『忘れられた巨人』 カズオ・イシグロ 早川書房
舞台はブリテン島(現在のグレートブリテン)
時代は六、七世紀頃(アーサー王の時代より少しあと)
主人公はブリトン人の老夫婦、アクセルとベアトリス
人は死ぬとき、人生を走馬灯のように一瞬で思い浮かべると言うけれど
この物語を読んで感じたのも、その走馬灯のように凝縮された時間だった。
「記憶が薄れていく世界」という設定のせいで、物語には初めから不安感と寂寥感が漂い
湿りけと冷たい空気の中に、読者も否応なく引きずり込まれていく。
こう書くと、どんなに暗い小説かと思われるかもしれないが、悪鬼や兵士の殺戮の場面があるにもかかわらず
牧歌的とさえ思える透明な印象を受ける。
主人公ふたりの一途さと朴訥さゆえかもしれない。
とくに、ベアトリスの無垢さの。
アーサー王伝説と、ブリトン人(ケルト系)とサクソン人(ゲルマン系)の歴史に明るければ
なおいっそう、物語は深く心に入ってくるはずだ。
初めから過去などなかったものとして安穏と暮らす村の人々とはちがい、
アクセルは記憶の断片を捉えようともがいている。
やがてアクセルとベアトリスは、村を去り、遠くにいる息子に会うため旅に出る。
旅の途中のサクソン人の村で、戦士ウィスタンと鬼に噛まれた少年エドウィンがふたりの旅の道づれになる。
さらに、アーサー王時代の老騎士ガウェイン卿と老馬のホレスが加わる。
悪鬼の出現、修道士たちの罠、妖精のいたずら。雌竜クエリグの脅威……
ケルトの地に棲む妖しく不気味ないきものたちに翻弄されながらも
アクセルとベアトリスは互いを信じて旅をつづける……。
カズオ・イシグロは、「これは単なるファンタジーではなく、本質的にはラブストーリーだ」と述べている。
記憶を失くさせる竜クエリグの首が落とされ、アクセルとベアトリスは失った記憶を取り戻す。
そして旅の目的地、息子のいる島へと渡し舟を出してもらうことになる。
渡し守は、舟に乗る夫婦の愛の深さを測るため問いかけをすることになっている。
完全な愛で結ばれた一対の男女しか、舟に乗ることは許されないのだ。
数々の冒険の後につきつけられる、踏み絵のようなこの問いかけこそ
竜や巨人よりも、おそろしいものだ。
アクセルとベアトリスは船頭に人生の思い出を語り、共通の思い出を語れたことで
船頭も、「ふたりは強い愛で結ばれている」と舟を出すことを了解する。
ところが、最後に船頭が聞いてくる。
「長年一緒に暮らしていて、特別にこれが苦痛だったということがありますか?」
この問いかけによって、アクセルとベアトリスの旅の理由が、読者に明かされる。
(これから読む方のために、その理由は伏せます。)
二人が旅で体験したことは全て、儚い夢のように消えさり
たったひとつの事実だけがそこに残される。
老いたふたりは長い年月、恨みや悲しみを忘れていたのに。
渡し守は、舟にはひとりずつしか乗れないという。
「黒い影も愛情全体の一部であることを、神はお分かりくださるはずだ」と、アクセルは懇願する。
舟は別々でも、ふたりは島でふたたび巡りあえるのか、語られぬまま、話は終わる。
読者それぞれが結末を考えればいいのだろう。
島は、死者のゆく場所だろうか。だから舟にはひとりずつしか乗れないのだろうか。
記憶を失くした原因について、ベアトリスがふと漏らす言葉がある。
「ひょっとしたら、神自身が物忘れをされているのでは? だからわたしたち人間も記憶を失くしていくのよ」
この言葉には、ドキリとさせられた。
完全と呼べるものは、本当はこの世にはひとつもない。
理不尽さを理不尽とも知らずに生きることや
傷を負ったり、影を背負っても、それも身の一部だと思って生きること
そう言う強さをわたしたちは忘れているのかもしれない。
夫婦の物語を包み込んで、民族の争いの物語があり、それをさらに包み込む伝説のストーリーがあった。
それらはみな同じ、たったひとつのこと
「いっしょにいて苦痛だと思ったこと」から分裂が始まっている。
小さな傷から林檎が痛んでいくみたいに
痛みは世界に広がっていく。
けれど、
だれしもちいさな偽りや裏切りや愚かさでだれかを傷つけて生きている。
そういう傷をなかったこととして完璧を装うより
アクセルのセリフのように
黒い影も、長い年月をかけて、自分の一部となるように生きることの方が
潔い気がする。
渡し守を通して為された筆者の問いかけは、
あらゆる人に、そして、
宗教の世界にもむけられているのではないだろうか…。