたはずだが、彼はそうはならなかった。

あくまでも『論語』から人格形成を学び、資本主義の利益主義一辺倒にならず、バランスをとることが大切であると考えた結果だ。


渋沢の経営理念は、「『論語』算盤説」や「道徳経済合一説」として知られている。

道徳を『論語』、経済を「算盤」という言葉に言い換えているわけだが、道徳と経済は両立さ せることができるとし、渋沢は強い心を持って実践してきた。

国家の繁栄や資本主義の発展のためには、個人の利益は犠牲にしなければならないと考えたのである。


そして、商工業を発展させ、国を繁栄に導き、国民生活を豊かに、しかも安定させることが大切で、それは『論語』でいう“仁義”に適うという考えに渋沢は到達したのである。

 

・論語の名言を味わう


論語を読んで内容を理解しているが、その内容を実践することのない人。

または、論語は読むことができても正しく理解していない人のことを「論語読みの論語知らず」という。

もったいない話。


なぜなら、論語に書かれている言葉は含蓄に富み、日々の暮らすなかでの行動の指針となる名言ばかりだからだ。

しかも初めから読み進める必要はない。

孔子と弟子たちとの問答集である論語は20編からなるが、それぞれの編の内容はまとまったものではないからだ。


以下に数例を挙げる。

ちなみに孔子は中国の春秋時代の学者、思想家。

役人として大成したが、政争に破れて下野し、弟子を伴って十数年間諸国を歩き、徳の道を説いてまわった。

晩年は故郷に戻り、弟子の教育に専念した。

儒教の祖でもある。


「学びて時にこれを習う、亦説(よろこ)ばしからずや。朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや。人知らずして慍(うら)まず、亦た君子ならずや」


意味:勉強を怠らず、切磋琢磨できる遠方に住む友を持つことは人生最上の楽しみだ。学んだものを人に伝え、その人がさらにほかに伝えることができれば、徳の完成した君子に等しい。

 

「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず」


意味:15歳で学問を志し、30歳で独り立ちし、40歳で惑わされなくなった。50歳で天命を理解し、60歳で人の意見に素直に耳を傾けられるようになり、70歳で人の道をはずさなくなった。

 

「学びて思わざれば罔(くら)し。思うて学ばざれば殆(あやう)し」


意味:学ぶだけで自ら考えることをしなければ、真の意味の知識は身に付かない。一方、考えるばかりで知識を人から学ぼうとしなければ、賢明な判断を下すことができなくなる。

 

「多く聞きて疑わしきを闕(か)き、慎んで其の餘(よ)を言えば、則ち尤寡(とがめすく)なし。 多く見て殆(あやう)きを闕き、慎んで其の餘を行えば、則ち悔(くい)寡し。 言(げん)に尤寡く、行いに悔寡ければ、禄は其の中(うち)に在り。」


意味:勤め先を求める方法を学ぼうとしていた子張に対し、孔子はこう語った。「たくさんの意見に耳を傾け、慎重に行動を起こすのであれば後悔はしないし、勤め先も自然と見えてくる」

 

或ひと曰く、「徳を以て怨みに報いば如何」。子曰く、「何を以てか徳に報いん。直(なお)きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ」


意味:「徳を施して恨みのあるものに報いる方法はどうか」という質問に孔子は言った。「恨みのあるものには正しさで報い、徳を施してくれたものには徳で報いるのがいいのだ」


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渋沢栄一が最も大切にした愛読書『論語』|人格形成と利益主義のバランスを重視した男の哲学
男の隠れ家デジタル 2021.02.26
https://otokonokakurega.com/learn/secret-base/27485/

 

 

 

 

■渋沢栄一が「論語と算盤」の両立を力説した意味

「論語か算盤」の選別ではなく創造に結びつく

東洋経済 2020/07/25 印南 敦史 : 作家、書評家 

https://toyokeizai.net/articles/-/362925


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渋沢栄一といえば、500社もの会社の設立に関与したシリアル・アントレプレナーとして有名だ。

『33歳の決断で有名企業500社を育てた渋沢栄一の折れない心をつくる33の教え』(東洋経済新報社)の著者、渋澤健氏はその玄孫(やしゃご)にあたる人物。栄一から数えて5代目になるという。


「日本の資本主義の父」と呼ばれる栄一が残した『論語と算盤(そろばん)』は、いまなお広く読み継がれる談話録だが、同書を中心に、ビジネスパーソンに覚えておいてほしい栄一の言葉をまとめているのが本書である。


『論語と算盤』が出版されたのは、大正デモクラシーの中で経済がバブル化し、若い人を中心に立身出世、金儲けが注目された1916年のこと。そうした時代背景の中で出されたこの本で注目すべきは、「一見して相反する2つ」を融合させたことにあると渋澤健氏は指摘している。


商売で儲けたいなら、「慈善活動ではないのだから、多少は道徳に反することでも致し方ない」と考えがちだ。

かといって道徳ばかりを重視していると、「儲かる案件も儲からなくなる」可能性が生じる。

 

・「論語か算盤」ではなく「論語と算盤」


つまり論語と算盤は相反するもので、多くの利益を追求するにあたっては、どうしても道徳は無視されがちだということ。

しかし、そうではないと考えたのが栄一で、だから「論語か算盤」ではなく「論語と算盤」だというのである。


なお、いま改めて『論語と算盤』に注目することにも、大きな理由があるようだ。

日本は、バブル経済の崩壊によって「失われた20年」とも言われる長期の低迷を経験し、その間に人口減少に転じました。


いまの日本も、渋沢栄一が活躍した時代と同じように先が読めない、難しい時代に入っていますが、大変革の時代には、若い人が活躍するチャンスが訪れます。


現状を嘆いて立ち止まってしまうのはもったいない。

渋沢栄一のように未来を信じる気持ちを強く持てば、きっといまの停滞ムードを吹き飛ばせるはずです。(「はじめに」より)

もちろん、過酷なビジネスの現場に身を置いていれば、時には心が折れそうになることもあるだろう。

しかし、そんなときにこそ、渋沢栄一が残した言葉に触れ、“未来を信じる力”を取り戻してほしいと渋澤健氏は訴える。


たしかに、コロナ禍によってさらに先が見えにくくなっている状況だからこそ、それは重要な視点なのではないだろうか?

社会人になったばかりのころは期待や希望を胸に秘めていたかもしれないが、10年もキャリアを積めば、夢よりも現実が先に立ってくるものだ。


なかなか変えられない過去の慣行、上位下達で行われる命令系統、複雑な人間関係など、さまざまな要因に絡めとられ、次第に「組織の論理」に巻き込まれてしまうからだ。

しかも組織の規模が大きくなるほど、その傾向は強まっていく。


ならば転職という選択肢もあるだろうが、そこには勇気が必要となる。

ましてや現在の職場において“夢はないけれど生活は安定している”のであれば、ますます転職しようという方向に気持ちを切り替えることは難しくなる。


とはいえ、いま安定していると感じている職場は、本当に安定しているのだろうか??

渋澤健氏はその点を指摘している。


会社が大企業であったとしても、いつリストラされるかわからず、M&Aによって人員が削減するケースもあるだろう。

つまり現時点では、「一生涯、安定した生活が保証されるかどうか」などということは誰にもわからないのだ。

 

・未来を信じろ!


それは栄一にしても同じで、必ずしも順風満帆で「日本の資本主義の父」と呼ばれる地位を築いたわけではない。

大きな時代の変化を受けて、幾度となくキャリアチェンジを余儀なくされ、「4度目の正直」でようやく自分が本当にやりたいことにたどり着いたのだ。


【渋沢栄一の三度の挫折】

挫折①元々は尊王攘夷派の志士だったのに、若気の至りのクーデターに失敗して徳川慶喜に仕えることになった。

挫折②第二のキャリアがスタートしたと思ったら、大政奉還でそこから先のキャリアが望めなくなった。

挫折③明治政府で第三のキャリアがスタートして大蔵省のナンバー2まで上り詰めたものの、トップとぶつかって辞職することになった。(32ページより)


こうした度重なる挫折にもかかわらず、なぜ栄一は生涯をかけて500社もの会社を立ち上げ、日本の経済力を高めることに貢献できたのか??

この問いについて渋澤健氏は、未来を信じることができただけでなく、自分の夢を諦めなかったからだと答える。


事実、栄一は『渋沢栄一訓言集』で次のように語っている。

目的には、理想が伴わねばならない。その理想を実現するのが、人の務めである。(33ページより)


さらに『渋沢栄一訓言集』には、以下の言葉もあるという。

無欲は怠慢の基である。(33ページより)


夢には、欲につながる側面がある。「こうしたい」「ああしたい」という欲求があるからこそ、人は一生懸命になって、事に当たれるということだ。


ただし「無欲は怠慢の基である」と言ってはいるものの、栄一が求めているのは、「世の中をもっとよいものにしたい」という、よりよい社会の実現に対する欲。

それを率先垂範したのだ。


官尊民卑の傾向が強かった世の中にあって、民間の力をより強いものにするため、将来の日本の成長に必要な会社を次々と立ち上げていったわけである。

なお、そのうち186社が現存しており、みずほ銀行、王子製紙、東京海上日動、帝国ホテル、サッポロビール、東洋紡、IHI、清水建設、いすゞ自動車、太平洋セメント、川崎重工業、第一三共、朝日生命など、超有名企業ばかりが並ぶ。


しかし、いずれにも「渋沢」の名は冠されていない。

いわば栄一は、日本経済の「影の立役者」的な存在だったのだろう。


また栄一は、生涯を通じて「合本主義」を理想としていた。

それは、公益を追及するのに最適な人材と資本を集めて事業を推進し、そこで得た利潤を、出資した人同士で分け合うという考え方だ。

だが渋澤健氏はそれを、近年、欧米財界トップが提唱している「ステークホルダー資本主義」の原型であると解釈しているそうだ。


いずれにしても「合本主義」を強く推し進めることにより、自身が青年時代から“解決すべき社会の課題”と考えていた官尊民卑の風潮にメスを入れていったのである。

 

・「か」ではなく「と」の精神を持て!


冒頭で、「論語か算盤」ではなく「論語と算盤」であることの重要性について触れた。

さらに詳しくいえば、この点について渋澤健氏は「との力」を持つことの重要性を説いている。


「との力」に対する、もう1つの大きな力が「かの力」だ。

「か」とは、「or」。

右か左か、上か下か、白か黒か。

デジタルの世界でいえば、ゼロか1かの世界。

何かを進めるにあたり、物事を区別し、選別して進めることで効率性を高めることができる。

すなわち、それが「かの力」である。


もちろん「かの力」は、組織を運営していくうえで不可欠な力である。

また、A店とB店の値段を比較するなど、日常生活においても必要となってくる。


だが、そうは言っても「かの力」だけでは、無から有を生み出すことはできない。

「か」は2つの有を比較して選別するだけにすぎないため、新しいクリエーション、創造に結びつかないのである。


一方、「との力」は、一見すると矛盾しているようなもの同士を組み合わせることによって、そこにある条件が整うと、化学反応が起こり、それまで考え付かなかったような新しいものを生み出す力と考えることができます。(60ページより)


その典型的な例が「論語と算盤」だ。

算盤をしっかり勉強し、ある程度理解が進んでから論語の勉強をするとか、あるいは損得感情は後回しにして、まずは道徳を重視して仕事を進めるという人は多いことだろう。

しかし栄一は、論語と算盤に優劣をつけることなく、一緒に進めていこうと主張しているのだ。


たしかにビジネスを効率よく回していくためには、「かの力」で選別することのほうが適しているだろうし、少なくとも目先の効率は上がるかもしれない。

ただ、あくまでそれは「いま、ここにあるもの同志の選別」にすぎない。

したがって、それを繰り返していると、いつかは尻すぼみになってしまう。


一方「との力」は、先に触れたように一見すれば矛盾しているし、なかなか答えが出るものでもない。


論語と算盤を組み合わせて何が生まれるのかは、いまとなれば、ある程度の答えが見えているものではある。

だがそれは『論語と算盤』が世に出て100年近い年月が経過し、さまざまな事例が積み上げられてきたからだ。


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渋沢栄一が「論語と算盤」の両立を力説した意味
「論語か算盤」の選別ではなく創造に結びつく
東洋経済 2020/07/25 印南 敦史 : 作家、書評家 
https://toyokeizai.net/articles/-/362925

 

 

 


■この1文字で「論語と算盤」の精神がわかる!

3分で解説!なぜ、いま「渋沢栄一」なのか?

東洋経済 2021/03/16 渋澤 健 : シブサワ・アンド・カンパニー代表取締役、コモンズ投信会長 

https://toyokeizai.net/articles/-/413743


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・100年読み継がれる商売繁盛の指南書


渋沢栄一といえば実に500社ほどの会社の設立に関与したシリアル・アントレプレナーで、「日本の資本主義の父」と言われています。

その彼が行った講演を1冊にまとめた本が『論語と算盤』です。

100年も前に出版された本が、いまなお多くの経営者、ビジネスパーソンの座右の書として読み継がれています。


『33歳の決断で有名企業500社を育てた渋沢栄一の折れない心をつくる33の教え』

「論語」は、中国春秋時代の思想家だった孔子と弟子の会話を記したもので、孔子の名言集といってもいいでしょう。

人としての物事の考え方や道徳などについて述べているもので、聞けば知っている言葉がいくつもあると思います。

たとえば、「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」は、「温故知新」という四字成語で広く知られています。


一方、「算盤」は商売のことを指しています。

そもそも商売は、他のライバルを出し抜いたり、さまざまな駆け引きが行われたりする、まさに「生き馬の目を抜く」世界ですが、だからといって何をしてもいいというわけではありません。


渋沢栄一は、『論語と算盤』を通じて、「道義を伴った利益を追求しなさい」と言ったのです。

それと同時に、「公益を大事にせよ」とも言っています。


『論語と算盤』が出版されたのは大正5年(1916年)です。

大正デモクラシーのなかで経済がバブル化し、若い人を中心にして立身出世、金儲けが注目された時代でもあります。

そのような時代背景のなかで、栄一は警世の書としてこの本を出したのではないでしょうか。


『論語と算盤』で注目するべきは、「一見して相反する2つを融合させた」ことだと思います。


商売で儲けようと思ったら、「少々、道徳に反することでも、まあ致し方ない。慈善活動じゃないから」などと考えてしまいがちです。

逆に道徳ばかりを重視していると、「儲かる案件も儲からなくなる」かもしれません。

したがって論語と算盤は相反するものであり、かつ人は少しでも多くの利益を欲するため、商売繁盛を目指すうえでは、どうしても道徳は無視されがちです。


でも、そうではないというのが栄一の考え方です。

だから「論語か算盤」ではなく、「論語と算盤」なのです。


ビジネスでもSDGsへの取り組みが求められているいまなら、当然と思えるかもしれませが、渋沢栄一は100年も前に、持続可能な企業や社会のあり方に気づいていたのです。

 

・よい金儲けと悪い金儲け


渋沢栄一のこの考え方を、「倫理的資本主義」と称する人もいるのですが、本人は「道徳経済合一説」と言っていました。

ポイントは2つあります。

【ポイント①】

経営者だけが利益を得るのではなく、社会全体が利益を得る「理念」「倫理」にかなう志の高い経営を行わなければ、幸福は持続しない。


経営者は従業員よりも収入が多いのは当然ですが、あまりにも経営者と従業員の所得格差が広がったり、あるいは社会全般が貧困に陥ったりすれば、いくら大金を稼いだとしても、経営者の幸せは持続しません。

社会が貧困になればなるほど、社会情勢は不穏なものになるからです。


もちろん、栄一自身は決してお金儲けを否定したりはしませんでした。


「富を求め得られたなら、賤(いや)しい執鞭の人となってもよい」という栄一の言葉があるくらいです。

ただし、この言葉の後には、こう続きます。


「『正しい道を踏んで』という句がこの言葉の裏面に存在しておることに注意せねばならぬ」


よく1代で財を成した人に対して、「あいつは成金だからな~」などとさげすみの視線を浴びせるケースがあります。

これはたぶんに品位の問題があると思います。

1発当ててにわかに大金持ちになったものだから、銀座のクラブで豪遊したり、高級スポーツカーやクルーザーを乗り回したりするなどというのは、まさに品位に欠けた行為と言わざるをえません。


渋沢栄一の場合、もともとお酒が飲めない体質でしたし、時代が時代なので、クルーザーで遊ぶようなこともありませんでした。

唯一の道楽は、きっと事業だったのだと思います。


それに、渋沢栄一はいまでいうシリアル・アントレプレナーのようなもので、事業で得た利益はほぼ全額、次の新しい事業に投資することを繰り返していました。

なので、結局のところ手持ちのお金は、かなり限られていたと思います。

500社近い会社や団体を設立した割には、派手なことは一切しませんでした。

自分一人が利益を得て、自分だけがいい思いをすることを、潔しとしなかったのです。


【ポイント②】

利益はすべて自分のものだとひとり占めすることなく、利益を社会に還元しなければ、経済活動は持続しない。


『論語と算盤』の「処世と信条」は、「論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの」という項目から始まります。

言わんとすることを意訳すると、次のようになります。


「算盤は論語によってできている。論語は算盤の働きによって、本当の経済活動と結びついている。したがって論語と算盤は、懸け離れているように見えるが、実はとても近いものなのだ。私は常々、モノの豊かさとは、大きな欲望を抱いて経済活動を行ってやろうという気概がなければ進展しないものだと考えている。空虚な理論に走ったり、中身のない繁栄をよしとしたりするような国民では、本当の成長とは無関係に終わってしまう。だからこそ、政界や軍部が大きな顔をせず、実業界ができるだけ力を持つようにしたいと希望している。実業とは多くの人にモノが行き渡るようにする仕事である。これが完全でないと国の富は形にならない。国の富を為す根源は何かというと、社会の基本的な道徳を基盤とした正しい素性の富なのだ。そうでなければ、その富は完全に永続することができない。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致させることが、今日の急務だと私は考えている」


ちょっと長くなりましたが、ここに『論語と算盤』のすべてがあると私は思います。

「論語(道徳)と算盤(経営)を一致させること」が極めて大切な務めであることを言っており、それは「よい金儲け」とイコールです。

逆に、道徳を無視して金儲けに走るのは、「悪い金儲け」ということになります。

 

・「との力」が新しいものを生み出す


渋沢栄一の『論語と算盤』について、もう1つ覚えていただきたい言葉があります。

たったの1文字です。それは「と」です。

と??疑問に思った方も多いと思いますが、「との力」を持つことの大事さについて考えてみたいと思います。


「との力」に対して、もうひとつ大きな力があります。

それは「かの力」です。

「か」というのは、orです。

右か左か、上か下か、白か黒か。


何かを進めるに際して、物事を区別し、選別して進めることで効率性を高めることができます。

それが「かの力」です。


「かの力」は、日常や仕事などあらゆる場面で必要不可欠なものですが、「かの力」だけでは、無から有を生み出すことができないと思います。

新しいクリエーション、創造につながらないのです。

なぜなら「かの力」は2つの有を比較して選別するだけにすぎないからです。

分けて隔離すれば、そこからは化学反応、つまり、新しいクリエーションが生まれないのです。


一方、「との力」は、一見すると矛盾しているようなもの同士を組み合わせることによって、そこにある条件が整うと、化学反応が起こり、それまで考えつかなかったような新しいものを生み出す力と考えることができます。


『論語と算盤』は典型例です。

算盤をしっかり勉強して、ある程度理解が進んでから論語の勉強をするとか、仕事をするうえでも算盤勘定は後回しにして、まずは道徳を重視して仕事を進めるという人は多いと思いますが、渋沢栄一が言っているのは、「論語と算盤に優劣をつけることなく、一緒に進めよう」ということなのです。


確かに、「との力」は、一見すると矛盾していますし、なかなか答えが出てきません。

「との力」を用いることによって何が生まれるのかがはっきりするためには時間がかかりますし、それが見えてくるまでじっと耐える忍耐力も必要です。

おそらく何の成果も出てこないうちは、ただの無駄にも思えるでしょう。


でも、その時間の経過をじっと耐えているうちに、矛盾や無駄の中から、「あ、これはいける!」というものが、パッと眼前に現れます。それによって飛躍が生まれます。


その能力を発揮するためには、『論語と算盤』の根幹をなす「との力」を十分に発揮させることが肝心なのです。

渋沢栄一は、「との力」を原動力に、次々と新しいことに挑戦し続けたのでしょう。


いま目の前に渋沢栄一が現れたとして、コロナ禍の対応策で大事なのは、感染防止か、経済活動かと問えば、「感染防止と経済活動」と、きっと答えるでしょう。

「との力」が求められるいまだからこそ、いま渋沢栄一が注目されているのだと、私は思っています。


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この1文字で「論語と算盤」の精神がわかる!
3分で解説!なぜ、いま「渋沢栄一」なのか?
東洋経済 2021/03/16 渋澤 健 : シブサワ・アンド・カンパニー代表取締役、コモンズ投信会長 
https://toyokeizai.net/articles/-/413743

 

 

 

 


■渋沢栄一、儒教の教えを近代に 利益と道徳の両立で社会をつくる

朝日新聞 2021年12月5日 西田健作

https://www.asahi.com/articles/ASPD26637PCBUCVL01R.html


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「日本資本主義の父」と称され、生涯を描いた大河ドラマ「青天を衝(つ)け」が放送中の渋沢栄一は、儒教の経典「論語」を指針とした。

なぜ、封建制度を支えた儒教の教えを、近代に採り入れようとしたのか。


儒教の始祖・孔子(前551?~前479)は、中国・春秋時代の魯(ろ)の思想家だ。

動乱期に理想の政治を追求したが、政治家としては不遇で、晩年は弟子の教育に努めた。儒教は漢が前2世紀に国教化したとされ、以後、清の20世紀初めまで中国の王朝支配を正統化してきた。

中国では、仏教や道教と共に三大宗教の一つに数えられる。


儒教の道徳に「五常」の「仁義礼智信(じんぎれいちしん)」がある。

早稲田大学の渡邉義浩教授(中国古代思想史)は、孔子がこの中で重視したのは、「仁」と「礼」だと説明する。

「分かりやすく言うと、人としてどうあるべきかが『仁』、社会の中でどう生きるかが『礼』です」


一方、基本とする人間関係に「三綱(さんこう)」「五倫(ごりん)」がある。

「三綱」は父子、夫婦、君臣の関係で、「五倫」は長幼、朋友(ほうゆう)が加わる。

親に「孝(こう)」を尽くすことが最重要で、臣下は君主への「忠(ちゅう)」が求められた。

妻は夫に、年少者は年長者に従う。

儒教は秩序を重視し、体制維持に役立った。


孔子の没後に、孔子や弟子の言行を全20編約500章にまとめたのが「論語」だ。

渡邉教授はその成立を前漢(前202~後8)とみる。

宋代の12世紀に朱熹(しゅき)によって四書五経の経典に格上げされた。

渡邉教授は「『論語』は東アジアで最も読まれた古典。

それぞれの解釈で内容を説明する『注』によって理解されてきた。

論語の読み方は様々で『注』は古今で3千種類はあると思います」と話す。


日本に儒教が広まったのは江戸時代だ。

二松学舎大学の牧角悦子教授(中国文学・日本漢学)は、江戸時代と漢代は似ていると指摘する。

「乱世には武力が必要だが、統一後は体制維持のために秩序と理念が必要になるからだ」


徳川幕府は、朱熹が儒教を再解釈した「朱子学」を官学とした。

牧角教授は「修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)」という言葉にそのエッセンスが詰まっているという。


「まず、自分自身が儒教的な精神を整えて身を修める。それが家を整(斉(ととの))えることにつながり、国が治まり、最終的には天下国家を秩序づけることになる」


江戸後期になると「寛政異学の禁」で朱子学以外が禁止され、朱子学がさらに広まった。

「各藩の武士は藩校で、庶民は寺子屋で学んだ。『論語』を通じて、身分に応じた道徳理念や清廉の思想を身につけた」


その一人が、豪農の家に生まれ、武士、官僚から商人に転じた渋沢栄一だった。

牧角教授は「渋沢も、まず修身が大事だと繰り返し言っている」と話す。


渋沢の考えは『論語と算盤(そろばん)』(1916年)に記されている。

講演をまとめたもので、2010年出版の『現代語訳 論語と算盤』(ちくま新書)が60万部発行されるなど、現在も広く読まれている。


同書の訳者で作家の守屋淳さんは、企業経営者が注目する理由の一つに、08年のリーマン・ショック以降に欧米流の強欲な資本主義が行き詰まりを見せていることを挙げる。「原点に返り、日本人が資本主義を導入したころに重視していた価値観を振り返ってみようということではないか」


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渋沢栄一、儒教の教えを近代に 利益と道徳の両立で社会をつくる
朝日新聞 2021年12月5日 西田健作
https://www.asahi.com/articles/ASPD26637PCBUCVL01R.html

 

 

 

 

■満州事変の2カ月後に死去した渋沢栄一。「日本経済の父」がラジオで語った平和への願い【戦後76年】

Business Insider Japan 吉川慧 [編集部]Aug. 15, 2021

https://www.businessinsider.jp/post-240385


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「日本資本主義の父」「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一(1840?1931)だが、その活動は一人の実業家の枠には留まらなかった。


貧困者や孤児、老人などを救済する東京養育院の運営などの社会福祉事業に奔走し、晩年は民間外交にも尽力。

日本が国際的孤立を招きつつある時代、アメリカや中国との親善にも力を注いだ。


晩年には世界平和への理想をラジオで国民に語りかけた。

それでも、渋沢の願いは届かなかった。


1931年9月、日本の関東軍は満州事変を引き起こし、中国東北部を占領。

その2カ月後、渋沢はこの世を去っている。


歴史が教えてくれるように、渋沢の死と前後して日本が歩み始めたのは「1945年8月15日」へと至る道だ。

渋沢は民間外交でどんな動きを見せたのか。


そして、どんな言葉を紡いだのか。

その足跡を知るために國學院大學の杉山里枝教授(日本経済史)を訪ねた。(聞き手:吉川慧)

 

・民間外交の担い手、日米関係の改善に尽力

 

ー生前の渋沢栄一は、中国を軸とした日米関係を重視していました。

 

渋沢は辛亥革命で中華民国の「建国の父」となった孫文、さらには袁世凱、孫文の後継者となった?介石とも親交がありました。


アメリカ側とも関係を結び、1879年にはグラント前大統領を歓待しています。

渋沢も日露戦争前から大正期にかけて4回アメリカを訪れています。

最初は1902年、日本の国際化を目指す中での欧米視察でした。


1906年にサンフランシスコで大地震が起こった時には、渋沢が頭取をつとめる第一銀行は当時の価格で1万円という大金を義捐金として供出し、その他にも多額の義捐金を集めてアメリカに送りました。


さらに1909年、渋沢は外務省の協力を得て、約50名からなる渡米実業団の団長としてアメリカを訪れています。


ただ、アメリカ国内では19世紀末から黄禍論があり、日本人移民の排斥運動の空気も次第に生まれていった。

訪米した渋沢も、これを感じ取ってはいたようですね。

 

ーそうした中、1914年に第一次世界大戦が勃発すると、日本は日英同盟を口実に連合国として参戦。中国での利権拡大を狙って「二十一カ条要求」を中国側に要求しました。英・米は大戦中で大きく介入できませんでしたが、日本への警戒心が高まった事件でした。

 

ところが1920年にはカルフォルニア州で日本人の土地所有の禁止を決めた排日土地法が成立し、日米関係は悪化へと向かいます。


それでも渋沢は、なおも努力を続けます。

第一次世界大戦後、軍縮を協議した1921年のワシントン会議には民間の立場で視察。オブザーバーとして参加します。


この時すでに80歳だった渋沢ですが、太平洋地域の安定のためにも、日本を警戒するアメリカが主導した軍縮に賛同。ハーディング大統領に面会し、ニューヨークでは財界人と交流しつつ、日米親善を目指しました。


さらに1923年の関東大震災では、自身のネットワークを通じてアメリカからの復興支援も取り付けます。

日米の実業界の関係は決して悪いものではなかった。


そうした中で1924年、アメリカで「排日移民法」が成立してしまうんですね。

 

ーこの「排日移民法」は、低賃金の日本人の移民がアメリカ人の雇用を妨げるとして、日本からの移民を全面禁止する内容を含んだものでした。渋沢にとって大きなショックだったようですね。それでもあきらめず、冷静に未来への望みを説いていましたが…。

 

意外かもしれませんが、渋沢としては移民には肯定的な立場だったんですね。

それこそ、渋沢の頭の中にはグローバルな地球儀がいつもあったと思います。


そうなると、人が移民し、適材適所でやっていくということは必然。

それでゆくゆくは日本も世界も豊かになると考えていたことでしょう。


しかし排日移民法は、こうした渋沢の考えとは相容れません。

東京養育院で社会的な弱者を救済する活動をする渋沢にとって、アジア人、日本人だからという理由で排斥されることは、望ましいことではなかったはずです。

 

ー渋沢自身は、第一次世界大戦での二十一カ条要求やシベリア出兵に反対論を唱えていました。ただ、中国をめぐり日米関係は悪化していった。

 

特に、大戦期の日本は好景気にのって輸出を強化していきましたが、そのことでも他の列強からバッシングを招くようになりました。


また、日本が対外膨張に傾倒していき、警戒される存在になっていった時期とも重なっていますね。


だからこそ、アメリカとの関係は民間外交によってなんとか改善したいという思いがベースにあったようです。

ただ、それも次第に実現が難しくなっていきます。

 

ーそれでも、渋沢は日米関係を良好に保ちたいと様々な取り組みをしています。そのうちの一つが「青い目の人形」による人形外交でした。

 

きっかけは、アメリカで排日運動が深刻になっていた1926年に知日派の宣教師シドニー・ルイス・ギューリック博士から寄せられたある申し出でした。


アメリカの子どもたちから、日本の子どもたちへ、友情の象徴として人形を贈り、両国の親善を図りたい、と。

渋沢はギューリックの求めにすぐに応じ、翌年の1927年に日本国際児童親善会を設立し会長になります。

 

ーアメリカから約1万2000体の「友情人形」が贈られ、日本からも「答礼人形」として58体の市松人形を贈りました。ただ、友情人形は太平洋戦争下でその多くが失われた。およそ300体が現存しているそうですね。

 

こうした国際親善が評価されたことから、1926年と1927年には渋沢は日本の政府関係者からの推薦などを受け、ノーベル平和賞の候補にもなりました。

アメリカからも推薦状が届いたとか。

ただ、受賞には至りませんでしたが……。

 

渋沢の発言をたどると、明治期の台湾出兵のころから戦争には反対の立場でした。第一次世界大戦中にも軍備拡張による対外膨張を戒めています。

 

渋沢の平和への考えは、戦争が国の財政を圧迫し、市民の暮らしを苦しめることになるという経済的な側面からの意見でもありました。

ただ、渋沢が関わっていた第一国立銀行は、1876年の日朝修好条規の締結の頃から、朝鮮への侵出に関心をもっていました。

これは渋沢自身が植民地支配を志向したというより、新たなビジネスの地として見ていた向きがあります。

 

ー一方で渋沢は、第一次世界大戦後、その反省から国際連盟の精神を達成する目的で各国につくられた「国際聯盟協会」の会長になりました。

 

1926年11月11日には、第一次世界大戦の休戦から8年の記念日にラジオで世界平和を訴えています。

その中でも渋沢は自らが大切にしてきた儒学の教えを引いて、道徳心からの平和を説いています。


渋沢の肉声は、東京都北区飛鳥山の渋沢史料館でその一部を聴くことが出来ます。

以降1929年まで、最晩年の渋沢にとっての毎年の恒例行事となりました。

 


ーこうした渋沢の訴えは実らず、1931年9月には満州事変が勃発。日中の対立は決定的となり、中国との十五年戦争へと突入します。

 

この年に中国で大洪水が発生すると、渋沢は義援金を集めました。

ただ、中国側は満州事変を受けて、やむを得ず支援を断っています。

 

ー満州事変の2カ月後、渋沢は91歳でこの世を去りました。この後、日本は渋沢が思い描いた方向とは真逆に進んでいきます。

 

渋沢の没後、日本は戦時体制へと移り、国際社会からはますます孤立していきます。

やがては太平洋戦争へと突入しました。


戦時下で財閥系の企業の影響力が拡大する中、渋沢の存在も戦争を通じて薄れていった面もあると思います。

渋沢の『論語と算盤』のうち、「論語」である道徳も薄れていった。

戦後も一般的な知名度は必ずしも高いとは言えない状態が続きましたから。


当の渋沢本人は、死の床に際して「100歳まで生きて奉公したい」と語っていました。


渋沢の葬儀の日のこと。

棺を乗せた車が走った沿道は数万の人で埋め尽くされたそうです。

渋沢を慕う人が、少なからずいたことを伝えるエピソードですね。


仮に100歳まで健在だったのなら、日米開戦前夜の1940年まで生存していたことになります。

もしかしたら、また日本が歩んだ道は違ったかもしれない……と、つい想像してしまう。

そんな不思議な魅力が、渋沢にはあったのかもしれません。

 

渋沢の人生は、近代アジアの激動期と奇しくも重なる。

生まれ年の1840年は中国最後の王朝・清朝がイギリスと戦って敗れた「アヘン戦争」勃発の年。

亡くなった1931年には、日本の中国侵略の契機となった「満州事変」が勃発した。


列強と渡り合うため日本の富国強兵が進められた時代。

先見性に優れた経済界の大御所も帝国主義・植民地主義を止めることはできなかった。

こうした点を渋沢の「限界」と指摘する意見もある。


渋沢の没後、日本は大きな岐路に立った。

1932年には満州国の成立、五・一五事件。

33年には国際連盟を脱退。次第に国際的な孤立を深め、軍国色が強まっていく。


世界に目を向けると、1933年にドイツでナチスが政権を獲得し、アドルフ・ヒトラーが首相に就任。

一方、アメリカではフランクリン=ルーズベルトが大統領に。

渋沢の死から6年後の1937年、盧溝橋事件を発端に日中戦争へと突入した。


世界は刻一刻と第二次世界大戦へと近づき、渋沢が心血を注いだ経済界を中心とした民間外交は頓挫。

重要視していた日本と米・中の関係はもはや修復不可能に。

そうして行き着いた先が、76年前の8月15日だった。


渋沢が生きた時代をいま一度ふりかえることは、「過ち」を繰り返さないためにも大切な試みだ。


大河ドラマなどで渋沢に注目が集まる2021年。

彼が晩年にラジオで人々に語りかけた平和への言葉は、今の世界にどう響くだろうか。

 


ーーー

まずアメリカ人の中には、善い者もあり悪い者もあるということを理解せねばならぬと思います。
アメリカの日本移民に対する関係が、私の知っている限り今の有様であって、こう申すと脈が切れたようにお感じなさるか知れませぬが、いまだそうではございませぬから、たとえ万一にこれが思うように行きませぬでも、また未来に望みないと申せぬであろうと思います。
なるべく短気を起されぬようにお願いをしとうございます。
(「米国における排日問題の沿革」1924年5月20日東京銀行倶楽部晩餐会演説)

ーーー

「生産殖利によって武力を拡張し、これによって他国を併呑するのは、これ国際道徳を無視した野蛮の行為である」(1918年3月「竜門雑誌 第三五八号」)

ーーー

国際間の経済の協調が、連盟の精神をもって行はるるならば、決して一国の利益のみを主張することはできない。

他国の利害を顧みないということは、正しい道徳ではない。

いわゆる共存共栄でなくては、国際的に国をなしていくことはできないのであります。

経済の平和が行われて、始めて各国民がその生に安んずることができる。

而(しこう)してこの経済の平和は、民心の平和に基(もとい)を置かねばならぬことは、申すまでもありません。

他に対する思いやりがあって、即ち自己に忠恕(ちゅうじょ)の心が充実してはじめてよく経済協調を遂げ得るのであります。

中庸に「誠者天之道也誠之者人之道也」という警句があります。いかにも天は昭々として公平無私で、四季寒暑みなその時を違えず、常に誠を尽して万物を生育しておりますが、人間はこれに反して互いにに相欺き相争い、この天の誠を人の道とすることを忘却しているのは、実に苦々しい限りであります。

どうぞ前に申した通り、一人一国の利益のみを主張せず、政治経済を道徳と一致せしめて、真正なる世界の平和を招来せんことを、諸君と共に努めたいのであります。

(1928年11月11日「御大礼に際して迎ふる休戦記念日に就て」)

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満州事変の2カ月後に死去した渋沢栄一。「日本経済の父」がラジオで語った平和への願い【戦後76年】
Business Insider Japan 吉川慧 [編集部]Aug. 15, 2021
https://www.businessinsider.jp/post-240385

 


【『論語』は「日本人の心のよりどころ」】日本人と『論語』の歴史とは? ~人生の悩みや迷いを読み解くヒントとして知られる『論語』人生を導く孔子の名言5選~

2023-01-13 09:07:34 | 日記


■なぜ日本人は『論語』を「心のよりどころ」にするのか

ゼロから学んでおきたい「日本人と『論語』」①

國學院大學メディア

https://www.kokugakuin.ac.jp/article/242102


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視点①「日本人と『論語』の歴史とは? 」


『論語』とは中国・春秋時代の思想家・孔子(紀元前551年?~紀元前479年)とその弟子たちの言行を記録した書物だ。


「人はどう生きるべきか」や道徳観について説き、中国や日本、朝鮮半島、ベトナムなどで後世に大きな影響を与えた。


日本人と『論語』の関わりは古い。

奈良時代に編纂された『古事記』や『日本書紀』の両方に、既に『論語』の記述がある。

 
「又百済の國に、『若(も)し賢(さか)しき人有らば貢上(たてまつ)れ。』と科(おほ)せ賜ひき。故、命(みこと)を受けて貢上れる人、名は和迩吉師(わにきし)。即ち論語十巻(とまき)、千字文一巻(ひとまき)、并せて十一巻(とをまりひとまき)を是の人に付けて即ち貢進(たてまつ)りき」(『古事記』應神天皇条より)
 

石本教授は「日本で初めての『本』として登場したのが『論語』だったという事実に注目してほしい」と解説する。

『古事記』によれば、『論語』は朝鮮半島の百済から和迩吉師(わにきし)によって應神天皇に献上され、日本にもたらされた。

『論語』の言葉が発せられてから1000年ほど後になる。

「登場の歴史が華々しく、当時から『論語』は特別の書(ふみ)だった」(石本教授)。應神天皇は宮中での王子の教育のために家庭教師をつけて『論語』を学ばせたという。


例えば聖德太子(厩戸王)が制定した『十七条憲法』(※1)の第一条「和をもって尊しとなす」も『論語』の教えを取り入れている。

「有子曰 禮之用和爲貴(有子曰はく、礼の用は和を貴しと為す)」(『論語』學而「禮之用和爲貴」章)


「聖德太子もこれはよい教えだということを認識していて、たった十七しかない憲法の中に掲げた」と、石本教授は説明する。


興味深いのは、十七条憲法で取り入れられた「和」は、もともとの『論語』の中で最も重要な言葉として位置付けられていないという点。

石本教授は「『論語』の教えの中から日本人はその時代時代で、主体的に自分たちにとって価値のあるものだけを選んできた」。


つまり、外国の制度や書物、全てを取り入れたわけではないということだ。

例えば日本は中国の科挙は根付かなかった。

科挙とは中国・清の時代まで約1300年にわたり、導入されていた官吏登用試験だ。

石本教授は「厳しい試験制度は、和を尊び利己を嫌う十七条憲法の日本にはなじまないと考えたのではないか」とみる。


『論語』に話を戻そう。

日本に伝来してから『論語』は長く、宮中など身分の高い一部の人だけのものだった。

時代によって解釈も少しずつ変化した。

中国において『論語』の古い注釈はおおむね漢から唐の時代で、新しい注釈は北宋以降になる。


そして『論語』が爆発的に広がる江戸時代に入る。(続く)

 

・視点②「学問の基礎だった江戸時代の『論語』」


『論語』が日本国内で大きな広がりを見せたのが江戸時代だ。

青木准教授は「爆発的に読む人が増え、出版が盛んになった。

江戸時代で売れた本でトップ5に入るだろう」と語る。

石本教授と青木准教授は現在、神道文化学部の西岡和彦教授と江戸時代に武士や庶民がどのようにして『論語』を学んだかといった研究を進めている。


徳川幕府は朱子学を推奨し、代表的な書物である「四書五経(※1)」が注目される。

『論語』はその中でも重要な書物、学問への入り口として普及していく。


例えば戦国時代、武士階級では『論語』を知る武将は少数だった。

加藤清正が前田利家から『論語』を勧められ、驚いたというエピソードがあるほどだ(『明良洪範』)。

しかし江戸時代、武士は文武の教養を積むことを求められ、藩の教育機関である「藩校」 (※2)で『論語』を学んだ。

一方、庶民階級では「寺子屋」が普及し、日常生活に必要な教養を身に着けていった。


また、藩校や寺子屋以外にも江戸時代は「塾」ができる。

人気の塾は門人が3000人以上いたところもあるという。

幕藩体制であったため、こうした教育機関は全国に作られた。


『論語』の広がりとともに、内容を分かりやすく解説した数多くの「訓蒙書」が登場する。

石本教授は「当時の広告を見ると、訓蒙書のターゲットがよくわかる。昼間忙しい商人や農民向けの訓蒙書から藩校の先生用の“虎の巻”まで。コラムや図版が入っているものもあり、今の学習参考書の基となった」と説明する。

本には総ルビがふられ、漢字や仮名で書かれているため、漢文と比べて親しみやすいことも人気の理由だった。

 

・わかりやすく説明にまでルビがふられた江戸時代の訓蒙書(渓百年『論語余師』)


訓蒙書の中には、200年以上ベストセラーになった『名著』もあるという。

「商売が成立するために一番大事なことは『信』だ」と説く本も。現代ならビジネス啓発本といったところか。江戸時代に出版された『論語』の訓蒙書は100種類を超える。訓蒙書が多く流通していた証左となるのが、現代での古書店での値付けだ。「神保町の古書店では安価で売られている本もあり、非常に広く流通していたことがわかる」(青木准教授)


次第に『論語』は「人間をつくるための本」として知られるようになっていく。

「日本人は教育や習い事の目的の中に『人格形成のため』などの目的を掲げることが多い。礼儀作法や態度、言葉遣いといった人格を形成するための教えが書かれている『論語』はぴったりだった」(石本教授)。


青木准教授は「中国古典をそのまま受け取るのではなく、一度自分たちの内部に取り込み、咀嚼して新たな解釈を加えた点が面白い」と語る。

江戸時代の儒学者、伊藤仁斎は『論語』を「最上至極宇宙第一の書」と言い切った。

荻生徂徠は「朱子学は人情の自然を抑圧する」と批判的な見方をした。

思考を止めることなく、それぞれが新しい解釈を加えていった。(続く)

 

・視点?「渋沢栄一はなぜ『論語』を掲げたのか」


文明開化の波が押し寄せた明治時代に入っても、『論語』はよく読まれた。

話はいよいよ渋沢栄一と『論語』の関わりに入る。

資本主義の制度設計に携わり、「近代日本経済の父」と言われる渋沢がなぜ『論語』を掲げたのか。


青木准教授はこう解説する。

「渋沢は『実行の人』、つまり現実主義者だった。

現実的にどうするかが書かれていてる『論語』とは親和性が高かった」。

『論語』、儒教は実践の学問だった。


実は渋沢は『論語と算盤』の他にも『論語』をテーマにした本を著している。

『実験論語処世談』と『論語講義』の2冊。

青木准教授は「『論語と算盤』は有名だが、お薦めは『論語講義』で、特にその前半」と話す。


青木准教授が薦めるポイントは2つある。

1つは渋沢が自らの生涯を通して経験した原理原則を『論語』にあてはめ説明していること、もう1つは文中から、大切なことを若い人に伝えたいということが読み取れることだ。

「文中では『(渋沢自身の)人生から見ると』や『青年諸君、紳士淑女』といった表現が非常に多い。これから長い人生を歩む若者に、渋沢自身の人生から見つけ出したものを伝えたいという気持ちがあったのでは」(青木准教授)。


「世間では学校出身者も実際には左程の価値なしといふ人あれども。余はさうは思はぬ。学校の課程を順序よく修めて居る人は。之を学校出身でなき人に比すれば。すべて仕事に秩序的な所があつて、能率がよく挙がると思ふのである。(中略)広い意味からいへば。学問は一種の経験で。経験も又一種の学問である。老年も青年も斯(この)消息は宜しく心得て置かざるべからず。(『論語講義』公冶長「必有忠信如丘者焉」章)


また、渋沢は「文明国、文明社会の紳士を目指せ」とも『論語講義』の中で説く。

『論語』の「君子」を渋沢は「ジェントルマン(紳士)」に置き換えているのだ。

「孔子の言はれた本章の主意は現代にても実行せらるべき性質もものであって。決して時代に適せぬ言と見るべからず」(『論語講義』學而、「不患人之不己知」章)などと呼び掛けている。

また、「さて今の青年には外見上の体貌に修飾を加へて。風采を整ふる事には余念なきが如しと雖も。心意上の修飾に至ては遺忘し居るに似たり」(『論語講義』八●(はちいつ、人偏に八の下に月)「繪事後素」章)と若者への厳しい指摘も。


約500社もの会社設立に携わり、実業家としての側面がクローズアップされることが多い渋沢だが、生涯をかけて「道徳経済合一」を追い求めた。

私利私欲ではなく、公益を追求する「道徳」と、利潤を求める「経済」が事業において両立しなければならないという考えだ。

その道徳の手本とすべきとした書物が『論語』だった。


「…。更に望むらくは、世の青年諸君は後日の紳士為政者たるべき人なれば。一身の為めにも国家の為めにも。道徳を基調とせられたし。道徳に斃れたる例はこれあらざるなり」(『論語講義』為政「道之以政」章)

石本教授は「物事の本質を考える時に古典はとても有力だ。

時代や社会が変化しても本質は変わらない」と強調する。 


「民無信不立(民、信無くんば立たず)」(『論語』顔淵「民無信不立」章)

仕事上の取り引きから友人関係まで全てに通じる『論語』の教えは、コロナ禍でコミュニケーションが取りにくくなった今、ますますその重みを増している。


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なぜ日本人は『論語』を「心のよりどころ」にするのか
ゼロから学んでおきたい「日本人と『論語』」①
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■『論語』に学ぶ。人生を導く孔子の名言5選

人生の悩みや迷いを読み解くヒントとして知られる『論語』

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・孔子とはどのような人物か


   
孔子は紀元前552年(551年とも)、魯の国(現在の中国・山東省)に生まれました。

3歳のときに父を亡くした孔子は巫女だった母の仕事を見て育ったこともあり、遊びでも祭器を並べて礼法の真似事をするような礼儀正しい子どもだったと言われています。


孔子が17歳のときに母も亡くなり、孤児として育ちながら勉学に励みます。

20歳を過ぎたときには魯の役人として、貨物倉庫の出納係を立派に勤め上げ、後に牧場を管理することに。

そして30歳を過ぎたときには周の都に行って、勉強に打ち込みます。

その後、孔子は貴族の横暴な政治が横行していた魯の政治を立て直そうと励みますが、あえなく失敗。

再び政治の世界に舞い戻る……ということはなく、諸国を遊説して回るようになります。

このときに孔子を慕う弟子が続々と現れ、最終的には3,000人もの弟子がいたとも言われています。

孔子はそれほど多くの人の心をつかむ哲学者として、現代にも通用する考えを説き続けたのです。

 人生を通し、常に学ぶ姿勢を持ち続けた孔子。その生き方から得た言葉の数々を見てみましょう。


    
【仕事編】心に留めたい、論語の教え

 

『論語』は、孔子と弟子たちとの対話をまとめたものであり、国や時代を問わず多くの人に気づきを与えてきました。

それでは仕事で生かせる、孔子の教えを『論語』から読み解いていきましょう。
   


・上司とどう付き合えばいいかがわからない


“子路(しろ)、君(きみ)に事(つか)えんことを問う。子曰く、「欺くことなかれ。而(しか)してこれを犯せ。」”

【現代語訳】

子路が「主君に対して、どのように仕えるべきなのでしょうか。」と孔子に尋ねた。「嘘はついてはいけない。そして、主君にさからっても諫めよ。」と孔子は答えた。


トラブルが発生しそうなときに「指摘されるのが怖いから黙っていよう」、「自分でなんとかしよう」と勝手に判断し、いざトラブルが表面化してから慌てる……そんな出来事に覚えがある人もいるのではないでしょうか。

そんな「嘘をついたり隠したりする」ことを孔子は厳しく諫めています。


一方で、上司もミスをすることがあるでしょう。

そんなときは「上司だから」、「逆に怒られるかもしれないから」と引いてしまうのではなく、堂々と誤りを指摘するべきだ、とも孔子は説きます。

自らの立場を守るために上司の顔色を伺うのではなく、「間違ったことは事実」として声をあげる勇気が、今の世の中には必要なのかもしれません。


そして、もし自分が部下を抱えているのなら、自分の部下はどちらのタイプなのかを思い浮かべてみてください。

顔色ばかりを伺うのではなく、多少気は強くとも「それは違います!」と言える部下がいるのなら、あなたの大きな助けになるのではないでしょうか。


  
・仕事が楽しくない


   
“之れを知る者は之れを好む者に如(し)かず。 之れを好む者は之れを楽しむ者に如(し)かず。“

【現代語訳】

ある物事を理解している人には知識があるが、好きな人には敵わない。 ある物事を好きな人は、楽しんでいる人には敵わない。


日々働いていて、ふと「私はこの仕事に向いていないんじゃないかな」と悩んだことはありませんか。

そんなときほど結果を出せないことを悔やみ、負のスパイラルに陥りがちですが、孔子は「知る」、「好きになる」、「楽しむ」ことの大切さを述べています。


「やらされている」と感じている物事は、いつまで経っても上達しません。

それどころか「面倒だ」、「投げ出したい」とさえ思うでしょう。

まずは目の前の「やるべきこと」を整理し、「好きになる」「楽しもう」と意識することが働く・学ぶうえで欠かせない要素ではないでしょうか。


 
・知識がなかなか身につかない


“子曰く、学は及ばざるが如くせよ。猶(なお)之を失わんことを恐れよ。”

【現代語訳】

先生が言われた。まだまだ自分は十分ではないという思いを持ち続けるのが学ぶということだ。のみならず、学んだことは失わないよう注意しなさい。


成長を実感する瞬間は嬉しいもの。

しかし、そこで「自分はもう十分に学んだからできる」と調子にのるのではなく、「常に謙虚であれ」と孔子は主張します。


また、知識は得たら終わりという簡単なものではありません。

どんなに優れたスポーツ選手や職人であっても、その道から一旦離れてしまえば腕は鈍ります。

「テストで高得点が取れたからもういいや」、「タスクが終わったから終わり」とその場限りの努力にしてしまえば、できたはずのことができなくなることも避けられないでしょう。

自分の武器を増やし、自信を持つためには謙虚であると同時に、常に学ぼうとする姿勢を維持する必要があります。

   
【生活編】心に留めたい、論語の教え

 

ここからは、日常生活にも役立つ、孔子の教えを『論語』から読み解いていきましょう。
 

・読書で効果的に知識を身につけたい


“子曰く、学びて思わざれば罔(くら)し。思いて学ばざれば殆(あやう)し。”

【現代語訳】

先生は言われた。読書や先生から学ぶだけで、自分で考えることを怠ると、知識が身につかない。しかし、考えることばかりで読書を怠ると、独断的になって危険である。


知識を身につけるための読書、そして知識を自分の血肉とするための思索。

良い行動につなげるためには両方が必要となります。

たとえば、料理をするにしてもレシピ本を読むだけでは決して料理は上達しません。

かといって料理の知識がない人がレシピ本を読まずにいきなり料理をしても、独自の味付けや調理方法では美味しい料理を完成させるのは難しいでしょう。


効果的に知識を身につけるには、読書で知識を学ぶだけでなく、その知識を活かして自分自身の頭で考える。

そのバランスを上手にとることが大事であると孔子は諭しています。

 

・いつも「口だけ」と言われてしまう


“子曰く。先ず行う。その言や、しかるのちにこれに従う。”

【現代語訳】

先生は言われた。まずは行動をしなさい。言葉は後からついてくるのだから。


「いつか漫画家デビューする」、「夏までに痩せる」と大きな目標を掲げるも、「明日からでいいや」とすぐに諦めてしまう……あなたもそんな「口だけの人」になっていませんか?


目標と行動は、常にセットです。

宣言してから実際に行動すれば「有言実行」ですが、いつまでも行動に起こさなければ「有言不実行」でしかありません。

そんな「有言不実行」の人は次第に「どうせ口だけ」、「やらないくせに」と周囲の信頼を失ってしまうかもしれません。


「今は気分じゃない」、「まだそのときじゃない」という言い訳ばかりを考えるのではなく、まずは行動する。

その一歩があなたを大きく成長させると孔子は語っています。
    


・孔子の教えをもとに、自身を成長させよう


孔子の教えは、色あせることなく後世の人々の心に刺さるものばかりです。

『論語』を「難しそう」というイメージで、今まで手にとってこなかった方にとっては新たな発見もあったのではないでしょうか。


『論語』は解釈によって、さまざまな読み解き方ができるものでもあります。

あらためて、人生に迷ったときは『論語』から今にも生かせる孔子の考えを学んでみてはいかがでしょうか。  


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『論語』に学ぶ。人生を導く孔子の名言5選
人生の悩みや迷いを読み解くヒントとして知られる『論語』
東洋大学
https://www.toyo.ac.jp/link-toyo/culture/confucius/

 

 

 


■渋沢栄一の名著『論語と算盤』――近代日本資本主義の父・渋沢が説く「人生哲学」とは

野村証券 2021年08月25日

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2021年の歴史ドラマの主人公であり、新1万円札の顔に決定した、渋沢栄一。

近代日本資本主義の父として知られる彼はたくさんの名著を残しているが、その中でも長く愛されているのが『論語と算盤』だ。


「利潤と道徳を調和させる」という渋沢の経営哲学が詰まった本書は、初版発行から100年以上経った今も、グローバル化や社会貢献などさまざまな価値観が存在する現代社会において、新鮮な示唆を与えてくれる。


大正5(1916)年に刊行されて以来、数多く訳されてきた本書であるが、今回はその一つである『現代語訳 論語と算盤』(筑摩書房)の概要を述べるとともに、変化が激しく先の見えない今だからこそ、おさえておきたい渋沢流の人生哲学を紹介する。

 

・渋沢が説いた「事業をどう進めるか」から「人はどう生きるべきか」まで


著者の渋沢栄一は、幕末から明治・大正・昭和までを生き抜いた実業家である。

有力な農家に生まれた渋沢は、幼い頃から論語をはじめ、さまざまな学問を身につけてきた。

起業家として銀行・証券取引所・鉄道・ガス・ホテルなど、生涯を通じて500社余りの会社設立に関わった。

その多くが現在の日本経済を支える名だたる企業へと発展し、現在では「近代日本資本主義の父」と呼ばれている。


その渋沢が本著『論語と算盤』で一貫して語っているのは、「資本主義の利益主義一辺倒になってはいけない。道徳と経済のバランスをとることが大切だ」ということだ。

タイトルにある「論語」とは人間性や人格の磨き方、リーダーとしてのあり方、人との付き合い方など、いわゆる「道徳」の象徴である。

一方、「算盤」とは、科学技術を進化させ、経済をまわし、国を豊かにすることを表している。


つまり渋沢は本著の中で、「利潤と道徳を調和させる」という経営哲学を説いているのだ。


経済の成長を追求するあまり、どうしても「算盤」優勢になりがちな現代社会において、「論語」と「算盤」を均衡させることが大事だという渋沢の主張は、資本主義の暴走に強くブレーキを引くものである。

事業を進める上での話のみならず、「人はどう生きるべきか」といった根源的な問いかけにも、明確に答えてくれる。

つまり本著は、経営哲学だけでなく、人生哲学も語っているのだ。

 

・いち早く“資本主義の弱点”を見据える


この本を読む前におさえておきたいのが、『論語と算盤』が出版されたのが、大正デモクラシーのなかで経済がバブル化し、立身出世や金儲けが大きな注目を集めていた大正5(1916)年のことだった、という事実だ。


そうした時代では、当然ながら道徳よりも経済が優先されており、「事業は慈善活動ではないのだから、多少は道徳に反しても致し方ない」と考えられがちだった。

利益を追求するためには、どうしても道徳は軽視されてしまうのだ。


だが渋沢は、「道徳」と「経済」という一見して相反する2つを融合させ、「道徳と経済をバランスよく進めることが大事だ」と説いた。

その根拠については、渋沢の次の一文によく表れている。


いかに自分が苦労して築いた富だ、といったところで、その富が自分一人のものだと思うのは、大きな間違いなのだ。

要するに、人はただ一人では何もできない存在だ。


国家社会の助けがあって、初めて自分でも利益が上げられ、安全に生きていくことができる。(~中略)これを思えば、富を手にすればするほど、社会から助けてもらっていることになる。(p.96)


さらに渋沢は、「本当の経済活動は、社会のためになる道徳に基づかないと、決して長く続くものではない」と断言し、「算盤だけではなく、道徳も身につけよう」と語っている。


渋沢が道徳の象徴として取り上げている『論語』とは、孔子が語った道徳観を弟子たちがまとめたものだ。

渋沢は幼い頃から読み慣れた『論語』を、実業を行う上での規範とした。

なぜ、彼は『論語』を規範に選んだのか。


渋沢が実業界に身を置くようになったのは、明治6(1873)年のことだ。

大蔵省を退官して下野し、豊かな国をつくるために自ら産業を興そうと決心した。

役人を辞めて商売人になろうとしたとき、彼はこう考えた。


「これからは、いよいよわずかな利益をあげながら、社会で生きていかなければならない。そこでは志をいかに持つべきなのだろう」。

このとき渋沢の頭に浮かんだのが、以前学んだ『論語』だった。

『論語』には、自分のあり方を正しく整え、人と交わる際の日常の教えが書かれている。

決して難しい学問上の理論ではなく、人の生きる道や道徳観を説いているのだ。


利益主義一辺倒では、真の発展にはつながらない。

論語を基盤として、事業の志を立てることが大事である――。

つまり渋沢は、利益第一に陥りがちな資本主義経済の課題にいち早く気付き、その解決策として道徳と経済を均衡させ、利殖を図ることの重要性を説いたのである。

 

・江戸時代に学ぶ“教育”のあり方


では、道徳を持つためにはどうすればいいか。

渋沢は、「現代の青年が、いまもっとも切実に必要としているのは、人格を磨くことだ」と述べている。

そして、人格を磨くことを「修養」という言葉で表しており、その際に気をつけなければならないのは「頭でっかちになってしまうことだ」と説いている。


学問だけ身につけても社会に打って出ることはできず、反対に、現実だけ知っていても十分とはいえない。

「両者が調和して一つになるときこそ、国でいえば文明が開けて発展できるし、人でいえば完全な人格を備えた者となるのだ」と渋沢は述べている。


彼によれば、「人格を磨く」際に役立つのが、武士道である。

武士道は古来、もっぱら武家社会だけで行われ、経済活動に従事する商工業者の間では重んじられてこなかった。

だが渋沢は、武士道の神髄は、正義(皆が認めた正しさ)、廉直(心がきれいでまっすぐなこと)、義侠(弱きを助ける心意気)、敢為(困難に負けない意思)、礼譲(礼儀と譲り合い)とみなし、それらは商業活動にも欠かせないものと考えた。


本来、武士道を誇りとしてきたはずの日本で、なぜ商工業者がそうした道徳を置き去りにしてしまったのか。

その原因について、渋沢は「教育の弊害ではないか」と考えている。

江戸時代、統治される側にいた農業や工業、商売に従事する生産者たちは、政策に従わされるのみであり、道徳教育とは無関係の場所に置かれ続けた。

そのため、自分でも正義や道徳に縛られる必要はないと思うようになってしまったのではないか、と渋沢は推測している。


教育について、渋沢はこんなふうに嘆いている。


今の青年は、ただ学問のための学問をしている。初めから「これだ」という目的がなく、何となく学問をした結果、実際に社会に出てから、「自分は何のために学問してきたのだろう」というような疑問に襲われる青年が少なくない。(p.193~194)


これはそのまま、現代社会の教育にも当てはまるだろう。


学問を修める方法を間違えると、人生における身の振り方を誤ってしまうだけでなく、国家の活力衰退を招くもとになる。

むやみに詰め込む知識教育ではなく、各々得意とする方向へ向かいながら、実践的な知識と技術を身につける。

渋沢は当時と比較し、江戸時代の寺子屋の教育を「不完全ながらもうまくいっていた」と述べている。

これは、学力偏重あるいは点数主義と呼ばれる現代社会の教育問題を考える際、一考に値する指摘だといえよう。


実践的な教育のもとで自分を磨き、豊かな国家へつながるビジネスを進めていく。

これが本来あるべき事業の姿であり、このように「時代が変わっても変化しない人間と人間社会の本質」が描かれているからこそ、この本は長く読み継がれているのだ。


現在の日本ではグローバル化の影響から、働き方や経営に対する考え方が非常に多様化している。

さらに新型コロナウイルス感染症の拡大も加わり、人生におけるプライオリティや労働に対する意識なども変化しつつある。

さまざまな価値観が存在し、指針にすべきお手本のない現代の日本においても、日本が急成長を遂げた大正期、まさに時代の寵児であった渋沢栄一から学べることは非常に多い。


この書籍では、利潤と道徳を皮切りに渋沢の人生哲学が1~10の章で語られ、「何のために働くのか?」「人生100年時代、どう過ごすべきか?」などを考えるきっかけになるかもしれない。

渋沢の人生論を、先行き不透明な時代の“生き方”の参考にしてほしい。


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渋沢栄一の名著『論語と算盤』――近代日本資本主義の父・渋沢が説く「人生哲学」とは
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