2013.4.27(土)
けっこうキツイ1ヵ月だったけど、一昨日でちょっとだけ息がつけた。ダメか~と思っても、案外、仕事ってやつはどうにかなるもんだ。
人生には、もっと「どうにもならないこと」があるからなあ。
■「核の非人道性」声明に賛同せず
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130425-00000006-jij-int
日米関係での核の抑止力の関連で「矛盾」が生じるから・・・とか。
「いかなる状況下でも核兵器が二度と使われない」という文言について、「現実に核兵器が存在する中で(実態と)相いれない」か・・・。
政治的措置というのか。
核の脅威を知っている唯一の国のはずなのに、「特別な国」が「ただのふつうの国」になってしまった瞬間か。
それにしても、なぜ沖縄県が「屈辱の日」と言っている4月28日の「その日」に、あえて「主権回復の日」の記念式典を開く必要があるのかなあ。
沖縄が戻ってきたのは、それより20年もあとのことなのに。
http://www.asahi.com/politics/update/0307/TKY201303070103.html
http://www.asahi.com/politics/update/0308/SEB201303070056.html
ようやく「少年と自転車」を観た。
(最近の映画で、観たくてまだ観ていない映画が山とあるのに・・・ですが)
http://www.bitters.co.jp/jitensha/index.html
★少年と自転車★★
2011年 ベルギー・フランス・イタリア合作
監督 ジャン=ピエール・ダルデンヌ/リュック・ダルデンヌ
出演 トマ・ド/セシル・ドゥ・フランス
いつも思うけど、過剰な言葉を駆使しての映画紹介(「感動のヒューマンドラマ!」っていうやつ)とはうらはらに、親に捨てられた少年シリルと、出会った独身の女性サマンサとの寄り添い方が見事なほどに湿っていない。
彼女がどんな心境で施設にいる少年の父親探しに関わる気持ちになったのか、問題を起こす彼をなぜ見捨てずに見守っていけるのか・・・、それは二人の会話というより、サマンサの表情や目の動きや、そして観客である私たちの想像力に託されている気がする。それくらいに、説明を省いた、ドキュメントな要素も感じられるくらいのスタンス。
だからそこには、「ウソ」や「作り物」めいたテクニックがなく、すごく穏やかな海面のような自分の心境のまま、映画の進行にまかせていける。
探し当てて訪ねてきた子どもを見ても、とくに感情を表さない父親、少年の体の一部になっているような自転車を無断で売ってしまうような父親。
大事なのは「血」ではないんだと、そんな陳腐なところで納得してしまった自分もいるけれど。
週末だけでなくずっと一緒に暮らすことを決めた二人が自転車で並走するシーンがいい。
そしてラストで、苦難をとりあえず乗り越えた少年が、あまりにも自然にあっけなく自転車に乗って、迷うことなく走り去っていく(サマンサのいる家へ)ところで、静かに終わるのが、憎いくらいに「いい」です。
「ある子供」の監督なんですね。(よかったら、ココを)
どちらの映画にも、子どもらへの、甘すぎず、優しすぎず、でもほのかに暖かい視線を感じる。
心地よい・・・。