隠れ家-かけらの世界-

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「初期のスピッツも影響を受けました」~ラモーンズで漫遊記

2023年12月04日 18時58分19秒 | スピッツ

2023.12.03
ロック大陸漫遊記
TOKYO FM



 「12月に入りました~。早いね~。今年も残すところ数週間ということですけれども・・・」
 と第一声。

 時代劇で、子どもが「いつか立派な侍さんになるのが夢です」と言うシーンがあったとして。
 この「夢」という言葉。眠っているときに見るものではなく、将来への希望というような意味で使い始めたのって、いつ頃?と考える草野氏。
 「江戸時代では使ってないんじゃない?」と思ったり・・・。でも辞書やネットで調べてもなかなかわからない、と。
 この間特集した、「天国(heaven)」も、「おそらく聖書を訳す上で出てきたんだろう」が、「今と同じような意味で日常で使い始めたのっていつ頃?」と。
 最近使い始めた言葉(例えば「バツイチ」は明石家さんまさんが使い始めたとか)はわかりやすいけれど。
 英単語は、辞書によっては「何世紀ごろから使われていて、語源はラテン語で、もともとの意味は・・・」と説明があったりするが、日本語の辞書にはそれがあまりない、と。
 日本語は「孤立気味の言語なので」、語誌(言葉の起源や変遷を歴史的に記述したもの)を追求するのが難しいそうで、かつては語誌辞典の発刊を試みていた学者もいたそうだ。
 (仕事柄、語源辞典は持っていて、読み物としてもおもしろいけれど・・・、たしかに語誌ではないかな)
 昔、書店で探したときにはなくて、「今はあるのかな。あれば高くてもすぐに買っちゃいますけどね」と。


 今日は、【ラモーンズで漫遊記】です。
 70年代のアメリカのパンクロックバンド。その後のほとんどのパンクロックバンドに影響を与えていたレジェンドバンド。「初期のスピッツも影響を受けました」。

 セットリスト

 01 春夏ロケット(スピッツ)
 02 Blitzkrieg Bop(Ramones)
 03 Sheena Is A Punk Rocker(Ramones)
 04 Do You Wanna Dance?(Ramones)
 05 I Just Want to Have Something to Do(Ramones)
 06 Don't Come Close(Ramones)
 07 Do You Remember Rock 'n' Roll Radio?(Ramones)
 08 Rock 'N' Roll High School(Ramones)
 09 Life's A Gas/ Ramones
 10 春は静かに通り過ぎてゆく(ロック・キャンディーズ)



 漫遊前の1曲は、スピッツで「春夏ロケット」(2000年、21thシングル『ホタル』のカップリング/2004年、スペシャルアルバム『色色衣』)。
 この曲は、アメリカのマイアミのスタジオでトム・ロード・アルジさんにミックスダウンをお願いしていたとき、この曲を聴いて、「ワオ! ラモーンズ!」と言ってくれたそうです。
 (『リサイクル』事件以後、モヤモヤしていた中で(私が・・・ね)、2000年夏、第一回のROCK IN JAPAN FES(当時の名称は違ってた?)のステージでの演奏が強烈な思い出! ライブシーンが公開されていますよね。首傾げて微妙な可愛さを見せた直後、「春夏ロケット!」とロックっぽく?紹介するタオル巻きボーカルがカッコいいです。もちろんメンバーの演奏も!)

 最初の曲は、Ramonesのデビュー曲、「Blitzkrieg Bop」(1976年、デビューシングル/1976年、1stアルバム『Ramones ラモーンズの激情』)。
 Ramonesの一曲目!にふさわしい楽曲、
 (いつ聴いても、懐かしいだけじゃなくワクワクしちゃう)
 今の感覚で聴けば「よくあるストレートなパンクロックだな」ということかもしれないが、「当時、1976年においては、かなり画期的な音だったのではないかと思います」。
 「ギターがラウドで、ちょっと聴いた感じではハードロックみたいだけど、大げさなギミックもなくて、ビーチボーイズみたいなコーラスに入ってきて、2分半であっという間に終わっちゃう」
 それまでも、ストゥージズとかニューヨーク・ドールズとか近いサウンドのバンドはいたが、「ここまでストレートで思い切りのいいバンドはなかなかいなかった?」と。
 ファッションも4人が、くたびれたライダースジャケットに、破れたGパンに汚れた白いスニーカーと、「今では普通にロックファッションの一ジャンルという感じですけど、これも1976年には新しかったんじゃなかったかな?」。
 これは「Ramonesという発明だった、と思います」と。


 ここで、Ramonesのご紹介
 1974年、ニューヨーク、クイーンズ地区フォレストヒルズで、高校時代からのバンド仲間が中心となって結成。
 かつて、ポール・マッカートニーがビートルズの前身シルヴァ・ビートルズのときに使っていた芸名「ポール・ラモーン」から着想を得て、これをファミリーネームとしてメンバー全員が使用する。「これは今、OKAMOTO'Sにも受け継がれている」
 その夏にニューヨークの有名なクラブCBGBで初ステージ。
 「たくさん曲をやっても20分くらいで終わっちゃう」というスタイルで注目を集め、75年、ワーナーミュージックの傘下、サイアー・レーベルと契約し、76年にデビュー。


 次は、「Ramones、アメリカでの初ヒット」、「Sheena Is A Punk Rocker シーナはパンクロッカー」(1977年、4thシングル/1977年、初回盤の2ndアルバム『Leave Home』には未収録だったが、アメリカ再発盤には収録、3rdアルバム『Rocket to Russia』にも収録)。
 これは、結成当時のスピッツがコピーしていた曲。
 Ramonesの曲は、「シンプルなようでいて、サビに行くまでが凝っていたりして、ちゃんとポップなんだな、と感心させられる曲」。
 (かわいいし、ポップだし・・・。今の流行りの曲のカバーもいいけど、ときにはこういう曲のカバーもやってください!)

Ramones - Sheena Is A Punk Rocker (Official Music Video)

 次は、「Do You Wanna Dance?」(1977年、3rdアルバム『Rocket to Russia』/1978年、6thシングル)。
 この曲もスピッツでカバーし、「ライブでも一時期、定番だった」。
 初期のスピッツはブルーハーツのフォロワーだったので、RamonesやSham69なども「同じジャンルとしてお手本にしていた」。
 ZO-3でサビを歌う。
 もともとは、ビーチボーイズがボビー・フリーマンをカバーしてヒットした曲なので、スピッツのカバーは「カバーのカバーの、そのまたカバー」ということに。
 Ramonesのカバーは、ビーチボーイズのカバーに近いそうです。
 セトリを考えるとき、「大事な曲と大事な曲の間に演奏するのにちょうどいい曲」だった。
 (私のライブメモには、1993年の春夏夜会のセトリにある。このころ、歌謡曲のカバーとかも多かったから、これは聴いててうれしかったと思うんだけど、うーん、覚えてないなあ。残念)

 次の曲は、「I Just Want to Have Something to Do」(1978年、4thアルバム『Road to Ruin』)。
 草野くんのいちばん好きなRamonesのアルバム。
 このアルバムから、ドラマーが「ハードロックバンド上がりのマーキー・ラモーンさんに変わり、ドラムがタイトになり、全体的に音がシャキッとする」。
 マーキーさんが以前に所属していたダストは「普通にカッコいいハードロックバンド」。

 「トミー・ラモーンさんのシンプルな音が好きな人もいるだろうけど、オレはこのマーキーさんのカチッとしたドラムが好き」。

 次は、「Don't Come Close」(1978年、4thアルバム『Road to Ruin』)。
 「実はRamonesって、爽やか系の曲も多くて、この曲はCCRやポコあたりのフォークロックって感じ」、でも「ボーカルのジョーイさんの声はアングラなパンクのヤバい感じがぬぐい切れない」。
 (彼らのアルバムを聴いていると、すべてがシングルで聴いても飽きないだろうな、という気がしていた。短い曲大好きだったし)


 メッセージコーナー。
 どちらもRamonesつながりで、前に届いていたとか。
 映画(2003年に公開された映画『END OF THE CENTURY』というRamonesのドキュメンタリー映画)で使用されていた「Do You Remember Rock 'n' Roll Radio?」がカッコよかったので、収録されているアルバム『End of the Century』を手に入れたリスナーさん。ジャケットを見て、「Ramonesって、こんなアイドルみたいなイケメンもいたんだ~」と率直に思ったそうだ。
 「音に関する印象はあまりないけど、見た目と髪型がすごく好きです! それに口角が上がっていてかわいいです」と(笑)。
 (こういうこと、あるあるですよね~)
 (下はアルバム『End of the Century』の画像です。ディー・ディー・ラモーンさんは向かって左はしの方です。ですよね?)

  
 「音に関しての印象はあまりないです・・・というのは、ちょっと悲しい感じがありますけどね」と草野くん。

 もう一通。
 「醒めない」のMVでのスピッツのライダースジャケット姿で、「いつもRamonesを思い出します」というリスナーさんは、パンクロックブームのころ、ライダースジャケットを着て、髪型もまねていた。
 初期スピッツは、「曲もそうだけど、格好もRamonesを意識していたこともあった」ので、「あのビデオはそのころのスピッツの再現」と。
 だけど、「バイクに乗らないオレがライダースジャケットを着ていいのかな」という申し訳なさを感じつつ、「着ちゃっていた」草野くんです。(らしいね)


 Ramonesは結構頻繁に来日しているが、「オレは残念ながらライブを見ることはなかった」。
 田村くんはライブに行ったことがあり、「どうだった?」と尋ねたら、「メチャメチャ盛り上がるんだけど、同じ曲調のが続くので、途中ちょっと飽きたかなあ」と、「忌憚のない感想」を述べていたそうだ。
 「オレが見たらどうだったかなあ・・・。オレは意外に飽きない気がする・・・オレはね」と草野くん。


 そして次は、「Do You Remember Rock 'n' Roll Radio?」(1980年、5thアルバム『End of the Century』)。
 『End of the Century』曲は、壮大な音楽づくりで有名なフィル・スペクターのプロデュースによるアルバム。
 これが大ヒットし、この曲はその中の代表的なナンバー。
 日本では、車のCMで使われていた。
 (結構流れていましたね)

 そして次は、「Rock 'N' Roll High School」(1979年、映画『Rock 'N' Roll High School』のサウンドトラック)。
 これは、草野くんが聴いた最初のRamonesの曲。「小学6年くらいのときにラジオから流れて、そのときは、なんか陽気な曲だなと思った」と。
 ちゃんと聴くようになったのは高校生になってから。
 のちに、上京してから、田村くんのアパートの近くにレンタルビデオ店で、Ramonesが出ていた映画『Rock 'n' Roll High School ロックンロール・ハイスクール』のビデオソフトを借りて、二人で見た。
 ひと言で言うと、「学園もののおバカ映画」。当時有名だったテニスプレーヤー、ヴィンセント・ヴァン・パタンさん(マッケンロー選手にも勝ったことのあるプロテニスプレイヤーだそうです)がおバカな演技で出演していて、「それが印象に残っている」。
 この曲は、この映画のために書き下ろされたのか、あるいはすでにあった曲なのかは不明だが、「おバカ映画にはぴったりなハイなナンバーです」。
 曲終わりで、途中のメロディーが、さっきの「Sheena Is A Punk Rocker」とまったく一緒というところが、手抜きじゃないけど、クセをそのまま出しちゃうRamonesの良さかな」(苦笑?)

 Ramonesは、「オレらの感覚だとパンクロックの大御所という感じだけど」、インタビューなどを読むと、「本人たちはまじめにエアロスミスをライバル視していたりして、あんまりジャンルとかにこだわらずに純粋にロックンロールバンドとしてプレイされていたのかな」。
 また、ジョニー・ラモーンが愛用していたモズライトのギターも「インパクトがあった」。
 あの頃は、パンクバンドのギタリストはだいたい、レスポールかテレキャスターを弾いていて、「モズライトというと加山雄三さんのイメージが強すぎて、Ramonesの映像を見ながら、『え、モズライトってこんな音も出るの?』とビックリした」と。

  

 最後は、「Life's A Gas」(1995年、ラストアルバム『Adios Amigos さらば友よ』)。
 ラモーンズ・ヒストリーの中でも、「特にメロディアスなナンバー」。

 曲終わりに。
 この曲の翌年の1996年、Ramonesは解散する。
 現在は、「ほとんどのメンバーが故人となられてしまっている」が、今も世代を超えてファンが多く存在していて、メンバー公認の唯一のファンクラブ「Ramones Fanclub Japan」は今も活動を続けている。
 (これがすごいことですね。オリジナルメンバー4人のうちの3人は2000年代の前半に、トミーさんも2014年に亡くなっている)

 特集の最後に。
 「日本ではピンとこないかもしれないけど、Ramonesって、世界中でメチャメチャ人気のあったバンド」で、本国アメリカよりイギリス、南米などでも人気だった。
 草野くんが見た映像では、アルゼンチンのライブで6万人が熱狂していた、とか、メンバーが乗った車がファンに囲まれて動けない!というシーンも。
 「気持ちをハイにしてくれる音楽!」と改めて感じたそうです。
 (すごく楽しい特集だったなあ。さすが影響を受けたバンドだけあって、説明も感想も独自のコトバだらけでした)


 そして、今日の「ちょっぴりタイムマシン」は、ロック・キャンディーズの「春は静かに通り過ぎてゆく」(1971年、唯一のアルバム『讃美歌』/作詞作曲は、谷村新司)。
 (イントロは、「放浪カモメはどこまでも」。好きなイントロで、盛り上がる)
 ロック・キャンディーズは、谷村新司さんがアリス結成前に組んでいたフォークグループ。
 「谷村新司さんは、いろんなところでスピッツのことを褒めてくださっていた」。
 インタビューでは「いつかスピッツの草野くんに会ってみたい。放送局の廊下とかで偶然会うのが理想的だな」ともおっしゃっていた。
 草野くん自身も「いつかお会いするときがあるかもしれないから、そのときは何を話そうかな」などと思っていたが、「結局お会いすることもなく旅立ってしまって、すごく残念です」。
 そして、「谷村さん、ありがとうございました」。
 アリスの曲にもソロとしての曲にも「好きな曲はあるんですが」、今日は「埋もれがちな曲」ということで、これをセレクトしたそうです。
 (さすが草野くん、と言ってもいいですか?)
 (谷村さんは、草野正宗の言葉の世界を語って、「彼の世界は唯一無二。誰も侵せない」というようなことをおっしゃっていましたね)


 来週の特集は、「ホーリーな感じで漫遊記」です。
 クリスマスも近づいているということで、「なんとなくホーリーな曲」を草野くん目線でプレイリストから!

 「草野さん、なくしたピアスがありえない場所で見つかったんですけど」
 (うーん、ちょこっと意味深?)

 毎年恒例の「スピッツメンバーゲスト回」が近づいてきたので、「そろそろスピッツメンバーへの質問やメッセージをいただけるとうれしいです」。
 (早いなあ、この前みたいな気がするけど、もう一年たとうとしているのか。でも楽しみですね)



         🍁          🍁          🍁          


 また悲惨な毎日が始まってしまったようだ。
 愚かな人間たちは、この惑星をどこに誘導しようとしているんだろう。
 無力ではあるけれど自戒の気持ちを込めて。


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