隠れ家-かけらの世界-

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新しい女性は今に通じる?~『見よ、飛行機の高く飛べるを』より~

2007年02月10日 16時57分23秒 | ライブリポート(演劇など)
★『見よ、飛行機の高く飛べるを』(2007年2月9日)in 俳優座★

■なんで、この芝居に??
 なぜか、今年はじめての芝居(先月はおもしろいのなかったのか?)。
 この芝居『見よ、飛行機の高く飛べるを』、昨年の結構早い時期の先行予約でチケットをとっていたので、どんな理由で「観たい」と思ったのか、すでに記憶がない。たいていは覚えているんだけどね。パンフで見たコピーが気に入っちゃったとか、たまたま観た芝居の脇役の人がよくて、その人の名前をみつけたので予約してしまったとか。あと、もちろん役者が好きだから…ももちろんあるけど。
この芝居は? たぶん永井愛の作品ってことはあるだろう。『書く女』のチケットが手に入らなかったので、やけになって同じ永井作品のこっちにきちゃったとか?(笑)
 そうそう、いろいろな劇団や大学の演劇科の卒業公演などでも上演されている人気作品らしいというのも魅力だったかも。その理由も知りたかったし。
 最後に、なにしろ「俳優座劇場」というのも、ちょっと惹かれた理由です。六本木にまだヒルズのかけらもなかった頃、六本木交差点が中心だった頃、「アマンド」なんぞが待ち合わせの場所で有名人もたくさん見たよ、なんて思い出話をしてくれる人がいた頃、よく「俳優座劇場」に来てたんですよね。階段脇の「小山内薫」~「千田是也」までのポートレートに新劇の表側の流れを見てしまった、とちょっと背伸びをして勘違いをしたり(それにしても、今ネットであらためて千田氏らの経歴をみたけど、当時の芝居の人って、なんかすごいねえ。芸能人じゃなく思想家なんだよなあ)、帰りにカレー専門店でとびっきり辛いカレーを無理して食べたり(実は結構甘いカレーが好き)…、そういう思い出がよみがえってきて、で、チケットを購入しちゃったとか?(なわけないか)。

■現代にも通じる女子生徒像?
 舞台は岡崎の女子師範学校。時は、日露戦争のことを語っていたし乃木大将も生きていたようだから、明治の末期? 大正デモクラシーも先の先で、国家のため女子に求められるのは「良妻賢母」というのはごくごく当たり前の時代。そんな時代に女子師範学校の寄宿舎にいる女子学生らは、大半が良家のお嬢さん。それでも普通の女学校に行って良縁を待つという道を選ばなかったのだから、女性の可能性とか、女性に期待されるものとか、そういうものに敏感な知的な家に育ったり、あるいは自ら意識の高い女子だったのだろう。
 舞台は寄宿舎の談話室とその周辺の廊下の一幕物。プロローグでは、生徒たちのとびきりの明るさ、若さゆえの残酷さ(これはごくかる~いテイストで)、育ちのよさが描かれ、その喧騒(笑)は今の女子校に通じるものがあるかも。
その優秀な成績は学校始まって以来と言われる光島(国分佐智子)は士族の出身で、美人、性格は明るくお茶目(教師や友人の物まねをしたりする)、何より優しい。友人からも下級生からも一目おかれる存在で、彼女の周囲にはいつも明るい空気が漂っているという感じ。
 一方の杉坂(宮本真希)は農家の出身で、学校で唯一、新聞を読み、『青鞜』の発刊に心震わせ、世間の女性への理不尽な要求に怒り、女性の立場の向上に意欲を見せる生徒。いわゆる「新しい女性」の予備軍?

■盛り上がり、そして意識の違いがまざまざと現れる後半
 この二人が親しくなり、世間知らずのお嬢さんでしかなかった光島が杉坂の影響を受けて、物語が大きく進展する。仲間数人で深夜の会合を開き、進歩派の女性教師から借りた『青鞜』を読んだり、自然主義の小説を回し読みして、その表現に興奮したり…。
 田山花袋の『布団』なんかが「いかがわしい」という評価で禁止されてたんだなあ。男が女性の匂いのする布団の匂いをかぐところで、うっとりする子、「不潔だ」と嫌がる子、「美男子ならOK」と言う子。その反応に笑ってしまう。でも、「何でもあり」の今と違って、驚いたり心を震わせたりする機会がたくさんあって、おもしろい時代だったのかもしれない、そんなふうにも感じてしまう。
 そして杉坂の提案で自分たちの『青鞜』(「Bird Women」というタイトル)をつくり、それを回覧雑誌として内緒でまわし読みする計画を立てていく。生き生きと動く生徒たち。そんな中で、杉坂、光島と、ほかの生徒たちとの意識の高さの違いは少しずつ見えてくる。
 信念の高さから、融通のきかない面も見え隠れする杉坂、その彼女についていこうと必死だけれど、ほかの友人たちへの優しい視線も決して忘れない聡明な光島。
 ある事件により同志の一人が退学処分になるところから、物語は急変する。杉坂の怒りは頂点に達し、「ストライキ」を決意する。さまざまに迷いながらも、事態の重さをそれほど理解していない仲間たちは最初はおもしろがって同調するが、校長らの圧力、信頼していた女性教師の裏切りで、仲間が次々に脱退し去っていく。

■それぞれの道を…ということか
 杉坂、光島を演じた二人の女優は、それぞれの対照的な性格をバックの生まれ育ちなどを私たちに想像させつつ、いい感じだったと思う。杉坂の頑固なまでの性格に見え隠れする光島への憧れはせつなく伝わってきたし、最終的に誰をも受け入れる器をもった光島の苦悩と選択もよくわかったしね。
 進歩派の女性教師を演じた沖直未の演技は、なんだかいつもテレビで見る怨念の女性みたいで、生徒から慕われる進んだ女性という感じじゃなかったなあ。
 ほかの男性教師や、生徒退学事件の原因をつくった飾り職人で左翼思想をもった?男の存在は、なんだか妙に「ステレオタイプ」っぽくて、伝わるものがなかった。不自然な意味のないコミカルな演技というのも浮いてたし。これは演出の問題なのかな。ほかの芝居では(青年座など)ではどんなふうに描かれていたんだろう。知りたい。
 それから、役者とは関係ないけれど、当時はいくら進歩的な思想をもっていても「主義者」という言葉には「えらく」同様しちゃうんだ、というところに驚き。つまりマルキストとか、そういうこと? それだけでびびって、生徒をある意味裏切ってしまうくらいだから。進歩派といっても、骨のある人たちは全然別の世界で、「エセ進歩派」と言われてもおかしくないくらいのお遊びの人たちだったのかなあ、と。当時を知らないと、こんなことも言えちゃうんだな(とちょっと反省)。

■ラストシーンの意味
 杉坂と光島の差異はどんどん浮き彫りになっていく。二人だけになったストライキ。外で行われる運動会が気になってしかたない光島。その彼女の心の揺れがわかり、たぶん杉坂は自分の孤立を痛感していたのだろう。もともとの意識の違いが露呈してくる。
 最後のシーン、好きだった教師に結婚を申し込まれ、「もうストライキには協力できない」と杉坂に告げる光島。ショックを隠し、「もういいから。わかったから」と階段の踊り場で後ろ向きで立ちつくす杉坂の背中からは、悲しみと未来への意志の両方が感じられた。一方、舞台中央で叶えられた恋の喜びで浮き立つ光島にはまぶしいライトが浴びせられる。
 このシーンは何を象徴しているのか。女性の地位の向上のために意志を貫くであろう一人の生徒と、たぶん結婚して幸せな家庭を築くであろう一人の女性。 そのそれぞれがたぶんこれからの「新しい女性」のさまざまな姿だというのか、あるいはどちらも自分の意志をもった「新しい女性」だというのか。

★最後に、ちょっと惜しかったこと
 業界の人というか、役者の家族というか、そういう客が多かったなあ。ロビーの花の異常な(笑)多さにもびっくり。ま、それは別にいいんだけど、終演後、役者の親類みたいな人が花束を家族(たぶん父親)に渡していて、
  「○○ちゃん、よかったわよ~」
  「あ、ありがとう。学芸会になっちゃうかもと心配してたけど、ま、どうにか」
という会話あり。これはどうかな。まずいですよ、お父さん。
 娘にも失礼だし、客席で大きな声で、っていうのもね。なんだ、自分たちは学芸会に来ちゃったのか…、ってね、思っちゃう。
 それから業界の大物の誰かさん。2列目のはじっこに知り合いの夫婦が座っているのを見て、
  「そんな場所じゃ、だめよ。もっといい席を用意させるから」
って、何度も何度も「そんな席じゃダメ」を連発。周囲の人は当たり前のように「ダメな席」に座っているんだぞ。
 こういう無神経な人って、どこにでもいるけど、いくら大物でもインテリでも、最悪です。

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