
「4分間のピアニスト」 (2006年 ドイツ映画)
(ドイツ・アカデミー作品賞、主演女優賞受賞)
監督・脚本 クリス・クラウス
出 演 ハンナー・ヘルツシュプルング/モニカ・ブライブトロイ/スヴェン・ピッピッヒ
●二人の女優が見事、としか言いようがない
受刑者にピアノを教えるために刑務所を訪れた老いたピアノ教師クリューガーは、そこで才能あふれるジェニーに出会う。
かつて有能なピアニストだったクリューガーは戦争中に同性の恋人を失った陰惨な経験をもち、一方ジェニーは義父との悲惨な成り行きからすっかり心を閉ざし、殺人の罪で服役中。
ジェニーの発作とも思えるような攻撃的な反抗や乱暴な行動で挫折を繰り返しながらも、クリューガーは彼女とのレッスンを続ける。
二人がピアノの前に並び、笑い合ったり冗談を言い合ったりするまでになる過程は、見ている私たちに温かい束の間の時間を味わわせてくれる。
それでも、周囲の理解はなかなか得られない。嫉妬や妬みも、それはある意味、人間の悲しさや孤独の裏返しと言えるだろう。
手錠をされながら、ピアノに背を向けて、体をよじりながらジェニーが演奏するシーンは見事。「かっこいい」とは、こういうことを言うんじゃないか?と思わせてくれる。
モニカ・ブライブトロイ演ずるクリューガーの頑固さ、冷やかさに見え隠れする、とっくに捨ててきたはずの戸惑いや恥じらいが、ジェニーに誘われてダンスをするシーンで密やかに表現される。同性愛者として、かつて人を愛した若くてキラキラした時代があったことを、悲しいような思いで私たちに伝えてくれる。けれど、ただ音楽だけを生きがいにここまで生きてきた老女は頑なで、涙の意味も忘れたかのように見える。
そしてジェニーを演じたハンナー・ヘルツシュプルングの圧倒的な存在感。あらわにする兇暴性と、ピアノを弾きたいという切ない願望の揺れ方が、こちらに直線的に伝わる。
この二人の女優の存在がすべて、と言えるような映画。
●息もつかせないラストシーン
…と陳腐な形容をしちゃうけど、もう、それしか言いようがないラストの4分間。
刑務所からジェニーを連れ出す、という大それた行動に走るクリューガー。暴力事件を起こしてしまったジェニーにコンクールの本選に出場させるには、その策しかない。
「あなたは演奏しなくちゃいけない」「その才能を生かさなくてどうするの」と、反抗的なジェニーに強い口調で伝える。
クリューガーのつらい過去を知って、ジェニーの心がかすかに動く。
そして、ドイツ・オペラ座でのシーン。ジェニーは「ありがとう」と短く言って、ステージに向かう。警察の手がもうそこまで迫ってきている。
ジェニーはクリューガーの選曲したシューマンの曲を弾き始めるが、突然、かつてクリューガーが「くだらない音楽!」と切り捨てた、ジェニー自らのアレンジで激しい演奏を奏でる。
鍵盤を叩き、グランドピアノの上部の弦を激しく爪弾き、体をくねらせ、全身で、自分の怒りややりきれなさや、そういうすべての感情をぶつけるかのように踊り、演奏する。
ピアノとジェニーが一体化したような圧倒的な音楽の饗宴。
呼吸することも忘れ、画面に惹きつけられてしまった。こんなことは久しぶりか、あるいは初めてか、そんな感じ。
二階席の正面で、涙をたたえたクリューガーが見ている。観客はスタンディングオベーションだ。
ステージに上がった警官に両手をつかまれる寸前に、ジェニーはクリューガーの姿を見つけ、両手を広げ足を交差させて、「正式なお辞儀」をする。クリューガーの大好きなお辞儀、かつてのジェニーはたぶんバカにしていたお辞儀。
ジェニーはクリューガーへの愛と敬意をこめて、優雅に笑顔でお辞儀をする。両手を警官につかまれながらも、その姿は、希望とか未来とか、そういう「まがいもののはず」のもので優しく守られているように見えた。
一気に涙があふれました。
(ドイツ・アカデミー作品賞、主演女優賞受賞)
監督・脚本 クリス・クラウス
出 演 ハンナー・ヘルツシュプルング/モニカ・ブライブトロイ/スヴェン・ピッピッヒ
●二人の女優が見事、としか言いようがない
受刑者にピアノを教えるために刑務所を訪れた老いたピアノ教師クリューガーは、そこで才能あふれるジェニーに出会う。
かつて有能なピアニストだったクリューガーは戦争中に同性の恋人を失った陰惨な経験をもち、一方ジェニーは義父との悲惨な成り行きからすっかり心を閉ざし、殺人の罪で服役中。
ジェニーの発作とも思えるような攻撃的な反抗や乱暴な行動で挫折を繰り返しながらも、クリューガーは彼女とのレッスンを続ける。
二人がピアノの前に並び、笑い合ったり冗談を言い合ったりするまでになる過程は、見ている私たちに温かい束の間の時間を味わわせてくれる。
それでも、周囲の理解はなかなか得られない。嫉妬や妬みも、それはある意味、人間の悲しさや孤独の裏返しと言えるだろう。
手錠をされながら、ピアノに背を向けて、体をよじりながらジェニーが演奏するシーンは見事。「かっこいい」とは、こういうことを言うんじゃないか?と思わせてくれる。
モニカ・ブライブトロイ演ずるクリューガーの頑固さ、冷やかさに見え隠れする、とっくに捨ててきたはずの戸惑いや恥じらいが、ジェニーに誘われてダンスをするシーンで密やかに表現される。同性愛者として、かつて人を愛した若くてキラキラした時代があったことを、悲しいような思いで私たちに伝えてくれる。けれど、ただ音楽だけを生きがいにここまで生きてきた老女は頑なで、涙の意味も忘れたかのように見える。
そしてジェニーを演じたハンナー・ヘルツシュプルングの圧倒的な存在感。あらわにする兇暴性と、ピアノを弾きたいという切ない願望の揺れ方が、こちらに直線的に伝わる。
この二人の女優の存在がすべて、と言えるような映画。
●息もつかせないラストシーン
…と陳腐な形容をしちゃうけど、もう、それしか言いようがないラストの4分間。
刑務所からジェニーを連れ出す、という大それた行動に走るクリューガー。暴力事件を起こしてしまったジェニーにコンクールの本選に出場させるには、その策しかない。
「あなたは演奏しなくちゃいけない」「その才能を生かさなくてどうするの」と、反抗的なジェニーに強い口調で伝える。
クリューガーのつらい過去を知って、ジェニーの心がかすかに動く。
そして、ドイツ・オペラ座でのシーン。ジェニーは「ありがとう」と短く言って、ステージに向かう。警察の手がもうそこまで迫ってきている。
ジェニーはクリューガーの選曲したシューマンの曲を弾き始めるが、突然、かつてクリューガーが「くだらない音楽!」と切り捨てた、ジェニー自らのアレンジで激しい演奏を奏でる。
鍵盤を叩き、グランドピアノの上部の弦を激しく爪弾き、体をくねらせ、全身で、自分の怒りややりきれなさや、そういうすべての感情をぶつけるかのように踊り、演奏する。
ピアノとジェニーが一体化したような圧倒的な音楽の饗宴。
呼吸することも忘れ、画面に惹きつけられてしまった。こんなことは久しぶりか、あるいは初めてか、そんな感じ。
二階席の正面で、涙をたたえたクリューガーが見ている。観客はスタンディングオベーションだ。
ステージに上がった警官に両手をつかまれる寸前に、ジェニーはクリューガーの姿を見つけ、両手を広げ足を交差させて、「正式なお辞儀」をする。クリューガーの大好きなお辞儀、かつてのジェニーはたぶんバカにしていたお辞儀。
ジェニーはクリューガーへの愛と敬意をこめて、優雅に笑顔でお辞儀をする。両手を警官につかまれながらも、その姿は、希望とか未来とか、そういう「まがいもののはず」のもので優しく守られているように見えた。
一気に涙があふれました。