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有明山に抱かれて   

Uターンして始めた田舎暮らし。

すてきなエッセーと四月の展覧会

2017-04-03 | 

清川妙さんのエッセーです。
 
 年を重ねてもこうありたいと思える人。

 孤独感や悲しみにとらわれた時

 どう心をたてなおしたらいいのか、そっとその生き方のヒントをもらえた気がしました。

 毎日の暮らしを、丁寧に、素直に前向きに過ごしていくこと。

 お会いしたことはないけれど、お会いしてなんどもお話を伺ったような

 親しみを覚えて本を閉じました。





 こちらは道ばた猫さんの展覧会のお知らせです。

 さっちゃんに会いに、行こうかな。


もう一つの展覧会は、アイヌ刺繍の四辻藍美さん。


こちらは千葉です。



ちょっと不便だけれど、山の中の素敵な場所。

きっとアイヌの物語が生き生きと動きだすでしょう。

どうぞ皆さん、足をお運びください。





ハチミツ色のファンタジー

2017-03-18 | 


 ファンタジー作家の小林栗奈さんの本です。

 昨年の九月に刊行されました。

 そして、四月に続編が刊行されるんですって。

 おめでとうございます、栗奈ちゃん。



花が咲き蜜蜂が飛びかう美しい村に紛れ込んだ

トコネムリ という奇妙な病。

病にかかったものは、眠り続け、やがて死んでいく。

利き蜜師の仙道と弟子のまゆは

この不思議な病を運んでくる銀蜂の謎を探るため、

蜂蜜を媒介に、時間と記憶の旅をする。

次々と解き明かされていく、過去の人と人の繋がり。

蜂蜜の中に閉じ込められた時間に飛び込み、過去を旅するシーンは

美しさと神秘性に満ちています。

蜂蜜の壺が、太古の虫を閉じ込めた琥珀の妖しさ、美しさと重なりました。

無垢なまゆの存在が、人の心を溶かしていくのは

純正の蜂蜜を味わった豊かな気分と似ています。


新たな予感を残して、一巻は終了したので

二巻の発売が待たれます。


栗奈ちゃんと初めてお会いしたのは

蜜蜂が飛びかう養蜂場。

美しい鏡野。

あの日、この美しい物語の種が生まれたことを知って

心がじんとしました。







「大波百人」

2017-03-11 | 


作者の南崎さんからは以前

紙芝居「たすけとヒコ」の絵を頼まれました。

あれから二年、

今回、南崎さんは、津波の恐ろしさを

後世に伝えるため、「大波百人」の紙芝居を作りました。

千葉の昔シリーズ第二段です。

浜で暮らす少女ハナの物語。


「大浪百人」 作南崎晶子 絵山口加奈子

 カラー16枚 2200円


問い合わせ オフィス坂井
      電話fax 03-5356-6008
      e-mail  akoch26@hotmail.com



「たすけとヒコ」もあわせてどうぞ。
  牧で暮らす少年と馬の物語。




震災から今日で六年。

当時私は千葉の小学校で学童の仕事をしていました。

激しい揺れが収まってから、校庭に避難したとき、

プールの水が波打って、すっかり校庭に流れ出したのには驚きました。

プールの水が飛び出すほどの揺れ、津波の恐ろしさはいかばかりだったろうと思います。










シニカルな話

2017-02-10 | 
アズィズ・ネスィン短編集「口で鳥を捕まえる男」
「タイコたたきの夢」ライナー・チムニク


この二冊を読んで、父が購読していた「リーダーズダイジェスト」を中学生のころ

読んで感じたような感覚がよみがえった。

こんなふうに閉塞感を斜めに笑い飛ばすのもありなんだなと思ったっけ。

笑い飛ばしてもちょっともやもやが残るおはなし。

そのモヤモヤが、案外、人生のスパイスなのかもしれない。

次元間移動

2017-01-23 | 
「なつかしく謎めいて」という邦題がちょっときにいらなかったけれど、とても面白かった。

 日本では「ゲド戦記」で有名なアーシュラ・ル=グウィンのSFファンタジー。



シータ・ドゥリープ式次元間移動法 が発見されたおかげで

人々は自由に次元間移動ができるようになった。

といってもそこには条件があって

強い苦痛、消化不良,退屈という三つの組み合わせが必要になる。

この三つを満たしているのが、空港での乗り継ぎの待ち時間。

この本に納めらているのは、異次元への旅行者たちの旅行記、体験談、レポート。

「玉蜀黍の髪の女」「眠らない島」「不死の人の島」は科学の力を過信し濫用した人類の愚かさを。

「アソヌの沈黙」「「謎の建築物」「四つの悲惨な物語」は侵略と争いの愚かさを

「グレート・ジョイ」は資本主義の末路を。

と言うようにそのどれもが奇想天外な設定でありながら、見知ったどこかの国の歴史のようでもある。


解説に「ギフト」の続編を執筆中と書いてあり

うれしくなった。


人の感情「怒り」「歓び」「安らぎ」「不安」「哀しみ」…が世界を作っているのであり

建築物、便利な道具は世界を構築するための補助的なものに過ぎない。

世界を元通りにするのは、人の気持ちをまっすぐにするのが先ではないかなと

この本を読みながら考えた。





メイ・サートンの自然描写はとても美しく

読んでいて気持ちがよかった。

七十代という未知の世界での心構えをたくさん教えられた。

日本的な年の取り方は

景色の中に溶け込むような、やわらかな感じがあるけれど

サートンのような生き方は

しっかりと自分の色を保って風景を支えている、そんな感じがした。

気に入った言葉をいくつもノートに書きとめました。

猫のブランブルと犬のタマスの姿が目に焼き付いている。









歩く

2016-12-22 | 


 ヘンリー・ソロー  「歩く」より


私は今を生きています。過去は記憶し、未来は予期するだけです。生きることを愛しています。




たそがれが深まり、月光がますます輝きを強めるにつれて、自分自身がわかってくる。
私はだれなのか、どこにいるのか。まわりの壁が狭まると、気持ちが集中し、落ち着いてくる。
そして自分が存在していることに敏感になる。ちょうどランプが暗い部屋の中に差しいれられて、いっしょにいる仲間がわかってくるように。


見ることができるまで、長い時間、見なければならない。


私は夜明けのかなり前に目覚め、川のさざ波と葉の鳴る音に耳を傾けていた。




自分の内部に生活の根を下ろさなくてはならない。


私が森で暮らすことにしたのは、慎重に生きたいと願ったからである。
人生の根本的なことだけに向き合うことを望んだからである。そこから私が何か学ぶことができないだろうか、
いよいよ死ぬときに自分は生きなかったということを発見することがないように、と欲したからである。
私は人生と呼べないようなものを生きたいとは思わなかった。




 

畑の勉強

2016-12-06 | 




 自然栽培の木村さんの本を読んでいます。

 春からの畑の構想が、頭の中で

 むくむくと膨らみます。




 今日は山形村まで。

 朝から降っていた小ぶりの雨が

 山に虹をかけました。

終活

2016-11-24 | 


 葬儀社で開かれる勉強会に初めて参加しました。

 父の葬儀のときは、なにもわからないままでした。

 母の為にも自分の為にも

 勉強の必要を感じたからです。


 勉強会のとき、講師の方が紹介された本

 金子哲雄さんの「僕の死に方」を読みました。

 金子さんは自分の命が長くないのを知ってから

 死に対して、壮絶な向き合い方をしています。

 すべてを準備して、あの世に旅立って行きます。



 生と死は、隣り合わせにあるもの、

 いつどのように訪れるかわからないその瞬間に対して

 或る程度の心構え、覚悟というものは必要なのだと思いました。

 そのためにできることは何なのか

 考えておきたい。

 そのためには、やはり、一日、一日を大事にと

 月並みな言葉ですが、それしかないと思います。

 
 講習会で戴いたエンディングノートを見ながら

 自分の人生をここにコンパクトに納めるのは

 大して意味がないようにも思えるけれど

 それでも、いざというとき

 このメモが、葬儀のときに少しは役に立つんだろう、と思います。

 

 

 


 

大木実詩集

2016-06-30 | 
<モーツァルト>

 死ぬということはモーツァルトを聴けなくなるということだ

 アインシュタインがそう言ったそうだ
 その本をぼくは読んでいないので
 言いかたが違っているかもしれない

 生きているということは
 モーツァルトを聞けるということだ

 何を聴こうかと選ぶに迷い
 今夜もひとときひとり聴く

 この深いよろこび
 この大きなしあわせ
 生きているあいだ 生きているかぎり


〈前へ>

少年の日読んだ「家なき子」の物語の結びは、こういう言葉で終わっている

—前へ。

僕はこの言葉が好きだ。

物語が終わっても、僕らの人生は終らない。
僕らの人生の不幸は終りがない。
希望を失わず、つねに前へ進んでいく、物語の中の少年ルミよ。
僕はあの健気なルミが好きだ。

辛いこと、厭なこと、哀しいことに、出会うたび、
僕は弱い自分を励ます。
—前へ。

<妻>

何ということなく
妻のかたわらに佇つ
煮物をしている妻を見ている
そのうしろ姿に 若かった日の姿が重なる

この妻が僕は好きだ
三十年いっしょに暮らしてきた妻
髪に白いものがみえる妻
口に出して言ったらおかしいだろうか

—きみが好きだよ

青年のように
青年の日のように



  大木さんの詩は、気恥ずかしい表現もあるけれど

  それをすっと言葉にできてしまう素直さというか
  
  無垢な感じがとてもいいです。

  



 おまけの眠り猫



    


偏見と差別

2016-06-23 | 


非日常の言葉を交わす時間が欲しくて、「児童文学を読む会」に入った。

一冊の本をみんなで読みあっていく。

他人の声を通して入ってくる物語。ちょっと新鮮な感覚。

今読んでいるのは「ワンダー」。

本は一気に読みたい私ですが、読むのを我慢して会に臨みます。

ところが先日、話の展開にびっくりして、自分が読む順番だったのに絶句してしまいました。

気を取りなおして読み進めましたが、心は動揺したまま。。。。

家に帰って、とうとう一気に読んでしまったという本です。

主人公は、生まれたときから顔がぐしゃぐしゃで

形成手術後も、みにくい顔を持つオーガスト。

十歳で初めて学校へ行くことになったオーガストが味わう試練。


人はだれしもきれいなものを愛し

醜いものからは目を背ける。

普通でないものとは、(礼儀正しく)深く関わろうとはしない。


十歳の少年の試練というには、あまりにも重すぎるその試練から

わたしたちは多くのことを学ぶ。

自分がもしオーガストだったら?

オーガストの素直さと心の美しさのために

この本の主題は重いけれど、お話は決して重くなく

さわやかな読後感と深い感動を味わいました。

オーガストを愛する家族と、いろいろあったけれどそれでもオーガストと友だちだったジャック、

サマーの存在が清涼剤のように、心を潤してくれた。

そして、犬のデイジー。動物はきれいとかみにくいとか偏見を持たずに、人間の友だちになる!


世の中にはいわれのないさまざまな差別がある。

顔に傷があるとか、体が不自由なだけで

じろじろ見たり、反対に見ないふりをしたり。


ふつう。ふつうでない。

人の心の中にいつの間にか出来あがっている狭い価値基準の中から、偏見と差別は生まれる。