
「サラエボの花」 (2006年 ボスニア・ヘルツェゴビナ)
2006年 ベルリン国際映画祭 金熊賞受賞(グランプリ)
監督 ヤスミラ・ジュバニッチ
出演 ミリャナ・カラノヴィッチ/ルナ・ミヨヴィッチ/レオン・ルチェフ/ケナン・チャティチ
●「歴史」ではなく「現実」であるということ
戦闘シーンはいっさいない。母親が映画の最後のほうで吐露する過酷な回想シーンもいっさいさい。
けれど、これは戦争の映画であり、愚かな人間の歴史を振りかえるのにかっこうの映画なのかもしれない。
ユーゴスラビア連邦人民共和国の解体とその後のボスニア戦争。日本がバブルだとかバブル崩壊だとか浮かれていた同じ時代に、この紛争のかげで20万人の死者が、そしてその何倍もの難民が存在したという事実。
以前は、反戦映画といえば、第二次世界大戦か60年代後半のベトナム戦争か、くらいで、そこにはすでに「歴史」の匂いさえしたものだけど、昨今はもう「歴史」とは言えない「現実」として戦争の存在を突きつけられる。
それでも私たち日本人のとってはそれは対岸の出来事であったり、骨身で経験したものではなかったり。
ただ、この映画のように、紛争が一応の終結をみてから十数年たった一見穏やかそうな街で暮らす母娘が、実はその過去から決して解放はされていないのだという事実を突きつけられると、こんな平和ボケの私の胸にも複雑な思いがすみつくというものだ。
かつての記憶から解放されていない母親、その母親のもとで父親のことをきちんと伝えられないままでいる娘…。穏やかに流れる二人の時間と、ときおり不確かな空回りでギクシャクする時間、そのアンバランスが決してふつうではないことを映像は教えてくれる。
●母と娘が乗り越えるもの
紛争で戦死した者はシャヒード(殉教者)とされ、残された家族にはさまざまな援助がされているらしい。たとえば、この映画では子どもたちの修学旅行の費用が免除される。
娘のサラは免除のために証明書を提出したいと母に迫る。サラは父親が名誉の戦死を遂げたとははから聞いて育っている。クラスの中にもシャヒードの子どもはおおぜいいる。
それに対して、母はのらりくらりと対応しながら、かげでは必死に費用の工面に奔走している。昼も夜も働いて、それでも暮らしは決して楽ではないようだ。給与の前借りを頼んだり、久しぶりに会った親戚にすがったりしても、なかなかうまくはいかない。
サラの父親がシャヒードではないことはすぐ伝わってくる。そして母エスマの男性への普通ではない警戒心を見れば、悲惨な事実のうえにサラを授かったことが想像できる。
その事実を母は娘に明かさないことで、娘を守り、娘との関係を維持してきたつもりなのだろう。けれど、娘はどんどん成長し、そんなごまかしが通じないところまで迫ってくる。
母は半狂乱のようになって、娘に事実を告げる。難民キャンプでレイプされて妊娠したこと…。泣き叫ぶ娘。
ラストで、娘は母に見送られて修学旅行のバスに乗り込む。無言で別れた母と娘。
重い心で娘を見送る母の目に、娘が窓ガラスに掌をかかげて、自分にあいさつしている姿が映る。小さく解ける表情、そして静かな笑顔。
娘の堅い表情は、バスの中でのクラスメートの歌声に少しずつ緩んで彼女の歌声も聞こえてくる。その歌はサラエボの街を讃えているような言葉を流す。
この娘はきっと前向きに生きていけるだろう。そのみち父親のことは乗り越えられるだろう、若いということはそういうことだ、自分の知らなかった過去のことなどきっと軽く飛び越えていくだろう。そんなことを暗示する。
一方、母はどうなのだろう。集団カウンセリングの場で、はじめて過去を騙るエスマ。生まれた子どもを捨てたいと思ったこと、でもその赤ん坊を見たときに、この世にこんな美しいものがあるなんて信じられないと思ったこと…、話していく。
未来は決して暗くはない。事実を明らかにしたあとで、この母と娘はしっかりと生き直していくだろう。いや、エスマが乗り越えなければならない壁はもっともっと固く険しいものかもしれないけれど。
そして、数十年たったあともこうして深い傷を負ったままでいる人間を誕生させたという戦争の事実は、けっして解決できたとはいえないんだろう。
母エスマの疲れた表情がいい。悲しげな目の色がいい。
娘サラは、本当にかわいくて危なげで、そして目の中に潜めるものが何かを感じさせる。
「サラエボの“花たち”」は温かくたくましい。エスマが娘の修学旅行の費用の工面に奔走していたとき、職場の上司も親戚も助けてはくれなかったけど、彼女の女友だちが同じ工場で働く女性たちの間をまわって、あっという間にカンパを集めてきた。みんな決して裕福ではないだろうに…。
たくましいのはいつも女たちだ! たぶん。
2006年 ベルリン国際映画祭 金熊賞受賞(グランプリ)
監督 ヤスミラ・ジュバニッチ
出演 ミリャナ・カラノヴィッチ/ルナ・ミヨヴィッチ/レオン・ルチェフ/ケナン・チャティチ
●「歴史」ではなく「現実」であるということ
戦闘シーンはいっさいない。母親が映画の最後のほうで吐露する過酷な回想シーンもいっさいさい。
けれど、これは戦争の映画であり、愚かな人間の歴史を振りかえるのにかっこうの映画なのかもしれない。
ユーゴスラビア連邦人民共和国の解体とその後のボスニア戦争。日本がバブルだとかバブル崩壊だとか浮かれていた同じ時代に、この紛争のかげで20万人の死者が、そしてその何倍もの難民が存在したという事実。
以前は、反戦映画といえば、第二次世界大戦か60年代後半のベトナム戦争か、くらいで、そこにはすでに「歴史」の匂いさえしたものだけど、昨今はもう「歴史」とは言えない「現実」として戦争の存在を突きつけられる。
それでも私たち日本人のとってはそれは対岸の出来事であったり、骨身で経験したものではなかったり。
ただ、この映画のように、紛争が一応の終結をみてから十数年たった一見穏やかそうな街で暮らす母娘が、実はその過去から決して解放はされていないのだという事実を突きつけられると、こんな平和ボケの私の胸にも複雑な思いがすみつくというものだ。
かつての記憶から解放されていない母親、その母親のもとで父親のことをきちんと伝えられないままでいる娘…。穏やかに流れる二人の時間と、ときおり不確かな空回りでギクシャクする時間、そのアンバランスが決してふつうではないことを映像は教えてくれる。
●母と娘が乗り越えるもの
紛争で戦死した者はシャヒード(殉教者)とされ、残された家族にはさまざまな援助がされているらしい。たとえば、この映画では子どもたちの修学旅行の費用が免除される。
娘のサラは免除のために証明書を提出したいと母に迫る。サラは父親が名誉の戦死を遂げたとははから聞いて育っている。クラスの中にもシャヒードの子どもはおおぜいいる。
それに対して、母はのらりくらりと対応しながら、かげでは必死に費用の工面に奔走している。昼も夜も働いて、それでも暮らしは決して楽ではないようだ。給与の前借りを頼んだり、久しぶりに会った親戚にすがったりしても、なかなかうまくはいかない。
サラの父親がシャヒードではないことはすぐ伝わってくる。そして母エスマの男性への普通ではない警戒心を見れば、悲惨な事実のうえにサラを授かったことが想像できる。
その事実を母は娘に明かさないことで、娘を守り、娘との関係を維持してきたつもりなのだろう。けれど、娘はどんどん成長し、そんなごまかしが通じないところまで迫ってくる。
母は半狂乱のようになって、娘に事実を告げる。難民キャンプでレイプされて妊娠したこと…。泣き叫ぶ娘。
ラストで、娘は母に見送られて修学旅行のバスに乗り込む。無言で別れた母と娘。
重い心で娘を見送る母の目に、娘が窓ガラスに掌をかかげて、自分にあいさつしている姿が映る。小さく解ける表情、そして静かな笑顔。
娘の堅い表情は、バスの中でのクラスメートの歌声に少しずつ緩んで彼女の歌声も聞こえてくる。その歌はサラエボの街を讃えているような言葉を流す。
この娘はきっと前向きに生きていけるだろう。そのみち父親のことは乗り越えられるだろう、若いということはそういうことだ、自分の知らなかった過去のことなどきっと軽く飛び越えていくだろう。そんなことを暗示する。
一方、母はどうなのだろう。集団カウンセリングの場で、はじめて過去を騙るエスマ。生まれた子どもを捨てたいと思ったこと、でもその赤ん坊を見たときに、この世にこんな美しいものがあるなんて信じられないと思ったこと…、話していく。
未来は決して暗くはない。事実を明らかにしたあとで、この母と娘はしっかりと生き直していくだろう。いや、エスマが乗り越えなければならない壁はもっともっと固く険しいものかもしれないけれど。
そして、数十年たったあともこうして深い傷を負ったままでいる人間を誕生させたという戦争の事実は、けっして解決できたとはいえないんだろう。
母エスマの疲れた表情がいい。悲しげな目の色がいい。
娘サラは、本当にかわいくて危なげで、そして目の中に潜めるものが何かを感じさせる。
「サラエボの“花たち”」は温かくたくましい。エスマが娘の修学旅行の費用の工面に奔走していたとき、職場の上司も親戚も助けてはくれなかったけど、彼女の女友だちが同じ工場で働く女性たちの間をまわって、あっという間にカンパを集めてきた。みんな決して裕福ではないだろうに…。
たくましいのはいつも女たちだ! たぶん。