●2007年7月最後の日に思うこと●
■「反省の上に」って?
わからないことが多すぎる。私がバカだってことか。
数字がすべて、と思ったことはないけれど、そう思いたいと考えたこともあまりないような人間だけど、でも今回の選挙の結果は、ああ、この数字は重いな、と感じたのだ。そう受けとめてもいいんじゃないか、と。
でもこの国のトップは、「それをふまえて、結果を真摯に受けとめて、反省の上に立って」、おのれの政治理念のもとに「続投」するらしいし、周囲の人間も「ご自身がお決めになったことだから」ということらしい。
最初、「辞任が当たり前」と結構キツイ言葉で言っていた某有名学者?兼今回の当選者(自民党)も、「総理がそうお決めになったのなら、党に権力闘争をする余力はないし、これ以上悪い方向に行かないように、我々が支えていくのが本筋」なんて、トーンダウン、というより180度方向転換しちゃった。
うーん、やっぱり私がバカなんだろう。理解できないよ。
躍進的な伸びを見せた民主党だけど、べつに支持者が圧倒的に増えた、ということではない。自民党支持者が「ここがダメなら、じゃあ、社民党 or 共産党」という飛躍をするとは思えないし、「じゃ、とりあえず民主党で」という人が多いんだろうしね。無党派層もその程度?
だったら、危機感をもちつつ、私たちも見張っていかなきゃいけないんだろうけど。
今後も、政治と金の問題とか、不適切発言とか、そんなことばっかりで、肝心なことがあやふやになってしまうのは勘弁してほしい。
せめて、参議院では、しばらくは「強制採決」は実行できないってことか?
■どんなに…
炎天下に置かれたワゴン車の中に残された保育園児。
状況が明らかになるにつれ、驚きを隠せない。なんとも言葉もない。
現場で働く人たちを何人か知っているけれど、いちばん気をつけなければいけないことを怠った、としか思えない、そう話していた。
保育現場の大変さはよく耳にするけれど、楽しいはずの居場所が子どもたちに約束されなかったら、子どもたちはどこへ行けばいいのか。
どんなにつらかったかと想像するだけで、体が震えてしまう。
■日テレ「テージセー」より
昨夜(7月30日)、第2回の放送があった。
改めて、放送する予定もないままに長きにわたって取材を続けた女性ディレクターの姿勢に心が動く。
若者たちや教師との間に信頼関係が築けなかったら、こういう取材は不可能だったろう。
悩み、苦しむ若者の姿を前に、上っ面の言葉をかけることもなく、ただ寄り添っている姿が、画面から伝わってきた。
私たちは、というか私は、そういう場に遭遇すると、何か言わなくては、反応しなくては、と動揺して、つまらない言葉をかけたり、励ましたり…、そういう繰り返しだったなあ、と恥ずかしい。そういう言葉が届かないことは、自分が悩んでいるときの経験でわかっていたはずなのに。
在学中に妊娠した女子生徒の現在の姿(もう二児の母)が穏やかで優しくて、そこに流れる空気に「強さ」を見た。これが救い。
リストカットを繰り返し、居場所を探す若者が、今もそれだけいるだろう。彼らのそばには、ただ話を聞いて寄り添ってくれる人がいてくれるだろうか。
私は、そういう大人になれるだろうか。
■「反省の上に」って?
わからないことが多すぎる。私がバカだってことか。
数字がすべて、と思ったことはないけれど、そう思いたいと考えたこともあまりないような人間だけど、でも今回の選挙の結果は、ああ、この数字は重いな、と感じたのだ。そう受けとめてもいいんじゃないか、と。
でもこの国のトップは、「それをふまえて、結果を真摯に受けとめて、反省の上に立って」、おのれの政治理念のもとに「続投」するらしいし、周囲の人間も「ご自身がお決めになったことだから」ということらしい。
最初、「辞任が当たり前」と結構キツイ言葉で言っていた某有名学者?兼今回の当選者(自民党)も、「総理がそうお決めになったのなら、党に権力闘争をする余力はないし、これ以上悪い方向に行かないように、我々が支えていくのが本筋」なんて、トーンダウン、というより180度方向転換しちゃった。
うーん、やっぱり私がバカなんだろう。理解できないよ。
躍進的な伸びを見せた民主党だけど、べつに支持者が圧倒的に増えた、ということではない。自民党支持者が「ここがダメなら、じゃあ、社民党 or 共産党」という飛躍をするとは思えないし、「じゃ、とりあえず民主党で」という人が多いんだろうしね。無党派層もその程度?
だったら、危機感をもちつつ、私たちも見張っていかなきゃいけないんだろうけど。
今後も、政治と金の問題とか、不適切発言とか、そんなことばっかりで、肝心なことがあやふやになってしまうのは勘弁してほしい。
せめて、参議院では、しばらくは「強制採決」は実行できないってことか?
■どんなに…
炎天下に置かれたワゴン車の中に残された保育園児。
状況が明らかになるにつれ、驚きを隠せない。なんとも言葉もない。
現場で働く人たちを何人か知っているけれど、いちばん気をつけなければいけないことを怠った、としか思えない、そう話していた。
保育現場の大変さはよく耳にするけれど、楽しいはずの居場所が子どもたちに約束されなかったら、子どもたちはどこへ行けばいいのか。
どんなにつらかったかと想像するだけで、体が震えてしまう。
■日テレ「テージセー」より
昨夜(7月30日)、第2回の放送があった。
改めて、放送する予定もないままに長きにわたって取材を続けた女性ディレクターの姿勢に心が動く。
若者たちや教師との間に信頼関係が築けなかったら、こういう取材は不可能だったろう。
悩み、苦しむ若者の姿を前に、上っ面の言葉をかけることもなく、ただ寄り添っている姿が、画面から伝わってきた。
私たちは、というか私は、そういう場に遭遇すると、何か言わなくては、反応しなくては、と動揺して、つまらない言葉をかけたり、励ましたり…、そういう繰り返しだったなあ、と恥ずかしい。そういう言葉が届かないことは、自分が悩んでいるときの経験でわかっていたはずなのに。
在学中に妊娠した女子生徒の現在の姿(もう二児の母)が穏やかで優しくて、そこに流れる空気に「強さ」を見た。これが救い。
リストカットを繰り返し、居場所を探す若者が、今もそれだけいるだろう。彼らのそばには、ただ話を聞いて寄り添ってくれる人がいてくれるだろうか。
私は、そういう大人になれるだろうか。